政治講座ⅴ1689「国家を指導する共産党の独裁体制へ移行の明文化」
一党独裁体制が整いました。国家の機構がこのような杜撰さで決まる恐ろしさ。民主主義から遠ざかる一党独裁体制は何処に向かっているのであろうか。旧ソ連の崩壊を教訓に共産党の組織防衛と共産党組織の存続のみが目的化され、人民の事は二の次である。不動産過剰投資で経済破綻に陥っているのに、何をしているのであろうか。失政を隠す報道ばかりで、中国の将来はどうなるのであろうか。今回は全人代から垣間見える中国の杜撰な運営と報道陣に失政を隠蔽する姿の報道記事を紹介する。
皇紀2683年3月16日
さいたま市桜区
政治研究者 田村 司
中国共産党、政府を掌握-全人代が「国務院」改革承認し閉幕
Bloomberg News によるストーリー
(ブルームバーグ): 中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)は11日、約40年前に制定された「国務院組織法」の改正を承認し閉幕した。中国共産党の総書記でもある習近平国家主席が政府の役割を縮小させた。
法改正の採決では全人代の代表約2883人が賛成。反対は8人、9人が棄権した。
全人代常務委員会の李鴻忠副委員長は先に、法改正は政府・内閣に対する党の指導力を強め、「習近平」思想などのイデオロギーに従うよう促すものだと述べていた。国務院はまた、共産党員で占められている全人代からの監視も強化されることになる。
国務院組織法は1982年に採択された。同法初の変更は、習指導部が10年以上にわたって行ってきた共産党の影響力を強める運動に続くもの。中国では企業の役員室や大学の講義を含め、生活のあらゆる面に共産党が関与するようになっている。
習氏は昨年、党員9800万人を擁する共産党の改革を主導し、国務院の管轄下にあった金融安定発展委員会を掌握するため、2つの別の金融監督組織を創設。
エール大学法科大学院ポール・ツァイ中国センター研究員で、ウェブサイト「NPCオブザーバー」を創設したチャンハオ・ウェイ氏は今回の法改正について、「国務院に関する幾つかの新たな原則と慣行を成文化し、後に制定された法律と調和させることで国務院組織法を新しくすることを意図している」と語った。
同氏はさらに、党が内閣のリーダーシップを握ることを確実にする動きは「大きな象徴的価値がある」との見方も示した。
原題:China Cements Ruling Party’s Grip on Cabinet With Law Change (1)、China to Cement Communist Party Grip on Cabinet With Law Change (抜粋)
“中国あるある”厳しい制限に杜撰な仕切り「全国人民代表大会」開幕直前まで詳細不明の“ドタバタ劇”
FNNプライムオンライン によるストーリー
「一体いつになれば連絡がくるんだ…」
中国の最も重要な会議の1つである全人代(全国人民代表大会)の開幕が近づく中、多くのメディア関係者は痺れを切らしていた。
それはすでに開幕まで1週間を切っていたものの、取材に必要な記者証の配布時期や開幕式当日の入場時間など、詳細が全く発表されていなかったためだった。今年の全人代取材は5年ぶりに中国に駐在していない外国記者の取材も認められ、事前申請している記者の数は3000人を超えるなど注目が高まっていたにも関わらずだ。
記者証の受け取りは“翌日のみ”代理は認めず
全人代開幕まで4日前となった3月1日。ようやく中国当局から記者証の受け取り方法について連絡が入った。その内容は「翌日2日の午前10時過ぎから午後2時までに北京市の指定された場所に本人が直接受け取りに来ること」というものだった。
この連絡から受け取り期限まではすでに24時間を切っていて、これでは北京在住の記者ならまだしも、地方にいる記者や外国にいる記者にとってはほぼ不可能だった。多くのメディアはこれまで何の情報も出されていなかったためまだ北京に来ておらず、取材を予定していたメディア関係者からは怒りにも近い困惑の声が次々にあがった。
その後、メディア側から中国当局に対して「柔軟な対応を求める」と要請した結果、別日でも受け取りができるようになったが、一部の日本メディアで働く中国人スタッフには申請したにも関わらず記者証が配布されないということも起きるなど、混乱ぶりが目立った。
午前6時過ぎ全員で“ダッシュ”
“ドタバタ劇”はこれだけにとどまらなかった。記者証は無事に受け取れたものの、開幕式当日の会場入場時間はまだ分からないままだったからだ。
今年は外国記者の取材も認められていることから取材するメディアの数は例年以上に増加していた。このため撮影場所を確保するために熾烈な場所取りが発生することが予想され、何時から会場に入れるのかは非常に重要な情報だったが、結局、当日になっても正式に発表されることはなかった。そうなると、あとはできるだけ早く並ぶしか選択肢はない。
開幕式が始まる3月5日の午前6時。みぞれが降る中、人民大会堂周辺にはすでに多くのメディアが集まっていた。
さらなる混乱が起きたのは午前6時15分ごろ。突然何人かの記者が別の場所に向かって走り出したのだ。何事かと思い慌てて聞くと、別の場所から早く会場に入れるという話だった。その“噂”は瞬く間に広がり、各メディアの記者が一斉に走り出した。この情報がどこから出たのか、また正式な情報なのかは不明だが、並んでいた記者らは「自分だけ遅れるわけにはいかない」と先頭の記者についていった。
結局、出所不明の情報は正確だった。メディアは無事に入れたものの、この不透明な情報の出方や仕切りの悪さに少なくない記者が苛立ちを隠さずにいた。
また入り口でもトラブルが発生した。入るためには厳重な安全検査が実施され、事前に通達がなかった携帯の充電バッテリーの持ち込み禁止にひっかかり、長い列を並んでやっと入り口まで来たにも関わらずバッテリーを外に置いてくるよう指示を受ける記者が何人も出たため、入り口付近の混雑は中々解消されることはなかった。
午前9時となり、ようやく始まった開会式。人民解放軍の音楽隊による「歓迎行進曲」に合わせて習近平国家主席が登場した。ゆっくりとした足取りで自分の席に着き、全員が揃ったあと開幕を伝えるベルが議場に響き渡った。
その後、李強首相による政府活動報告が始まった。李首相は50分を超える報告の中で今年の経済成長率の目標を5%前後にすると表明したほか、不動産企業への資金繰りや若者の就業促進政策、そして台湾問題などについての報告を行った。
李首相が壇上で報告をしていた際、ほかの出席者は事前に用意された資料に目を向けたり、ペンで書き込みをしたりする様子が見られたが、習主席は資料に目を向けることはほとんどなく終始硬い表情で前を向いていた。
李首相は報告の最後で「中国式現代化をもって強国づくりと民族復興の偉業を全面的に推進するためにたゆまず奮闘していこう!」と締めくくり席に戻った。その際、習主席に声を掛けられると笑顔になった。
世界と中国の意思疎通の断絶
政府活動報告を終えた李首相だが、本来であればもう1つ大きな仕事があった。それは全人代閉幕後に国内外のメディアを前にして行う記者会見だ。
しかし、この重要な記者会見は明確な説明がないまま中止となり、さらには特別な事情がなければ今後数年も実施しないことも決まった。首相自らの言葉で国内外のメディアに対して答える場が無くなったことに対して「世界と中国の意思疎通の断絶で、国内外に与える影響は大きい」(日中外交筋の関係者)と指摘する声もあり、中国政治の不透明性はさらに高まったと言える。
中国で取材をしていると予想外のことが起き、取材活動が困難になることは珍しくはない。これは中国にやってきた多くの外国メディアが経験していることだ。
今回の全人代取材における一連の“ドタバタ劇”や首相会見の中止も、私たち外国メディアにとってはある意味「想定内」とも言えるが、中国に出資を検討している海外企業などにとっては、中国が益々不可解な国に見えるだろう。
世界が注目する全人代の開幕式の取材において、なぜこのような対応になったのか。それはこれまでゼロコロナ政策を理由に取材の範囲を狭めてきた中で、急に全ての外国記者にまで自由を認めたため対応しきれなくなったのか、それとも全人代を世界にアピールしたいと考える一方で、厳しいチェックは従来のまま緩められなかったことで運営に支障をきたしたのか、いくつか複合的な要因があるかもしれない。ただ、厳しい検査やチェックをする一方で、仕切りが杜撰であることは残念ながら“中国あるある”の一つなのだ。
習主席のさらなる権力の集中が印象付けられた全人代の開幕式。一方で、政権の閉鎖性に注目が集まる結果となり「内向き」な政権運営への懸念は益々強まっている。
(取材・執筆:FNN北京支局 河村忠徳)
参考文献・参考資料
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