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死後大勢の人が参列する人生を目指すという生き方について。

その様な事を言っている人がいた。

その意味も分かるし、理解できる。
結果それだけの人が参列したいと
言ってくれると言うことは

それだけ色んな人に貢献をしていた
結果で愛されている証だとも思う。

素晴らしい生き方だ。

しかし、
その先を考え見た時に
それはまた評価される為の生き方ではないか?
とひねくれた私は思ってしまう。


たくさんの人に参列してもらう為に
評価を得ようとしたり
気に入られようとしたり

そんな風に
目的が人格・人生形成ではなく
「参列することが目的」
になってしまう恐れがあるのではないか?

私的には

「自分の信念を貫いた結果そうなった」

という生き方の方が
より渋くカッコ良い生き方に思えたりする。

偉人だって
有名になって評価される為に
偉大な功績を残した訳ではなく

想いを持って信じた道を貫いたからこそ
その強烈な想いや背中に感染して
歴史や時代が動いた訳で

評価される為にやっていたとしたら
そういう結果は出ていなかったのではないか?

岡本太郎さんが言う
人間の無意味さ、無目的さ、純粋さ
それこそが1番大切で

目的と意味に毒された社会に
強烈なインパクトを与えるのは

評価や意味付けからとことん離れた
世界ではないか?

そう思っている。

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