日本史上最もぶっとんだ先生

それは吉田松陰先生。幕末の超重要人物ですね。幕末好きなら大好きな人も多いと思います。幕末好きでなくても、吉田松陰という先生の(ヤバイ)魅力を知ると、一気に好きになってしまうのではないかと思います。

10分ほどで、誰でも吉田松陰の大ファンにしてしまう番組がこちら。

まずは少し聞いていただけたらと思います。

コテンラジオ

Apple & Spotify Podcastランキング1位獲得
ジャパンポッドキャストアワード2019 大賞&Spotify賞ダブル受賞

という輝かしい賞を受賞しているなんて知りませんでした。そもそも音声番組に興味がない時期だったので、完全に接点がありませんでした。しかし、このコテンラジオに出会って衝撃を受けました。

なんて面白くて、学びが深いトーク番組なんだ!!

コテンラジオの紹介や素晴らしさについては、置いておいて、まず記念すべき第1回のトーク内容を振り返って、私の学びに変えていきたいと思います。

吉田松陰

吉田松陰先生は、29歳でこの世を去っています。若過ぎますね。たった29年の人生でこの日本に与えたインパクトはものすごく大きく、そしてその人生は非常にヤバイ生き方だったようです。このPodcastでわかります。

松下村塾

長州の萩にある松下村塾は、1842年に吉田松陰の叔父さんが作ったそうで、少年だった松陰も入門。松陰が先生となったのは、1857年のこと。そして1858年に投獄されるまで、松下村塾で50名程度の塾生を引き連れていたようです。

たった1、2年・・・

時代としては、黒船が来たのは1853年で、大政奉還が1867年ですから、日本が攘夷!攘夷!と言ってた頃でしょうか。黒船が来たときの松陰のエピソードも、この後のPodcastで語られるので、それはまた今度。

松下村塾の塾生としては、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋などが有名ですね。

ちなみに、今や日本人が全員知ってる乃木坂の由来となっている乃木希典も、塾生ではないものの、松陰の叔父さんから指導を受けていたそうです。

ヤバエピソード1 暴走っぷりがヤバイ

当時の老中暗殺計画を企てます。
しかし、みんなに止められます。

ヤバイことで有名な高杉晋作からも
「先生、ヤバイっす!!」
ってめっちゃ止められます。

塾生たちからも
「先生、今じゃないです!まだもう少し待ちましょう!」
って血判書で止めにかかりますが、聞きません。

しかも、松陰は、長州藩に対して
「老中暗殺しに行くから武器をくれ!」
と言ってざわつかせます。

時を待つとか、時期を考えない人だったようです。やるべきことがあればやるのみ。

お前ら何で合理的に判断してんの?
俺は俺の誠を貫く!

そんな暴走先生だったようです。

ヤバエピソード2 脱藩の理由がヤバイ

脱藩とは、藩を無許可で出ていくことですね。
今で言う不法出入国で、当時もかなりの重罪。下手すれば死刑。しかも家族までも罪に咎められます。

松陰は、そんなヤバイ脱藩をしてしまうのですが、その理由がヤバイ。

友達との約束に間に合わないから

東北にいる知人に会いにいく約束をしていた松陰。
一応、出国の申請はしていたそうなのですが、手続きには時間がかかる。
そうこうしているうちに、もう間に合わないタイミングになってきた。

俺は男との約束を破るくらいなら死を選ぶ!

そう言って、脱藩してしまったのでした。

解説:老中暗殺

ヤバイエピソード1に出てきた老中暗殺については、下記のページを参考にすると、大老井伊直弼がアメリカとの日米修好通商条約を締結を強行したことに憤慨し、幕府を敵視し、井伊直弼の手先、老中・間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を企てたとのことです。

解説:脱藩

ヤバイエピソード2に関しては、以下のページの情報を参考にさせていただくと、東北で合う約束をしていた友達というのは、宮部鼎蔵、江幡五郎の2名。その時、吉田松陰は江戸の佐久間象山の塾に通っており、長州にいたわけではない。しかしながら、長州藩の管轄下に置かれているので、外の国を出歩くには許可が必要だった。東北で合う約束をしていた二人も、実はまだ江戸にいて、松陰が脱藩して出掛けたことを知り、慌てて松陰を追いかけることになるというのも、また面白い話だなと思いました。

https://ncode.syosetu.com/n1284db/42/

まだまだヤバイ吉田松陰

というわけで第1回のエピソードは、この2点について面白おかしく語られています。それだけでも本当に吉田松陰という人の魅力がグググっと高まりますが、また次回以降も、さらに面白いトークが繰り広げられていますので、また書きたいと思います。