【短編小説】明るい家族計画
人生を左右するかもしれない、大事な金曜の夜だ。携帯電話がバッグの中でしきりに唸っているが、今はそんなものに構っている暇はない。それにしても、一体いつまで唸り続けるつもりだろう。自分が携帯電話ということも忘れて、険悪な私たちの仲裁にでも入ってくれるというのか。
そんなことができる携帯電話があるなら、すぐにでも手に取って仲裁をお願いしているところだ。せっかく直樹と二人きりでいいムードだったというのに、自分の短気な性格がつくづく恨めしい。この母譲りの短気だけは、昔からいくら直そうとしてもどうにもならなかった。なぜ母は私に、こんな厄介な性分を押しつけたのだ。なぜわざわざ、こんな私を生んで育てたのだ。今は彼の隣でへそを曲げて黙りこくっている場合ではない。そんなことはわかりきっている。しかし理性に反して私の短気な心は、ぶつけどころのない悪態でいっぱいだ。
見晴らしの良い丘に車を停めて、直樹と二人で夜景を眺めていたところ、
「美月はそろそろ結婚したいんだろ。どうする?」
と、突然のプロポーズ。彼はいつだってデリカシーがない。私はつい、きつい口調になった。
「どうするって何よ。こういうときはまず、自分の気持ちを伝えるものなんじゃないの?」
私の一言によって、ほどよく甘かった車内の空気はたちまち塩漬けになった。このままでは二人とも漬け物みたいに潤いを失って、ぎすぎすするばかりだ。そんな私たちの間に割って入った、携帯電話の着信。今夜は一生の思い出になる記念すべき夜かもしれないのに、なんて無粋な横槍だろう。いや、もしこの空気を一掃してくれるというのなら、私はこの電話の主に生涯感謝を忘れないと誓おう。
助手席の私が横目で窺うと、運転席で憮然としていた直樹は心配そうな視線を私の膝に向けた。そこには、さっきから唸り声を上げ続けている私のバッグがある。どうやら私の電話を気にしてくれているらしい。
私は依然として仏頂面を作ったまま、バッグに片手を突っ込んで携帯電話を漁った。こういう気配りはできるのだから、いつものデリカシーのなさもどうにかなりそうなものではないか。そこさえ治してくれれば、こんなにやきもきすることもなく、喜んで彼の胸に飛び込んでいけるというのに。
電話を鳴らしていたのは、実家に独居している母だった。電話の主を知った途端、通話ボタンに伸ばした指がぴたりと止まる。母とはもう二年近く口を聞いていない。
私は高校卒業後、すぐに実家を出た。その後はほとんど連絡を取っておらず、昨年も一昨年も実家には一度も顔を出していない。母とは絶縁状態なので、母のほうから接触してくることもほぼなかった。
それなのに、余計なことが伝わらなくて済むテキストメッセージではなく、声の調子によって無駄な感情まで伝わってしまう電話をいきなりかけてくるとは、どういう風の吹き回しだろう。しかも、単に近況を訊ねる電話にしては、あまりにもかけてくる時間が遅い。
覚悟を決めて電話に出てみると、応答したのは母ではなく、母の店を手伝っている彩という女性だった。美人ではないが、おっとりとした雰囲気が親しみやすい三十代半ばのホステスだ。
「みーちゃん、遅くにゴメンね。実はママちゃんが倒れちゃって、今救急車で病院に着いたとこ。あ、命がどうこうってわけじゃないから安心してね。でも親族じゃないと判断できないこともあるみたいだから、みーちゃん、これから出て来られる?」
絶句するしかなかった。よりにもよって、こんな大事な日に病院に担ぎ込まれるとは。やはり母とは相性が悪すぎる。私は呆然としたまま、曖昧な返事をして電話を切った。母には、こういうとき真っ先に駆けつけてくれる夫や親族がいない。だから彩は、私と母の不仲を知りながらも、私以外に連絡する相手を探し出せなかったのだ。
直樹に事情を説明すると、彼は何も言わずすぐに車を出してくれた。彼は道すがら、院内まで付き添うと申し出てくれたが、それは丁重に断った。私の身内のことで今夜を台無しにしてしまったのだから、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
車窓の外に広がるきらびやかな夜景が、淡々と冷たく流れていく。私は下唇をきゅっと噛んで、募る名残惜しさを噛み殺した。配慮に欠けるところはあるが、直樹は優しくて真面目な男だ。彼のプロポーズを受け入れる心の準備は、とうの昔にできている。あとは背中を押してくれる何かが、ほんのちょっとだけあればいい。
それなのに、待望の甘い夜はまたこうして流れてしまった。今夜、私が彼の言葉にあんな形で突っかからなければ、話は望んでいる方向へすんなりと進んでいたはずだ。思い返せば思い返すほど、自分の不甲斐なさを責めずにはいられない。
ふと母の面影が脳裡を過り、我知らず大きな溜め息が漏れた。そうだ、電話さえなければ。あのまま二人きりで夜景を見続けていたら、あの険悪な雰囲気もじきに治って、二人とも元の素直な自分に戻れていたかもしれない。そして私たちは、念願の幸せを満面の笑みで抱きしめていた──。それなのに母は、やっぱり自分が一番大事で、一人娘である私の人生をとことん振り回すつもりのようだ。
小さい頃の記憶が蘇りそうになって、慌ててかぶりを振った。たまには母らしいことをしてくれたこともあったが、私は母が一人娘に背負わせた、いたたまれない恥辱を決して忘れない。少女時代の私は、母のせいで負わなくてもいい心の傷を負い、ずっとずっとその辱めに悶え苦しんできたのだから。
母は現在も、私が生まれてすぐに買ったという建売の一戸建てに独りで住んでいる。母曰く、父は私が生まれる前にこの世を去ったそうだ。でも私は、それが事実ではないことを子供の頃から知っている。
私の記憶の隅には、ある中年男性の姿が今もしつこくこびりついている。月に一、二度、私と母が住む家に泊まりに来ていた、肩幅が広い小太りの男。母はたまに遊んでくれたり、小遣いをくれたりするその男を、大切な友達だと言って来るたびにもてなしていた。
私が男の素性を知ったのは、中学に上がってまもなくの頃だった。うちでは母と夫婦のように振舞っていたその男は、隣の市で土建屋を営んでいる妻帯者だった。その頃になると男は、前にも増して頻繁にうちに泊まりに来るようになっていた。しかしなぜか、私が中学二年生になってしばらくすると、ぷっつりと姿を現さなくなった。母は短気で気が強いだけに、手を焼かされた男はとうとう母に愛想を尽かしてしまったのかもしれない。
母と男は子供の私から見ても、仲睦まじい男女と言うより、愛憎入り混じった腐れ縁のように見えた。母は夕食時によく、男の前で自分たちの立場や生活を嘆くような皮肉を言った。そうなると私は早々に自室に逃げ込んでいたが、狭い家の中を仕切っているのは薄い壁だけだ。母と男の話し声は、少しも遮られることなく自室の私の耳にまで届いていた。
男は、最初のうちは黙って母の皮肉や愚痴を聞いているのだが、酒量が増えるにしたがって反論する頻度が高まっていき、遂にはいきり立った母と怒鳴り合いの喧嘩になるのが常だった。大声で罵り合うだけならまだいいのだが、頭に血が上って互いに手が出ることも少なくなく、ここまでこじれると私は自室のベッドで布団を頭から被り、嵐が過ぎ去るのを震えて待つしかなかった。
普段は母のことなど考えるのも嫌だったが、このときばかりは母に同情せずにはいられなかった。揉めに揉めた末の翌朝は、母の顔や腕にあざができていることがあったからだ。明らかに母は、男の手によって傷つけられていた。この世にそんなことをする男がいると思うだけで、私の義憤と憎悪は激しく燃え上がった。いつかあの男に復讐してやる。そう思って、部屋の押入れに金づちを忍ばせていたことさえあった。おそらくそういう見境のなさは、あの猛々しい母から受け継がれてしまったに違いない。
そんな私が最悪の事態に至らなかったのは、それほど激しい衝突がごく稀だったからだ。大抵は派手に怒鳴り合ったあと、嘘みたいに静かになって肩を寄せ合っていることが多かった。散らかった居間もそのままに、二人して寝室にしけこんでしまう展開には毎度呆れたが、それでもあざを拵えるまでこじれるよりはずいぶんましだった。ただ成長するにつれて、自分もこうやって作られたのかもしれないと想像するようになると、中学生の私は両手に金づちでも足りないくらいの吐き気に襲われていた。
私はその男のせいで、子供の頃から肩身の狭い思いをしてきた。友達の家には当たり前のようにいる父が、自分の家にはいない。それだけでも胸を締めつけられるほどの引け目だったというのに、ある時期からそれは堪え難い憎悪に変わった。愛人の子。どこからともなくそんな陰口が聞こえてくるようになったのは、小学校中学年くらいからだったと思う。
母に男のことを訊ねても、友達の一点張りで何一つ真実を語ってくれない。その素っ気ない態度が、私の心をさらに孤独へと追いやった。母との間に見えない壁ができ始めたのも、ちょうどその頃からだ。そして母は、私が成人して結婚相手を見つけてくる歳になっても、未だにあの男の真実を語ってはくれない。どう考えても親として失格だ。私だって、唯一の肉親を相手に大人気ないと思うこともある。でも、だからといってそんな母に易々と心を開けるわけがなかった。
母の容態は思ったより深刻だった。病院で行われた検査の結果は、外傷性のくも膜下出血。事故から二時間は経っているというのに、未だに意識は戻っていない。医師からは重い後遺症も覚悟してほしいと言われ、私は心臓を冷たい手で撫でられたような気持ちになった。
私が母の介護? ということは同居? 間もなく直樹との新婚生活が始まるかもしれないというのに? 娘にいたたまれない少女時代を強いた上、自由な未来まで奪うなんて、自分勝手もここまでくると、もはや罵る気さえ起きない。
母は昔から、夜の街で小さな店を切り盛りしている。唯一の従業員である彩の話によると、母は今夜、店を出てすぐに足を滑らせ、階段を派手に転げ落ちたらしい。仕事中に呑み過ぎたことが祟ったらしいが、母が仕事で泥酔したなんて話は今まで聞いたことがなかった。
どうやら母は今夜の客と反りが合わず、口論になりかけたため普段より多く呑んでしまったらしい。その客は、成人した自分の息子に「夫婦別姓くらいすんなり受け入れる、優しくて器の大きな男になれ」と諭してやったと、自慢げに話していたという。母はその話がどうしても許せなかったようだ。それはそうだろう。幸せな結婚をして姓を変えたいという母の念願は、とうとう叶えられないままになってしまったのだから。その客に暴言を吐いたり、殴ったりといった、短気な母の暴走がなかっただけでもよしとしなければならない。
意識が戻らないため、母はしばらく入院することになった。病院から、下着やタオル、歯ブラシなど、身の回りのものを揃えてほしいと頼まれたので、気は進まないがこれから実家に向かうしかなさそうだ。母とは極力関わり合いたくなかったが、親族と呼べる者は娘の私しかいないので仕方がなかった。
いっそあの土建屋に押しかけてやろうかとも思ったが、深夜だし、母のために心身を擦り減らすのも癪に障るので、すぐに思い止まった。ただ、もし噂が本当なら、あの男は私の父だ。母の世話が煩わしくなってきたら、連絡してみるのも悪くない。母とはすっかり縁が切れているようだが、きっと私のことは無下にできないだろう。うまくいけば、面倒をすべてをあの男に押しつけられるかもしれない。
タクシーが真夜中の実家に到着し、見慣れた二階建ての一軒家を目の当たりにすると、思わず苦い溜め息が漏れた。二度とここには戻りたくないと思っていただけに、外観を眺めるだけでもちょっとした嫌気を催してしまう。この家にまつわる思い出は、どれも陰気で殺伐としたものばかりだ。今はこの家に母がいないので、辛うじて門をくぐる気になれている。しかし普段なら、絶対に足を踏み入れることはないだろう。
粗末な門を抜けて、ふと玄関横の小さな庭に目を移した。一本の鉄柱が、昔と少しも変わらない影を庭に落としている。この鉄柱は、母が中学、高校とバスケットボール部だった私のために、自力で設えてくれたバスケットゴールだ。そして庭のほとんどは、ドリブルシュートの練習もできるようにセメントで塗り固められている。なるべく安く上げるため、母が自分で買ってきて誰の手も借りずに敷き詰めたらしい。
不意に母の笑顔を思い出し、何とも言えない気持ちになった。母は仕事で家を空けることが多く、遊んでもらった記憶はほとんどない。だから母は、せめて私の好きなことくらいは存分にやらせてあげようと、バスケットの練習ができる庭を作ってくれた。苦しい家計と相談した母が、突貫でこしらえた素人舗装の練習場ではあったけれど。
おかげで私は、心無い噂のため友達は少なかったが、大好きなバスケットボールはかなり上手くなれた。周りの同級生が友達同士ではしゃいでいる間も、私はバスケットボールを追いかけるのに夢中で、特に寂しいと思ったことはなかった。しかも中学のときは県大会優勝まで経験できたし、同じバスケ部の先輩と付き合っていたこともある。なんだかんだ言いながらも、私が眩しい青春をひと通り味わうことができたのは、母の助力のおかげと言えなくもない。
懐かしさに背中を押され、庭に入ってバスケットゴールに歩み寄ってみた。学生時代、一心不乱に汗を流していた庭を、街灯の薄明かりを頼りにしみじみと見渡す。足元のセメントはかなりひび割れていて、陥没してしまっている箇所も少なくない。
所詮、母の素人仕事だ。本格的なコンクリートではなく、ホームセンターなどで売っている安いインスタントセメントを薄く敷いただけなのだろう。十年近く経てば、劣化してヒビが入ったり、弱い箇所に穴が開いてしまうのも無理もない。ただ、私がバスケットをやっていた数年間は何の問題もなかったので、これ以上の耐久性を求めるのは酷というものだ。この安普請も、私のバスケットの練習のためだけなら必要十分だったということだろう。
しかし、このままでは荒廃したセメントの見た目が悪いので、私が母なら庭のセメントはこうなる前にすべて取っ払っていただろう。未だに母がそうしないのは、億劫で後回しになっているのか、日常が忙しくて劣化に気づいていないのか、それとも撤去を頼む金銭的余裕がないのか。
──まさか私のため? いや、そんなことは絶対にない。万が一、私が実家に戻ったとしても、私はもう学生でもなければバスケ部でもない。セメントが敷かれたバスケットゴールのある庭なんて、小指の先ほども必要ないのだ。こんなぼろぼろの庭、いつまでも残しておいたって何の意味もない。それでもあえて意味を見出すなら、私がたまに見てあの頃を懐かしむくらいのものだろう。あのがさつでいい加減な母が、そんなセンチメンタルな気配りを思いつくだろうか。いや、そんなことはありえない。きっと片付ける費用が惜しいだけだ。
そのとき、私はいきなり足を取られてその場に膝をついてしまった。あまりに突然の出来事だったため、声を出す余裕もなかった。幸い異変の原因はすぐにわかった。右足の下のセメントが、私の重さに耐えきれず陥没したのだ。まさか、土から湧き出た死者に足を引っ張られた? なんて突飛な想像に縮み上がっていた私は、やれやれと胸を撫で下ろし、屈んだまま脱げた靴を履き直した。
陥没した深さ二十センチほどの穴を何気なく覗くと、底に妙な違和感がある。さらに穴を覗き込んでみると、中は割れたセメントの欠片と黒い土ばかりだが、その中にひときわ鮮やかな蛍光色がちょっぴりだけ混じっていた。手を伸ばしてその蛍光色をつまみ上げてみると、それはずるずると土の中から姿を現し、どこまでも細長く続いている。その紐らしきピンク色の物体を見た私は、目を丸くせずにはいられなかった。
庭に埋まっていたのは、可愛らしい装飾があしらわれた独特の形の布きれだった。この布には見覚えがある。これは中学生のとき、生まれて初めて自分で選んだ下着セットのブラだ。当時、初めての彼氏ができた私は、売り場で何時間も悩んでこの下着を選んだ。だからこの下着のことは、今でもよく覚えている。
ただ私の記憶では、この下着は数えるほどしか使っていない。とても気に入っていたのだが、気がつくと見当たらなくなっていたからだ。私がこの下着のことを訊ねると、母は確か、干している間に風で飛ばされたのだろうと答えた。年に一度か二度、洗濯物のタオルなどが風で飛ばされることはあったので、当時の私はそれなら仕方がないと涙を呑んで諦めた。
それがまさか、庭のセメントの下に埋まっていたとは。いつも適当に生きている母のことだ。風で飛ばされて庭に落ちていたにもかかわらず、気づかずにそのままセメントで埋めてしまったのだろう。あの母なら、そのくらいの失敗はいくらでもやりかねない。
十年近く埋まっていた下着は、肌に触れる天然繊維の部分は真っ黒に変質してぽろぽろと崩れてしまうのに、それ以外の化繊部分は色も鮮やかで、ほとんど痛んでいない。土を払って間近で確認してみたが、やはり間違いなく私の下着だった。散々迷って買ったお気に入りのデザインだ。そう簡単に忘れるはずがない。
まさか今になって、しかもこんなところから出てくるとは思わなかった。もちろんまた使おうなんて考えてはいないが、これはこれで思いがけない宝物を掘り当てたようで、妙に嬉しい。絶対に対面することのない過去の自分と鉢合わせたような気分、とでも言おうか。
懐かしい失せ物との邂逅に躍った心は、実家の玄関を開けるとさらに高ぶった。母と二人で十八年間も過ごした、お世辞にも立派とは言えないささやかな一軒家。靴を脱いで狭い廊下を進み、台所や居間を一つ一つ覗いていると、この家の中だけ時間が止まっていたかのような錯覚に陥ってしまう。部屋に漂う実家独特の匂いも、ドアノブや襖の手触りも、あの頃と少しも変わらない。
ふと気になって階段を登り、二階の突き当たりのドアを開けた。この部屋はまだ私がこの家に住んでいた頃、自室として使っていた六畳の洋室だ。入ってすぐ左の壁にある照明スイッチを入れた私は、途端に目を見開いて棒立ちになった。ひどく熱いものが胸から込み上げてきて、それはやがて小さな唸り声となって固く閉じた口の端から少しずつ漏れた。
何年も前に主を失った二階の洋室は、とうに片付けられて物置にでもなっていると思っていた。ところが目の前に現れた景色は、まるで私の帰りを待っていたかのように当時のままだった。しかも掃除が行き届いていて、チリ一つ落ちていない。どうやら私が出て行った後も、母がずっと手入れをしてくれていたようだ。一人娘の面影を残しておきたいと思ったのか。もしくは、私がいつ帰って来てもいいように残しておいたのか。
母とは決して仲が良いとは言えなかったが、だからと言って決定的な衝突があったわけでもなかった。正確にいうと、母が私を嫌うようなことはなく、愛人の子という噂が囁かれ始めた頃から、私が一方的に母を毛嫌いしてきただけだ。それでも母は、娘の苦々しい態度を咎めるようなことは一切なかった。
今ならわかる。おそらく母は、ずっと責任を感じていたのだ。私に無駄な苦労や悩みを与えてきたことに対して、今も贖罪のような気持ちを抱えているのかもしれない。だから私がいくら素っ気なくしても、相談もなしに実家を出てしまっても、盆も正月もまるで連絡をよこさなくても、少しも変わらず娘のことを案じ続けているのだろう。
あれほど嫌いで、わかりたくもなかった母の気持ちが、するすると心地好く胸に滑り込んでくる。懐かしさのせい? 大怪我を負った母に同情している? 本当は私も、母と和解したかった? そうやって胸中に問うてみても、今はまだ思考が模糊としていて、原因をはっきりとは言い表せない。
──いいや、違う。よくよく考えてみれば、今さら母を許したところで何になる。学生時代に負った心の傷は取り返しがつかないし、身勝手で奔放な母に振り回された時間は、これからも永遠に失われたままだ。しかも今後に目を向けてみても、怪我を負った母にどれくらいの手間と時間を取られるか見当もつかない。やはり母は、温かい心を持った慈母などではない。昔も今も、私にとってはただの疫病神だ。
ひとときの郷愁から我に返った私は、本来の目的を思い出して一階に降りた。病院に届ける母の荷物をキャリーバッグに詰め込み、ガスの元栓や、差し当たり必要のない電気のブレーカーなどを点検していく。
ひと通り準備を終えた私は、最後に居間のタンスの引き出しを開けた。一番上の引き出しに、母の財布がしまってあるはずだ。母は普段、自分用と店用の財布を使い分けている。入院中に小銭が必要になったときのために、自分用の財布も持たせておいたほうがいいだろう。売店で細々とした物を買うたびに呼び出されるなんて、絶対に願い下げだ。
引き出しを開けて覗き込むと、思いがけず珍しいものが目に入った。折り畳み式の古い携帯電話。見たことがない機種なので、私が生まれる前か、物心がつく前に使っていたのだろう。こんなもの、今さら使う機会なんてないはずだが、なぜ母はこんながらくたを後生大事に保管しているのか。
何気なく手に取って、電源ボタンを長押ししてみる。やはり電源は入らない。諦めて携帯電話を元の場所に置きかけたとき、これまた珍しいものが目に止まった。引き出しの奥に、古い充電器らしきものが押し込んである。おそらくこの携帯電話の充電器だ。
携帯電話を充電器に繋いでコンセントに差してみると、充電中の赤ランプが灯った。壊れてはいないようだ。ということは、このまましばらく待てば電源が入るようになるかもしれない。母はまだ意識を失ったままだろうし、病院には朝までに行けばいいことになっている。私は仮眠を兼ねて、携帯電話の充電を待つことにした。
一時間ほどうたた寝をしたあとに電源ボタンを押してみると、携帯電話の画面が明るく光り、起動画面が立ち上がった。とはいえ、ボタンがたくさんついた携帯電話は、子供の頃見たことがあるだけで使ったことはない。
四苦八苦しながらも操作を続け、携帯電話の中身をひと通り閲覧し終わるまでに三十分もかかった。何か面白い発見があるかと期待していたが、結局そういったものは見つからなかった。とんだ拍子抜けだ。今まで忘れていた疲れがどっと押し寄せてきて、すぐにでも自宅の布団にもぐり込みたくなった。
だがその前に、母の荷物を届けておいたほうがいいだろう。後回しにして自宅で寝てしまうと、翌朝、荷物のために早起きをするのがひどく億劫になりそうだ。そうと決まれば、こんな骨董品を悠長にいじり続けているわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせ、電源ボタンに指をかけた矢先だった。不意に気になる文字面が目に飛び込んできて、思わず指が止まった。
『明るい家族計画《18》』
携帯電話の画面には、メールの受信ボックスが表示されている。ということは、画面いっぱいにずらりと並んでいるこれらの文字列は、メールの件名の一覧のようだ。それにしても、ずいぶん変わった件名だ。しかもよく見ると、メールの発信元と宛先のアドレスが同じときている。そしてこの受信メールには、誤って削除しまわないよう消去防止のロックが設定されている。
どうやら母は書いたメールを、あとで読み返す覚え書きとして自分自身に送ったらしい。この時代の携帯電話のメモ機能は貧弱で、文字数や件数の上限がとても少ない。多くの文字を携帯電話に残すためには、こういう方法を取るしかなかったのだろう。
件名に18という番号が振られているということは、これ以前にも同じ件名で十七通書いたということだ。受信ボックスを検索してみると、思った通り、通し番号が振られた『明るい家族計画』がいくつも見つかった。どのメールも最初に見つけたものと同じように、消去防止のロックが設定されている。
母はこんな面倒なことまでして、一体何をこの携帯電話に書き残したのだろう。ひどく疲れているというのに、好奇心がうずき始めてしまうともう止まらない。私は試しに、通し番号が最も若い『明るい家族計画《1》』を開いてみた。たちまち目が釘付けになる。予想外の文面に、息を呑まずにはいられない。
他のメールも読んでみたところ、この携帯電話の持ち主は母で間違いない。ならばメールの中で語られている妊娠とは、間違いなく私のことだ。
自分を産む前の、知る由もなかった母の胸の内。『明るい家族計画』の正体がわかると、私の胸はたちまち早鐘を打ち始めた。疲労と眠気のせいで重かった瞼はすっかり開いて、たった今まで自宅の布団を恋しく思っていたことが嘘のようだ。目と指は脳の指令を待たず、すでに次のメールに向かっている。私は否応なく、古い携帯電話の中で眠っていた家族計画書へと引き込まれていった。
画面から目を外して、何度も深呼吸を繰り返した。微かに手が震えている。胸が詰まって息苦しい。激しい鼓動が耳の奥で鳴り響いていて、まるで誰かが頭の芯を乱暴に打ち鳴らしているかのようだ。
私はこの携帯電話の中で、生死の境を彷徨っている──。若かりし日の母の苦悶が、ありありと目に浮かんだ。この先の展開に、恐怖を感じないわけにはいかない。しかしそれでも、指は勝手に家族計画の続きを開いていく。
私は、すっかり涙に濡れてしまった頰を何度も拭った。母が目を覚ましたら、何と言って出迎えよう。言いたいことがあまりにも多すぎて、とてもその場では語り尽くせそうにない。
それにしても神様は意地悪だ。母は誰よりも純粋に、健気に生きてきた。それなのになぜ、今夜のような不幸に見舞われなければならなかったのか。確かに不倫という過ちはあったかもしれない。でも一方では、すべてを懸けて我が子を守り通す真摯な一面もあった。その上、苦労しながらも一人で私を育て上げてくれたではないか。母には、もっと報われる未来こそ相応しい。私はこれまで母に対して見せてきた冷ややかな態度を悔いずにはいられなかった。
そのとき、不意にけたたましい電子音が鳴り響いた。慌てて音の出どころを探す。着信音を響かせているのは、私の携帯電話だった。画面に表示されている見慣れない番号。たちまち全身が怖気に襲われる。この番号は確か、病院から伝えられたナースステーションの番号だ。
恐る恐る電話に出ると、看護師の神妙な声が酷薄な現実を告げた。
「お母様の容態が急変してしまって。今、どちらにいらっしゃいますか? できればすぐこちらにお越しいただきたいのですが……」
私は放心したまま、はいとだけ伝えて電話を切っていた。嘘だ。私には、母に伝えたいことが山のようにある。まだ何も母に伝えられていない。私が今まで母に向けてきたのは、拗ねた態度や非難の視線、生意気な言葉ばかり。そんなの絶対におかしい。母に与えられるべきは、もっと報われる未来。もっと愛情に満ちた親子関係。もっと明るく幸せな生ではないのか──。
ひとしきり泣き崩れ、ようやく嗚咽が治まってきたところに、メッセージアプリの着信音が割り込んだ。携帯電話を取り上げて通知を確認する。こんな深夜だというのにメッセージを送ってきたのは、曲がりなりにも今夜、私にプロポーズをしてくれた直樹だった。
「今夜は悪かった。お母さんの具合どう? 知り合いに安くやってくれる葬儀屋がいるから、必要ならいつでも言って」
もう少しで携帯電話を床に叩きつけてしまうところだった。悪気がないことはわかっている。わかってはいるが、毎度のことながらこの無神経。寝不足の疲れもあいまって、イラつかずにはいられない。
私はもう一度母のメールを読むため、古い携帯電話を手に取った。母は苛烈な運命に立ち向かいながらも、堪忍袋の口を少しも緩めずに耐えてきた。その凛々しく真っ直ぐな生き様を読み返せば、直樹への苛立ちも少しは水に流すことができる気がする。
メール画面を開いたところ、奇妙なことに気がついた。未送信フォルダに、書きかけのメールが一件残っている。日付は五年前。ちょうど私が実家を出た頃だ。とっくの昔に解約された携帯電話に書き込まれた、送信する意図のないメール。何らかの作意を感じないわけにはいかない。
その未送信メールの件名は『明るい家族計画《美月へ》』。どうやら母は、いずれ私がこの携帯電話を見つけ、中身を読むだろうと見越していたようだ。
(了)