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【読み切り小説】イーグレカ

夕方で、空は赤かった。血のような太陽が西に沈む。

「今日の収穫はこれだけか」

俺はひとりごちて恐竜の死体を担ぎ上げた。さてと、ねぐらに帰るか……。

山奥の、ここは恐竜たちの縄張りだ。もしもいま、たちの悪いやつに出会って、せっかくの獲物を横取りされてしまっては敵わない。暗くなるとこっちは何も見えなくなるのだから、早く帰ってこいつを焼いて食ってしまおう。

それにしても、この辺りは随分と減ったな。俺が殺しているためだ。たくさんの竜が、前はもっといたものだ。この山の動物が全滅したら、もっと麓に行かなければならなくなるだろう、いずれ。

ざっざっと、草を踏みしめ歩いていた。その時。

んっ……?

視界に違和感を感じるものが映った。白い、枝だろうか。茂みの中に見える。なんと珍しい、白い枝だなんて。この辺りに白い木があっただろうか。

気になって近くに寄ってみると、枝は人間の身体につながっていた。その身体は、草むらの中に倒れるように落ちていた。白い枝だと思ったのは腕のようだ。目を閉じていてじっと動かない。こいつは、一体何だろう。こんなところに一人で。死んでいるのだろうか。

俺はそいつを抱き上げ、息を確認した。身体は、俺よりはるかに小さかった。

「生きているな。おい、起きろ」

気を失っていやがるのか。

こいつは筋肉がついていなく、ふにゃふにゃして気持ち悪い肌をしていた。これではたちまち恐竜に食われてしまうだろう。

目を覚ます気配がないので、仕方なく俺はそれをねぐらに連れて帰ることにした。荷物は増えたが、重さはあまり変わらなかった。少しかさばるようになっただけだ。


やがてすっかり夜になった。目の前で焚き火が音を立てる。俺は今日の獲物の肉を裂いて、木の棒にぶっ刺した。

「あ……う……」

と、傍に横たわっている身体から声が漏れた。高く小さな声だった。そいつは目を覚まして、きょろきょろと辺りを見て言った。

「ここは」

「ぼくは」

「……あの」

「何だ? どうやら言語はわかるらしいな」

俺はぶっきらぼうに答えてやった。そいつはゆっくりと身体を起こした。

「ここは、どこ? ぼくは、どうしたの?」

「ここは俺の洞窟だ。おまえは山の茂みに倒れていたんだ」

どう見てもまだ子供だ。なぜあんなところに居たのだろう。昨日は確かに見かけなかったが。

「おまえは、なぜ、倒れていた?」

「え……」

「記憶がないのか?」

「……答えたくない」

「何だと?」

「ご、ごめんなさい」

「家出か」

「そうです」

「そろそろ肉が焼ける、食え」

「……ありがとう」


「お姉さんは、なんていうお名前なの」

肉をほおばりながら、そいつは尋ねた。

「お姉さん?」

「あ、ごめんなさい、お兄さんだった?」

正直、驚いた。俺は人に会うことがないので、髭を剃っていなかった。それなのにこいつは、俺が女だということを見抜いたのだ。長い髪のせいだろうか。それともこの声で判断したのだろうか。俺は何となく咳払いをひとつした。

「一応、女だ。そのようには呼ばれ慣れていないものでな」

「お姉さんは、ここで暮らしているの」

「その通りだ。俺はイーグレカ。竜たちにそう呼ばれている」

俺のほうを見て、子供は言った。

「ぼくの名前は、アルースだよ」


『竜殺し!』

『この、竜殺し!』

『出て行け! とっととこの山から出て行け!』

いつしか竜たちにそう言われた。出て行け、なんて言われても、俺にはこの山の他に生きたいと思える場所がないわけで。

この子供に出会って、俺も思い出したことがあった。まだイーグレカなどという名前で呼ばれていなかった頃のこと。人間社会で生きていた頃のことだ。俺はうつむいてやり過ごすことにした。それらの記憶が去るのをただ待った。すると不意に、子供が言った。

「ぼくも山で暮らしたい」

俺は我に返って顔を上げた。

「正気か?」

「イーグレカさん、お願い、ぼくをここに住まわせて」

「……よほど家に帰りたくないようだな。だが、だめだ。狩りができなければ山で生きていくことはできない。この山には、恐竜がいるのだぞ」

「それなら、ぼくに狩りを教えてほしい」

「おまえのその体格では無理だと思う」

「お願い! そこを何とか」

「だめだ。おまえは自分の町に帰れ」

「いやだ!」

「そこまでして帰りたくないのか。よほどの事情があるのだろうな」

「…………」

「話なら聞く。何があったんだ?」

「……おとうさんに」

「うん」

「おとうさんに叱られた」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことじゃない! ぼくは真剣なんだ!」

そいつは立ち上がってむきになったように言った。そして、ぽつぽつと続けた。

「おとうさんはぼくのことがすきじゃないんだ。ぼくは全然悪くないし、あんな叱りかたないよ。ぼくはおとうさんのいる家にはもういられない。本当は、死んでやろうと思ってた。こんな惨めな気持ちになる前にとっとと死んでおけばよかったんだって。だから崖に登って川に飛び降りるか、危険な山で恐竜に食べられて死んでやろうと思った。そしておとうさんを後悔させてやるんだって」

「…………」

「それで、一晩中歩いて、町から離れたこの山にようやく辿り着いた。だけどあまりに疲れていて道で眠っちゃった。そのまま眠ったまま恐竜に食べられてもよかったんだ。それなのにイーグレカさんがぼくを拾ってしまった。ぼくは自殺に失敗した。イーグレカさんは、ぼくを拾った責任を取らなければならない」

俺は思わずため息をついた。

「その責任とは、俺がおまえを町まで送り届けることだと思うが?」

「違う、ぼくをこの洞窟に住まわせて一緒に山で暮らすことだ」

なんという図々しい子供だろう。

「……恐竜の肉は、美味いか?」

「食べられるけれど、もう少し味付けがほしい」

「調味料などはない。山で暮らすとなるとこのような食事を毎日することになるのだぞ?」

「う……がまんする」

「その恐竜の肉も、この山ではいずれ獲れなくなるかもしれない。いまはこの洞窟に住むことができても、この辺りの食べ物が尽きてくればそうはいかなくなるんだ。その時は、移動をして別のところへすみかを変えなければならなくなるのだぞ?」

「それは平気。その時は、ぼくも一緒に連れて行ってよ。ぼくが食べるものは自分でなんとかするからさ」

「その体格で、自分で狩りをするというのか?」

「えっと、魚釣りなら……道具さえあれば」

俺は魚獲りの道具をもちろん持っている。それを貸しさえすればこいつは自分の食べる魚を自分で獲ってくるという。

「そうか……悪い話ではないな。だが」

「だが?」

「俺は人が嫌いで山暮らしを始めたんだ。その俺がおまえに心を許すと思うか?」

「え……」

「俺は決しておまえを助けた心優しい者などではない。いまおまえが自殺をしようとしたって止めはしない。それどころか、人間を憎むあまり俺はおまえを殺すかもわからないぞ」

「うん……」

「だから俺を信頼することなく、自分の身は自分で守れ。わかったな」

「……あ……うん!」

そいつは笑顔になって頷いた。

正直、そのうち家が恋しくなって、家に帰りたいと言い出すだろうと思っていた。味付けのない肉や魚に我慢ができなくなるだろう、と。



あくる朝、俺が目を覚ますと、子供の姿が消えていた。おそらく自分の家に帰ったのだろう。俺はこの日の狩りに出かけて行った。

夕方ごろ、俺が洞窟に戻っても、子供の姿はそこになかった。この日は、あの子供に出会うことはなく一日が終わった。

翌朝、俺は珍しく夜明けと共に起床した。そしてだんだん日が高くなってくる頃に、狩りのための道具の整備をしていると、洞窟の入り口に突然、あの子供が現れた。

「ただいま、イーグレカさん」

「ただいまって……おまえがただいまと言って帰る場所はここではないだろう」

「ごめんね、何も言わずにいなくなったりして。心配かけちゃって」

見るとそいつは、何かが入った瓶を両手で持っていた。

「それは何だ?」

「海水だよ。海から取ってきたんだ」

「何だと?」

「この山に、川が流れているよね。その川を辿って海に行ったんだ。塩が欲しくてね。これで味付けのない料理から解放されるよ。なくなったらまた海に取りに行けばいいよ」

そこまでして味付けのない食事を取りたくないのだったら、家に帰ってしまえばよかったのに。

「おい、子供」

「は、はい」

「海水とは、そのままで調味料になるわけではあるまい。加熱して、水分を蒸発させて塩を取り出す必要があるはずだ」

「そうなの? そのままで使えると思っていた」

「本来は、加熱の前にろ過をしなくてはならないところだが……ろ過をするための道具があいにくない」

「ろか……よくわからないけど、火にかければいいんだね?」

俺は薪に火をつけてやった。

「塩を取り出すのに成功したら、イーグレカさんも使おうよ!」

子供は言った。

海水を瓶から鍋に移して煮詰めると、だいたい三十グラムほどだろうか、拙い塩ができあがった。


子供が海水の上澄みを汲んできてくれたようなので、海水に混じっていると思われた砂は、実際はそれほど気になるものではなかった。俺はこの子供が嫌いだが、この子供のおかげで俺も味付けのある食事ができるようになったことには感謝せねばなるまい。

以来、俺は次第に、この子供と一緒に暮らすということが、悪くないのかもしれないという気がしてきた。子供は一向に帰ろうとしなかった。俺は肉を獲り、アルースは魚を獲る。そして夕方、互いに獲った獲物を持ち寄って、食事にする。そういう日々を送ることになろうとは、以前の俺が思ってもみなかったことだった。

ちなみに恐竜の肉は日持ちするので、毎日狩っているわけではない。俺は恐竜ばかりではなく、野うさぎや鹿もよく狩るのだ。アルースが獲る魚は、数が少ないので、獲った日のうちに食べてしまうことにしていた。塩はすぐになくなるので、節約して使って、なくなるたびに交代で海に海水を取りに行った。そんな毎日を、俺たちは送っていた。


そんなある日のことだった。

「イーグレカさん、前に、言っていたよね。人間が嫌いだからこの山で暮らしているんだって」

夕方の食事で焚き火を囲んでいる時に、アルースが言った。

「ああ」

「それって、いまも嫌い?」

「うん。おまえのことはもう嫌いではないが、町に戻って人間社会で生きることは、いまでもとてもしたくない」

「そうなんだ……」

「なぜ、そんなことを聞く?」

するとアルースは、へへっ、と笑って言った。

「ぼく、いまもまだ嫌われているのかなと思ってさ」

「なるほど、そうか」

「イーグレカさんは、人間のどんなところが嫌いなの?」


「一人で生きていけないところ」

ややあって、俺は続けた。

「ずっと、一人で生きられたらいいのにと思っていた。それが俺の理想の生きかただった。だからそれを実現させるために、山に入った」

「…………」

「それが、いまではこのざまだ。どう見ても一人で生きていない。お笑いだよな」

「ごめんなさい……知らなかったの」

「いや、いいんだ。言っただろう。もうおまえのことは嫌いじゃないって。海から海水を取って塩を作るだなんて、俺一人では考えも及ばなかったことだ」

「でも、熱して塩を取り出すことはぼくも思いつかなかった」

ふたりのアイディアだね、と、俺たちは笑いあった。

やがて、夜になっていった。

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