見出し画像

One ear, four year。あれからの3年間と4年目の働き方。

誕生日なのでこの一年を振り返ろう…と思ったのですが、2018年の「One ear, one year」以来3年間、そういうノートを書いていなかったことに気づきました。書きにくい時期でもあって、今年はようやく振り返る心持ちになれたということかもしれません。

2020年、復職した

2019年には耳の不調とその影響と折り合いの付く働き方が可能ということでロボット投信株式会社で働き始めましたが、2020年に1月末に会社都合退職。2020年前半は再就職活動で明け暮れ、最終的には6月に沖電気への再就職となりました。

内定をいただいたSIer様への就職と、再雇用制度で応募して通過した沖電気への再就職の二つの選択肢の中で、当時ちょっとややこしかった家の事情などを考え併せての選択でした。コロナ禍中で採用を進めていただいた両社に感謝するとともに、最終的に辞退となってしまったSIer様にはいまでも申し訳ない気持ちでおります。返せない恩と返しきれぬ恩に生かされて積み上がっていくばかりの人生です。

私にはオフィス勤務に耐えられないときには自宅勤務したり、拘束9時間実働8時間ではなく間に昼寝2時間を挟んだ8時間勤務といった対応ができる働き方が必要なようでした。約1年間、左耳が思うように利かないという状況と向き合い、最終的に大学卒業以来20年お世話になった沖電気を辞することに決めました。

One ear, one year。2018年の突発性難聴と2019年の働き方の話。|塚本 牧生|note

2018年には上記の状況でしたが、働き方改革やダイバーシティ&インクルージョンを目標としたスマート・ワークライフの取組みの一環として、2020年にはテレワーク勤務制度、2022年にはスーパーフレックス勤務制度が導入されました。不健康者という多様性を持つ私も、自宅勤務で不調時には休養時間を取らせてもらったりしながら、2年半働いてくることができました。コロナ禍中のBCPとして加速された感もありますが、育児や介護と両立できる働き方などの意識は高く、逆行することはなさそうな気がします。

パブリッククラウド担当になった

沖電気離職直前は、サーバー仮想化を中心に、主としてプライベートクラウドの観点からクラウドコンピューティングにもタッチという業務内容でした。

復職(当時のチームに戻らせてもらいました)後は、AWSを中心にパブリッククラウドを担当しています。再就職活動中に、前職で身につけたAWSスキルの棚卸と整理を兼ねてAWS認定Solutions Architect - Associateを取得。そこから1年半、純粋にエンジニアとしてパブリッククラウドと向き合い、昨年末には再びスキルの棚卸と整理として、AWS認定Solutions Architect - ProfessionalGoogle Cloud認定Professional Cloud Architectを取得しました。

現在のところ、パブリッククラウドを使用する案件や、社内の学習やSI用インフラへの技術支援を中心に活動しています。言い換えれば、社内の事業部門に対して、スキルや役務を提供する業務ということになります。また2022年に発足したCCoEにも、体制図でいえば「プラットフォーム担当部門」から参加させてもらっています。

小さくモダン開発のまねごとを始めた

俗に「半年ROMってろ」という通り、2020年度は離職期間でギャップのある沖電気の仕事を覚えなおしていました。2021年ぐらいから少しずつ、逆に離職中に身につけたスキルや考え方を仕事に取り込み始めてみました。

  • Infrastructure as Codeを取り入れ、一回限りの構築でも手作業での構築をやめCloudFormationコードを書く。

  • CIのように、AWSインフラを複数人で構築するときはお互いのCloudFormationコードを共有フォルダで毎日共有し、毎朝自分のAWSアカウントにデプロイするところから始める。

  • スプリントのように、インフラ構成変更は実装より前に、その目的を要件定義に、その実現方針を基本設計書に都度反映することから始める。

ロボット投信は全体が新規事業の会社でしたが、沖電気は「両利きの経営」の言葉でいえば「成熟事業」、「ゾーン・マネジメント」の言葉で言えば「既存事業」のウェイトが大きい会社です。業務の卓越性を目指して磨かれ続けてきた(ウォーターフォールと文書での設計寄りの)業務プロセスがある中で、大筋はそのままに少しずつIaC、CI、スプリントの考え方を溶け込ませられるところを探していっています。

スカンクワーク的な取組みでしたが、2022年末には成果を整理して事業部門内の改善表彰的な取組に事例提出するなど、ちょっとずつ社内に公にするところまで来たように思っています。

難聴対策をアップデートした

いろいろあった3年間ですが、その発端となった難聴は(1)右耳軽度難聴、(2)右耳の耳鳴り、(3)音の方向感と距離感のなさ、(4)言葉や話が聞こえるのに聞き取れない、という形で残っています。目覚ましのためのスマートウォッチはFitbit Alta HRからFitbit Charge 4へ。骨伝導ヘッドセットは、AfterShokz AirからOpenCommを経てAeropexへと、代替わりしました。同シリーズだと買換え時の安心感は強いですね。いまはそれぞれ後継機が出ていました。

2022年後半には企業のオフィス復帰(Return to Office)が話題になるなど、徐々に対面の場が戻ってきました。私も11月には集合セミナーと懇親会の参加機会があり、ついに集音機を使い始めました。解決したい問題は音の方向感と距離感のなさなので、「左右それぞれの耳の近くに集音マイクがあるもの」を条件に検討。Victorの「みみ楽」シリーズ初のワイアレス機、EH-W10を購入しました。まだ不慣れで1~2時間程度しか連続で装用していられないものの、人の多いところに行くときには手放せなくなっています。

集音機のことは、またいつかもう少し踏み込んで書きたいと思います。

そして2023年の働き方

今年の働き方を考える上で、前提としてまず3年低空飛行で安定してしまっている難聴とその影響は変わらないと思っています。それから難しい時期(コロナ禍中)に難しい人材(私)を再雇用してくれた今の会社と職場も、なんらかの成果を返せたと思えるまでは働き続けるだろうと。返せるのか分からないけど。

最近やった社内のスキルアセスメントのレーダーチャートを見ると、部門平均が四分野に均等な四角形を描いているのに比べると、私は技術系スキルが高くヒューマンスキルが著しく低い二等辺三角形に近い形を描いていました。この「難しい私」であることも前提にするべきなのでしょう。この二年での「小さくモダン開発のまねごとを始めた」のは、(1)あたらしい技術や方法論を持ち込む、(2)自社になじむか実証実験する、(3)発信するというのが、もっとも私らしい貢献のできる、私にできる、そして長くやってきて組織とのアライメントが取れた働き方だと思ったのです。

離職前は技術を持ち帰ってそのまま紹介する、不連続な移行を求めるスタンスでした。復職後のいまは、既存事業や既存業務に新しい考え方を溶け込ませ、少しずつ変化を広げることを模索し始めているつもりです。2022年にちょっとずつ形になりかけてきた気がするこの方向を、2023年は推し進めて成果にできれば、というのが抱負かな。ここで、この先を頑張る一年になると思います。今年もよろしくお願いします。

――――
ヘッダー画像中の誕生日ケーキ写真はUnsplashM o eによるものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?