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“定位置を作る”という片づけの魔法

二、三ヶ月前に、洗面台下の中身を整理整頓した。洗面用品、バス用品、洗濯用品、掃除用品などの詰替用品は、細身の文具トレーをいくつか買ってきて並べた。収まらない分は、ダブっていたり以前使ってたものの詰替用だけが残っていたりするものを整理した。トレーで縦方向がきれいに一列に並び、横方向もある程度整って、上から見れば碁盤のようにと言えなくもない。

トレーで整頓された洗面台下収納

昨日、洗顔フォームを補充しようと詰替用を出した時、他にも隙間ができてるのに気づいた。上から見れば、大きなすき間にはすぐ気づける。トレーは簡単なグルーピングの役目もしてるので、そのトレーに残ってるものを見れば、足りないのがなにかわりと簡単に思い出せる。石鹸の並びだからハンドソープ、その詰替用だ。スーパーに夕食の買い物に行った時に、これらも補充した。

早めの「ナイカモ」を確実にする

僕の整理整頓術のベースは「超・整理法」と「こんまりメソッド(人生がときめく片付けの魔法)」だけど、どちらもモノには定位置を作ることを大切にする。よく言われるところでは、貴重な時間を探し回ることに費やさないで済むようになるという効果がある。もう少し、興味深い側面もある。近藤麻理恵の「Joy at Work」に、こんな一節がある。

一つの変化は、仕事のスピード。(略)「モノを探す時間が、ほぼゼロになりました。たとえ何かがなくても、同僚に借りるか、もう一度書類をダウンロードしたりすれば、たいていのことは問題ありません。机の中にあるかないかわからないモノを延々探しているより、ないということを早めに自覚した上で解決のために行動する方がずっと短い時間で済むことに気がついたんです」

近藤麻理恵「Joy at Work」p.112

実はこれは案外大切だ。たいていの困りごとには解決期限があって、期限が短いほど解決手段の選択肢が減っていくことが多い。

例えば定時後に1人で「本日中(つまりどう誤魔化しても0時まで)」の仕事をしていたらどうなるだろう。同僚がもう帰宅していてモノを借りれない。書類はリンク切れしてたり「担当者に連絡いただければ折り返しメールで送付」式かもしれない。翌朝の彼らの出社を待てれば5分で済むことが、コンビニに走ったりファイルキャビネットやディスク内を彷徨ったりして、簡単に30分やそれ以上を費やしてしまう。

だから「ナイカモ」に早めに気づくことは大切だ。でも難しい。気づきやすいタイミングの一つは「いま必要」という時だけど、そこで気づいても解決期限が短い。もう一つは使った直後で「使い終わったら片付ける」「使い切ったら補充する」というのは有効だ。でも徹底するのは難しい。人間だもの。

そうした「ついやってしまう」(Fail)に対する補助ロープ(FailSafe)の役割を、「モノは定位置に」が果たしてくれる。近くのものを出そうとして「あれ、ここ空いてるぞ?」と思えば、それが「ナイカモ」のシグナルになる。

「アルカモ」という呪いを解く

ナイカモと思っても、ナイと自覚して行動に移せるかというと、もう一つの落とし穴「アルカモ」が口を開けている。「ナイカモ」から「ある」に戻る流れを図にしてみると、「アルカモ」だけが堂々巡りを起こす。アルカモを否定する「ないことの証明」というのは悪魔の証明そのものだ。そう簡単にはできない。だからアルカモとナイカモを行ったり来たりして、少なくとも探す余裕はもうナイとなるまで時間を使ってしまいがちだ。

「ナイカモ」から「ある」に復帰するまでのフロー

アルカモにとらわれないための魔法も「モノは定位置に」だ。「そこになかったら諦める」という判断材料を与えてくれる。僕は「モノは定位置に」のおかげで、まだ数日は詰替え不要のタイミングで詰替用が「ナイカモ」と気づいたし、ここにないなら「ナイ」とすぐに割り切れた。まだ余裕があったから、ひとまず買い物予定リストに書いておいて、補充は夕食の買い物ついでに済ませられた。その日、洗いたい時に手は洗えて気持ちよかったし、補充のためだけに買い物に行きはせずに済んだ。

もし使いたい時に詰替用も含めてまったくないと気づいたのなら、残念な気持ちを抱えることになったろう。手を洗いたい時に洗えた心地よさ、それを得損たなら機会損失だ。それに我慢できずすぐに買ってきたなら、不要な時間や労力を費やしたかもしれず、それは浪費コストだ。そういう小さな機会損失や浪費コストの積み重ねは、仕事なら一つ仕上げた時の達成感を、暮らしなら寝る前に味わう「今日もいい日だった」という満足感を、ちょっとずつ、くすんだ冴えない色合いにしていく。「アルカモ」が人生をくすませていくのは、まるで呪いみたいだ。

“定位置を作る”という片づけの魔法

片付けとは「定位置」を作ることで、「そこにあるのが当たり前」を作ることでもある。当たり前の状態からズレてれば、アレっと思える。それが「ナイカモ」に早めに気づかせ「アルカモ」を退けてくれる。

僕たちの毎日をくすませないために、片付けの魔法にはそんな機能もあるらしい。もっとも、片づけの魔法はあっても魔法の片づけはない。つまり、片付けのセオリーはあっても、実際の「どの家でもこれでOK」という片づけ方はない。結局やってみて、生活がイイ感じになったかどうかでしか判断できない。

細身トレーで洗面台下収納もそんな試行錯誤の一つで、三か月ぐらいが経ったある日、ようやくその効果を実感できた。この片づけは成功だったようだ。


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