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【作曲者募集中】自薦歌詞紹介

はじめまして、TUCCAと申します。歌詞を書くことが趣味で、いつもはpiaproというサイトで作曲をされている方と組んで曲を作ったり、ごくたまに自分で曲を書いたりしております。(上の画像は"Eliza"のサムネ)

もっと多くの作曲家と交流したい、もっと多くの人に自分の作品を読んでもらいたい、という思いから2年前にpiaproでコラボを立ち上げ、以来ここを中心に活動しており、現在は詩・曲併せて約60作品が弊コラボに投稿されています。

60作品と数字にすると少し感慨深くなる部分もあるものの、その一方で初期の初期の作品になると流石に埋もれてきてしまっているのではないかという危惧がありました。

そこで今回は、コラボに投稿されている詩のうち、まだ曲がついていない且つ個人的に気に入っているものを僭越ながら紹介させていただければと思います。お気に召したものがあれば、是非付曲を検討していただきたいです。連絡はpiapro、もしくはTwitter(@tucca1004pate)まで。

1. Toumin

3年前に書いた作品であり、すなわちコラボ設立以前からあった作品になります。

モチーフは蛙の冬眠。感情や思惑の吹き荒れるような外の世界を飢えと寒さの厳しい冬と重ねて、外界との関係を断ち切るように暖かい部屋で眠る二人を描きました。空の冷蔵庫、燻ったストーブ、二人で「動けないね」なんて言いながら、心では「善くない」と知っている。でも今はこの刹那の幸せに体を預けてしまう。鈍く重たい体でやがて来る春を待つ、永遠にいたい微睡み。

映画にしたら最初から最後までずっと画が変わらないような、ともすれば退屈な風景ですが、だからこその静かに溜まる感情を感じていただければと思います。

構成として特殊な部分があって、Aメロの字数が全てバラバラになっています。本来詞先でこういうことをするのはあまりよろしくないのですが、Aメロは歌うより語りってほしいと思ってこのように書いたのを覚えています。多分当時ハマっていたポエトリーリーディングの影響ですね……

2.蛙たちの忌日に

次は新しい作品から、蛙つながりで。

コロナの影響で故郷に戻ってきてから書いた作品ですね。僕の故郷はほどよい田舎にある住宅街でして、数分歩くと豊かな田園風景に着きます。そういうところにある道に夏の朝行くと、死臭が漂ってくるのではないかと思うくらいの数の蛙が轢かれて亡くなっているじゃないですか。この「蛙たちの忌日に」という作品はそういう風景を歌っています。

眠れ、眠れ、眠れという一文はレクイエムのように響きますが、これは決して鎮魂のために書いてはいないように思います。蛙を心から弔うことは非常に難しいことです。まるで大量の墓標の中を歩いているようだとも言えるのに、そのどれも一つの命が失われた跡として胸に入っては来ません。しかしこの状況の異様さは、秋が燻り始めた空気と相俟って「僕」に思いを巡らさせました。仲間を失った蛙たちの歌は「異教の祈り」として、「止まない悲しみ」として聞こえます。

失った命をあくまで断絶した「綺麗なもの」と言ってしまう人の愚かさはそのままに、主人公は本当のやさしさから最後に「やっと瞼を閉じて眠れよ」と言う、という作品です。歌詞では今述べた情景よりもっと直截的なことも言っていたような気がしますが、自由に感じていただけたら嬉しいです。

3.スカートと入道雲

2年前の作品。もともとは依頼を受けて書いた作品でしたが、書いているうちに依頼主の雰囲気に合わないなと思いボツにした過去があります。けれども個人的にとても好きな作品です。ただそういう背景があるので、できるだけ個性を抑えて(当時の)VOCALOIDで主流の雰囲気に寄せて書いた記憶がありますね。

賢治作品を引用した意図は、やはりテーマがありがちなものになりすぎるのを避けたかったというのもありますが、登場人物の二人の関係性を賢治とトシの関係性と重ねてみてほしかったというのがとても大きかったような気がします。いいですよね、あの二人の関係。宮沢賢治の清廉潔白さ、生命の根源からの純粋さが妹への気持ちにも表れているように思います。

「ああとし子|死ぬといふいまごろになって|わたくしをいつしやうあかるくするために|こんなさつぱりした雪のひとわんを|おまへはわたしにたのんだのだ」(永訣の朝)

とても好きな一節です。

4.月時間

大好きな大坪加奈さんへ最大限の敬意を表して書いた作品です。タイトルの「月時間」というのは、SCLLの"mio"という作品の歌詞からとってきています。

正常な関係とは言えない二人の話。でも根っこには哀しいほど純粋な気持ちがあるのでしょう。こういった刹那的な「二人」の姿、個人的に一番感情がゆすぶられると思っています。これが間違っていることだと知っている、けれども「目を覆って」、「嘘をついて」しまう。それだけの感情の奔流があるのです。

Bメロはその時並行して書いていた定型詩から引っ張ってきています。芙蓉って毎朝代わる代わる咲くので、毎日景色が少しずつ違うんですよね。とてもきれいな花だと思います。

5.faith

数少ない純度100%の幸せを歌った作品です。正直これを紹介するのは非常に小恥ずかしいのですが、眩いなと言う面もちでご覧いただければ幸いです。

相手が自分のことを信用してくれていることが分かった瞬間が一番幸せだというのが持論ですし、割と共通認識だと思っています。「君がゆだねるその全てが、明日を共に待つ」あまりに満ち足りた夜です。

6.まどろみながら

片思いの歌。その日眠りに落ちながら描いた妄想と夢の情景です。1番と2番はちょうど本音と建前のような関係性のように思われます。

1番は夢の景色らしいエロティックとグロテスクの混在したさま。窓を打つ雨音に誘われて頭の中に広がる街の景色、「僕」はそこにずぶ濡れの君を想像してしまいます。そして雨に切り裂かれる君のスローモーション映像。そこに残るのは少しの恍惚と自分への嫌悪感です。

2番は理想を描きながら、この理想が夢の中でしか成しえないことだとどこかで知っている風です。きっと「僕」と君は決して近しい関係ではないのでしょう。しかも、多くの人が普通に手に入れている「幸せ」は、「幸せでも、不幸せでもないような」ものなのに、それすら「僕」は手に入らないのでした。

1番と2番はまるで正反対のような空想ですが、その二つの唯一の共通点はどちらも現実になりえないこと、それを「僕」が知っていることです。そして言葉にするたびに妄想の中で君のかたちは鮮やかに崩れていくのでした。

よくある幸せな片思いの一つです。

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