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箴言の第五章について

知恵の道に行くのか、悪の道に行くのか。
いよいよ、分かれていく。
神に従う妻の道か、神から隠れようとする遊女の道か

僕の記事の第五章はこちら
できれば、見比べながら読んでください!

この章でも同じことから始まる。
「知恵に心を留め、悟りに耳を傾けなさい。」
そして、それは、
「慎みを守り、唇に知識を保つため。」
→ここに、
 知恵という存在を心の中に見、
 そこから悟りが導きとして発せられ、
 慎み、深く考えることに導き、
 知識を与える
 というイメージがある。
※13節には教師とある

逆に、「遊女」の導き(無自覚)は
→言葉は初めは滑らか、だが苦く剣のように鋭くなっていく
→死に、破滅に導かれていく。

この「遊女」が何を意味するのか。
→罪の誘惑、悪への誘惑ではないだろうか。
 悪人は自覚せず誘惑し、死へ誘う。

だから、そこから離れてくれ、と警告する。
その終わりは虚しさに満ちている。
富も労苦した結果も、人のものになる。


「水」
ここに心の中の命の泉のイメージがつながる。
「自分の水ためから水を飲み、自分の井戸から湧き出す水を飲みなさい」
→人の言葉に誘惑されてはいけない。

そして、あなたの泉を外に撒き散らすな、という。
自分だけのものとしなさい。
他の人にどう与えるかではなく、自分に与えられるものをまず受け取りなさい。
聖霊は自分だけに語るのではない(パウロのどこかの手紙でも言っていた)、その他の人にも同様に語られる。
人に伝えることを焦ると歪むということ。


妻↔︎遊女

妻:知恵の道
遊女:悪の道
とも言えるだろう。

妻に集中して、存分に楽しむこと。
泉の祝福→湧き上がる愛:(雅歌)愛の自ずから起こる時までは、、
愛は喜びとなる。

遊女に行く道も主の目の前にある。
すべて見られている。
それた結果は自分に帰る。死と滅びに終わる。


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第五章では、

知恵、悟り、慎み、知識の関係

妻と遊女、知恵と悪 対比

自分の泉から飲み、自分の泉に集中する
妻への愛もそこから→喜びとなる

を教えている。

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