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『若い父親のための10章(If I were Starting My Family Again…)』+決意

ジョン・M・ドレッシャー著
辻紀子 訳

この本に感銘を受けたので、そのまとめと、
決意をここに記そうと思った。

出会いは教会でのメッセージ。
「愛することの出発点」について

一つは
「すべての人を自分よりも優れたものとしてへりくだること」(Ⅰピリピ2:3-8)
(これは「自分はダメだ、ダメだ」と言うことではない。自分が教えられるという姿勢を持つということ。そしてすべてが神に与えられた機会だということを知るということと思う)

ちなみに「かえりみる」という単語が出てくるが、これは「チラッとみる」ということではなく、
「弓を引く人が的を一身に見つめるように」というのが元の意味だとか。深い。子育てでも心を向けることが大事なのだ。

もう一つがこの本の5章『家族のために祈るのをやめること』からだった。
その意味はこれだ。
「相手を変えるのは自分ではなく神だ、相手を変えたければ自分が変えられるように祈る」
詳しくは下で。

ちなみにその時の聖書箇所はⅡペテロの1:5~11
徳とは、自分の間違いを素直に認め、あらためる生き方のことだ、というのも深かった。

以下、本のまとめと決意。

第1章 妻をもっと愛すること

自分が妻を愛していることを子どもたちに示すこと。
両親が互いに愛し合っていることを子どもが知っている時、
子どもは安心感、安定感、人生の尊さを感じるのだ。
そこに細かい説明は不要になる。子どもは真実の愛を見分けることができるようになる。
両親が愛し合っていることを子どもが感じている時は、子どもの愛も豊かにされるのだ。
私たち(結婚後の夫婦)はもっと感情豊かになる必要がある。

【決意】
妻への愛がさらに増し加えられるように祈る。焦らず待つ。
愛が目覚めたいと思うまでは。
照れずに言葉にすること。ありがとう、と思い伝えること。


第2章 子どもと笑い合う時を持つこと

「子どもを育てる一番の方法は、子どもたちを楽しくさせること」
   By オスカー・ワイルド
子どもたちと笑い転げた思い出が家族のつながりを感じさせる。
楽しさは全ての良い情緒の苗床、楽しさがなければ、圧迫感が生まれ激しい怒りや緊張感を生み心が未熟なままに萎縮し不愉快な気質になる。

自分自身を笑える人間に、自分の欠点や失敗を笑える人間になりたい。あまりに生真面目に自分自身を扱うから、とげとげしくなり自分で自分を傷つきやすくしている。

仕事と遊びと笑いとを混ぜ合わせることが重要である。共に笑うことは、共に愛し、共に仕事をすることにつながる。
誤った判断に基づく厳格さで、子どもたちを疲れさせてはならない。

【決意】
楽しむことを大事にしよう。イベントも自分が一番楽しむ気持ちで。背負い込みすぎないこと。
ただ、ダメだと思ったことは焦らず勇気を持っていうこと。


第3章 良い聞き手になること

私たちは、子どもの話を聞くのに、聞き上手でないことが多い。忙しく、大抵疲れている。子どもの話がつまらなく感じてしまう。
しかし、子どもの話を聞くことによって目が開かれることは多い。

父親が落ち着いて、思いやりを込めて聞いてくれたことで、恐れが静まった経験がある。

子どもが話をしにきたら、読みかけのものをわきにおいて、さえぎったりせず、忍耐強く聞くこととしたい。
愛と思いやりと信頼を示すことのできるチャンスなのだ。
「自分にはどうにもできないじゃないか」と思ったとしても、共に悲しむことはできる。それだけで子どもは嬉しいのだ。

「第三の耳」で聞くこと。
言っていること以上に、何を感じているかも知ろうとしたい。
しっかりと、言葉以上に語りかける、子どもの目を見つめて聞くこと。
やがて大きくなってからでも親の言うことに耳を傾けるようになるために。

【決意】
子どもから学ぶ姿勢を持ち続けたい。
子どもを、この目でしっかりと見ることにしよう。


第4章 もっと正直であること

自分に正直でありたい。
時に親は子どもに対して、巧妙な悟られない方法で、自分たちの弱さを隠す。
自分たちが完全で間違ったことがないような印象を子どもに与えることが良いと思っている。

子どもは正直に話してくれた親に、愛や尊敬を深める
両親も同じように戦い誘惑に苦しんできたことを知って勇気づけられるのだ。
子どもが弱さを見せた時には決して叱ってはいけない。
ただ、自分の失敗や悪行を自慢めいて話すことは違う。

正直さは、互いに欠点を認め合える暖かさのある開放的な家庭にする。
たとえ両親が言い争うことが多い家庭であっても、表面的に取り繕って心の内に敵意を持つ家庭よりはましだ。
子どもはその敵意をすぐに感じ取り、隠されていると扱いに戸惑う。
たとえ喧嘩になっても、その後の愛とゆるしを子どもは見るのだ。

子どもに完全主義を強いるなら、子どもは不安とみじめさに打ちのめされることになる。

【決意】
ごまかさない、いきがらない、こびへつらわない。
あとからでもいい、逃げずに告白しよう。損してもズルはしない。


第5章 家族のために祈るのをやめること

タイトルに驚かれることだろう。言いたいことは次の意味だ。

それまでの祈りは、子ども達や妻を”良く”変えてください、というものだった。
ところが、ある夜、突然、この祈りはやめなければいけないと思った。意味がないと感じた。
子ども達が愛や思いやりを以前よりも失っていたのだ。
その祈りをやめなければ。

まずは父親としての私がキリストの愛を体験し表せるようにと、祈りを変えた。
妻を良い妻にしてください、ではなく、
夫として妻を幸せにするために何をしたらいいかを示してください、
と祈るようにした。
つまり、私こそ、神様の恵みと助けを受けるべき人間だと自覚したのだ。
家族についての祈りは、基本的に感謝の祈りとなった。

結果、家庭の雰囲気が変わり、子ども達の心もなごやかになった。
家族をありのまま受け入れることだ。
自分が家族を変えようとする時、抵抗と摩擦が生じるのだ。

他の人を良くするのは、私がすることではない。神様のなさることだ。
私がすべきことは、他の人を幸せにすることだ。

【決意】
自分が神に変えられることを喜ぶ。自分に何ができるのか、何を学ぶべきなのかを考える。
神に与えられているものを注意深く見、感謝すること。
心配になるのは仕方ない。でもそれを神の前に正直に祈った後は手放すこと。
教えるのではない、教えられるのだ。


第6章 家族と一緒の時間をもっと増やすこと

同じ屋根の下にいながら、遠い世界に生きている家族も決して少なくない。
「家族が一緒だ」という感覚が、心の安定感、愛情、理解共感の基盤となる。

「共にいる」ということは、
家族の一人一人が、互いのために時間を持つということだ
共に生きているという思いを作り出す言葉や行為のこどだ
1日の終わりに「今日は、いい日だったね」と言い合えることだ

【決意】
家族の時間を、他のことを見ることをやめて、大事にする。
共にいられる感謝と、好意を言葉にして示していこう。丁寧に。


第7章 子どもたちに励ましを与えること

家族の者への感謝や、褒め言葉を表すこと、励ましを積極的にすること。
子どもの過ちを叱ることがどうしても多くなってしまう。

小さなことにも目を留めて良いことであれば、私が気づいて喜んでいることを言葉に表し気持ちを伝えよう。
そのチャンスは、とても多く父親に与えれている。

子どもにとって、お世辞ではなく真面目に、親から褒められることほど嬉しいことはない。
生きている喜び、何かを成し遂げることへの励み、自信を得るのだ。
褒め言葉は、人生の麗しさ、幸せ、あたたかさを感じる心を育むのだ。

逆に、荒い言葉は子どもの心に傷を残す。
批判やあら探しは子どもの自信を失わせる。

「人間性の最も深い基盤は、人に褒められたいという願いである」
   By ウィリアム・ジェイムス
子どもが持っている才能や可能性を育てるために、
父親も励ます能力を訓練し身につけなければいけない。
キリストは常に、これからどうなるのかという可能性を見ておられたのだ。

感謝と励まし、褒めることを心がけたい。

【決意】
子どもをよく観察し、感動する。
「すごい!」と素直に伝えることにしよう。
「ありがとう、助かった」と伝えよう。


第8章 小さなことに、もっと気を配ること

ごく小さな事柄にも、もっと誠意を込めてありたい。
小さなことで人生は動くのだ。

父親達は、人生の大きな問題に立ち向かうことは得意なのかもしれない。
が、日常生活の小さな事柄に誠実であることは苦手だ。

小さくてもあたたかい愛の行動を軽んじてはならない。
手を触れること、励まし、優しい抱擁は、信じられないほどの働きをする。

子どもの小さな痛みに注意深くいたい。
そして愛の言葉と行動を家族に表したい。

「おまえはいつでもこうだ」などという不平不満はよくない。
言い方にトゲがあり、相手の積極性を破壊し、心を引き離す。
子どもの受ける痛みは、大人達が忙しさにかまけて発した冷たい言葉だ。
助けることを面倒くさがらないようにしたい。

小さなことに大きく心を込める者でありたい。

【決意】
助けることを面倒くさがらない。
小さなことに誠意を込めて取り組もう。
よく観察したい。デジタルには注意を取られることに警戒をしよう。


第9章 家族の一体感を深めること

子どもは、
この家庭に属する家族の一員であり、愛情といたわりが子どもに注がれ、その子からも愛が引き出される
と確信させられなければならない。
そうでないと、子どもは家庭以外のところに自分を結びつける場所を探すことになる。
家庭に属している実感がない時に、子どもは孤独、不安定、愛情の欠如を感じる。
逆に家族の大切な一員であると知っていれば、社会に出ても堂々とその中に入っていける。
受け入れられていると言う確信が、他の人を受け入れる能力を養っていく。

家族でキャンプに行き、嵐に襲われた時、みんなでサメの歯を探した時など、
何かを成し遂げるために一人一人が役目を担っている時、家族の一体感を実感する。
少し複雑で困難なことを共に実行する計画を立てると良い。

最も良い機会は食事だ。その日の出来事や体験を話せるから。
また、子どもたちの寝る時間だ。1日のうちの最も楽しい時間にできるから。

家庭の中の仕事や責任分担に子どもを参加させることも有効だ。
家族の幸福のために自分が重要な一人だということを子ども知ることが大事だ。

家族の一員であるという実感は、他のどんなものによっても与えることのできない精神的安定感を与える。

【決意】
家族にとって大事な存在だと伝えよう。「ありがとう」と言おう。
困っていることを子どもにも共有しよう。子どもにも信じて頼ることをしよう。
小さなハプニングのある旅行に行こう。


第10章 神様のことをもっと語り合うこと

私が信じ、仕えている神様について語り合いたい。
私たちは霊的な存在だ。神に導かれて生きる。

堅苦しくではなく、折々に、日常の思いがけない出来事などを通して、神様について語ろう。
子ども達の生活に合わせて話すことだ。小川の流れ、野の花、夜空の星、虫の声を見て聞いて、神に目を向けるのだ。

子ども達は自然の世界や霊的な世界に鋭敏な感受性を持つ。
神様は愛に満ちた方であることを教えよう。時にまるで、敵対する恐ろしい方のように教えてしまうことはないだろうか。
聖書を子どもたちに教える時に、子どもの生活に結び付けて話すようにしたい。

「神様に嫌われるよ」と、神様をしつけの道具にしてはいけない。
子どもは親の愛を通して神様の愛を具体的に知る。

家族を通して、神様の慈しみと愛と慰めを体験していくのだ。

【決意】
神様について、素直に感じたことを伝えよう。
上から話さない。知識で話さない。
そのために自分が神様を知っていこう。

以上

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