小説『小説家』 第四話
第四話
『いきつけの喫茶店のマスターに拾われた男は、コーヒーの香りに顔を顰めた』
「この一節はおれだよ。
こいつはいっつも営業後に来るんだよ。
このコーヒー自慢のおれの店にだよ。コーヒーの香りが苦手だからってさ。
こいつとは昔からの腐れ縁さ。おれも昔は小説なんかを書いたりしていたんだ。
こいつはこの店に、メロンクリームソーダとナポリタンを目当てに営業後にくるんだ。
まぁ、家族みたいなもんだね。」
また隣の部屋のあの子が、目の前で目をキラキラさせている。
まさか、この店でバイトを始めるとは……。
大学の頃の仲間がやっているこの店は、間違いなく一番時間を過ごした店だ。
特に営業後に。
おれはコーヒーが飲めない。
飲むとお腹を壊すし、何度も飲んだけど苦くて好きになれなかったんだ。
でもこの子の前ではやめてくれよ。恥ずかしい。
メロンクリームソーダは夢の飲み物だ。
何回飲んでも、小さい頃の憧れが薄れることはない。
そしてこいつのナポリタンがまた美味いんだよ。
「次郎、いつものだ」
次郎が言った通り、次郎は家族みたいなもの、いや家族より大事な友達だ。
初め、そんなふうに思うのは照れくさかったが、ある時ふとそう思って、照れるのもやめようと思った。
大事なやつは大事なやつだ。
「今日は、あおいちゃんに作ってもらおう」
次郎はにっこりと笑って言った。
この子はあおいちゃんっていうのか。いいね。
「あ、いや、バイトの時間は終わりか」
「いえ、いいんです! 私、作ります!」
「もちろん、残業代出すよ。この小説家先生がね」
ぐっ。
パタパタと作り始める彼女。
良い匂いが店中にたちこめ、コーヒーをかき消す。
次郎のナポリタンが食べられないのは残念だが、
これでゆっくり話せる。
新しい小説を書く時はいつでも、最初に読んでもらうんだ。
編集には、なかなか真っ直ぐ思いを伝えられないものだ。
長い静かな時間が流れる。
「ふーっ。」
次郎が顔を上げる。
このときの目で全てがわかるのだ。
よかった。この話は面白い。
「これは、、、、いいな!」
「そうか、、、、そうか!
あのな、この男はな、、、、」
一回誉められるともう何をいうのも恥ずかしくない。怖くない。
思いついた経緯、男の背景、これからの展望、全てを早口で話した。
息継ぎをほとんどせずに思いの丈をぶちまけ、それを次郎が大きく包み込んでくれた後に、ナポリタンがやってきた。
もしかして終わるのを待っててくれたのだろうか。
でもナポリタンは熱々だった。
「う、うまい!」
驚くほど美味かった。
あおいちゃんは嬉しそう。
次郎も嬉しそうだった。
少し多めにお代を払い、あおいと共に店を出た。
アパートまでの帰り道、特に話すことはなかったが、特に話す必要はなかった。
次郎に話したことで新しく生まれたアイデアもあった。それを深めるには心地よい静けさと安心感だった。
月の下、二人、ゆっくり歩いて帰った。
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