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散策記録 No,01 芥川龍之介がみた江戸・東京

 序 隅田川に架かる両国橋

 両国橋へ、足をすすめる。隅田川(大川)へ近づいてゆくにつれて独特の空気感が鼻孔をくすぐる。両国橋を渡り始める刹那に、その空気が自分の肺を満たしてゆく感覚がした。それは、大自然の空気を吸い込むというようなものではなく、酸欠の脳内に血液を流し込むような。たばこを吸った時の安堵に近い感覚のような気がした。それは、気のせいだったかもしれない。そう思い、ふと立ち止まりかけた足を前に出して、橋を渡る。深い青色の空には、綿をちぎった様な雲が流れている。両国橋のうえでは、川の流れるや街の音が響いていた。不意に後ろに何かを感じた気がした、振り返るが誰もいなかった。なんてことのない、気のせいだった。橋の下を流れる川と、空の色合いや雲の流れは、過ぎ去ってゆく時間を感じさせる。この川は、歴史を幾度も重ねた街と共にみていて、今現在も、変わりゆく時代と共に様変わりする街と人々をみているのだろう。この記事を書くために、記憶を手繰り寄せながら書いている今、そんな言葉が(すこしの文章を書くことに対しても、考えすぎな性分のせいかもしれない)ストンと落ちてきたのでそのまま書くことにした。

 一 回向院とお神輿

 両国橋を渡り終えた自分は、向回院という寺院へ向かう。以前からSNSをきっかけに行こうと考えてはいたが、なかなかお参りできなかった寺院であった。明暦の大火の被災者の為の寺院で……ふと、母から聞いた「消防車をみると、良いことがあるように思いなさい」と、言う言葉の裏側を理解してしまった気がした。生きているって、千切れるほど痛いのに、今の自分には生きていたいが勝るから不思議だ。物事を理論的に理解するのは簡単なのに、その向こうにある不確かな鼓動や輪郭のない人々のひとりに目が合いそうになると不意に不安になる。ぐらついた眩暈を感じつつ、その鳥居の横で大きな三本締めが聞こえ、観てみればお神輿を担いだ男衆たちが「わっしょい、わっしょい」と担いでゆくところであった。活気ある声にチカラをもらい見送って。進んでゆくと大きないちょうの木が、目の前にあった。自然と落ち着いた気持ちになった。何枚か染まり切らず落ちた青い未熟ないちょうの葉が今の自分に似ていて集めては、手帳に挟んだ。次、訪れる時は秋色に色づいた頃に訪れたい。白昼夢の足取りで、自分は目的の特別展示の場所へ向かう。急がないと、時間がない。そう思うと、様々なことを忘れていた。

 話が逸れるが、私は道中でフィレンツェの街の中心にあるメルカート・ヌオーヴォ(新市場)のロッジャ(開廊)に、フィレンツェのシンボルともいわれる「イノシシの像」と親しまれてきたものと同じイノシシの鼻を撫でてきた。そのうち幸運が降り注げばいいな。と、ぼんやりおもいつつ向かっていたら、目的地の道と逆方向に向かっていて、ほんの少しだけ惑った。

 二 迷子だった私と、不安定な自分。

 今の自分は迷子になんか、なったわけじゃない。ふと、足元がふわついているのは。歩きすぎたせいだ、そのはずだ、けれど、そうじゃない気もした。
 すこしぐらっとして躓きかけたが、転げなかった。

 眩暈。

 その言葉を思い出していた。
 濁声が、鼓膜の内側に張り付いているような気がする。揺らぎ、反響する脳内がなにかを訴えている。書かなければ、消えてしまうような。そんな泡沫にも似ている、が、しっかりとした濁声であったきがする。

 コンビニで購入したミネラルウォーターで水分を補給して。すこし赤信号で休憩をしたらそんな幻聴はすっと消えていた。そういえば、私が墨田区に初めて訪れたのは、高校生の卒業旅行。自由行動で迷子になり。集団からはぐれたんだった。その時も、私は眩暈を感じていて、ぼうっとした心持で散策をしつつ模索したら、どうにかこうにか集合場所の浅草寺に辿り着いていた。という記憶がある。そのはずなのに、今年の二月にホームで気絶をしてから自分の過去の記憶を遡るとき、他人の思い出を俯瞰して見ているような心地がした。記憶はあるけれど、思い出は忘却してしまって。新しい記憶が脳の皺に上書き保存され、過去はそっと薄まってセピアになると聞くが……私の場合は、そうじゃないらしい。もう、私には語れる思い出がない。そんなことを考え終えると、眩暈という言葉が再び頭に浮かんで、何度も何度もぐるぐるとしていた。たばこを三日前から一本も吸っていないせいだろう。たばこと塩の博物館に辿り着くと、館内は涼しかった。私は安堵し、特別展示室へ向かった。
 考えすぎ、考えなくていい。前さえ見て歩けばいいだけなのだから……。

 三 特別展 芥川龍之介がみた江戸・東京

 展示室は、基本は撮影が禁止とされ。展示内容は、絵葉書や浮世絵。芥川龍之介氏の作品や言葉。江戸から東京に大きく変動してゆく歴史や、ゴールデンバット他、朝日や敷島。日本で初めて動力飛行機が飛んだ1910年の5月(初飛行は12月)10本入りの缶が発売されたその缶が展示されていたり。江戸から昭和初期までのたばこの歴史としても面白い展示でなんどもみているうちに閉館30分前のチャイムを聞きながら。一階にあるお土産コーナーへ足を運んだ。様々なグッズやポスターなどがあり、面白いなと感じた。次回、また訪れる際は喫煙室にて煙草を一服したいなと考えつつ。帰宅した。その帰宅途中、牛嶋神社大祭の鎮魂座の列に遭遇した。牛がお神輿を引っ張っていた。ふと、そこから夏目漱石氏の展示でみた、東京大学英文科の学生であった芥川龍之介氏に宛てた手紙の文章のひとつ
 "むやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。をふと記憶の断片が覚えていた。もしも、そんな風に堂々といられたら、どれほど良いだろうか……と、考えたけれど、そう、うまくゆかないんだろうなと思いながら吸った莨は、私に安心感を与えてくれた。まあ、そう、書いてみなくてはいけないな。と、思い。記事としてまとめてみたが、酷い散文になった気がしている。

文・写真:辻島 治
令和五年 九月十六日(土曜日)

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