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やらない理由なんていくらでもわいてくる

三十路女子研究所のつじりです。

今日は何か新しいことを始める時に、ブロックがかかってしまう自分の心理状態を紐解いてみようと思います。

どうしてやりたいと思うことに躊躇してしまうのだろう。

年齢を重ねるごとに、新しいことに対して抵抗感があるひとがいるという話を聞いたことがある。

しかしどうやらわたしはそうではないらしい。

物心ついたときからずっとそんな感じがする。

幼少期から好奇心旺盛でやりたいことはとりあえずやる性格だったと思う。

でもいつからか「本当にこの道でいいのか。」と不安になってはもやもやしていた。

仕事を辞めて、フィリピン留学に行くと両親に話したときも、「フィリピンは危険な国だからやめたほうがいい。今の仕事でも十分海外のひとたちと仕事ができているから、いいじゃないか。」と言われた。

両親の言いたいことは、痛いほど理解できる。

大切な娘が知らない国に行くこと、大企業という安定を捨てて無職になることは理解しがたいことだということを。

わたしは両親を安心させるために、学校のことやわたしが行くエリアについての情報を提示し、金銭面についてもできる限り説明した。

しかし、どれだけ話しても感情論の返事しか返ってこず、「何が心配なのか具体的に教えて欲しい。」と言っても平行線のままだった。

それからいろいろとあり、結局わたしはフィリピンに行くことになるのだが、内心は不安で不安で仕方なかった。

両親の言葉に何度もこころはぐらついた。

理由は幼いころから両親の言うことに間違いはなかったし、信じてきた。

でも、ふと今回の両親の意見は正しいのだろうかと疑問に思った。

二人はフィリピンに行ったことがない。

無職になったことがない。

どうして経験したことがないひとにわたしの未来がわかるのだろうか・・・。

というか、どれだけわたしより長く生きていたとしても、誰も明日のことでさえもわからないのではないか・・・。

こんなことを書くと人生の先輩の言葉を軽視しているように聞こえるかもしれないが、決してそんなことはない。

わたしは両親のことを尊敬しているし、わたしの知らない世界をたくさん見せて聞かせてくれたこと、どれだけ感謝してもしきれない。

ここまで何不自由なく育ててもらえたことは尊いことだと思っている。

しかし、先ほど書いたようにやったことがない未来は誰もが予測不可能なのである。

それならばわたしはフィリピンという国がどんなところなのか、30歳無職で留学することがどんなものなのかを体感してみないと答えは出ないなという結論に行き着いた。

両親は本当に不安だったと思う。

もっともっと言いたいこともあったと思う。

でも、結果として送り出してくれた。

フィリピン留学はわたしの人生を大きく変えるターニングポイントになった。

東京に来ることもなかっただろう。

ある時母に「あなたがわたしの世界を広げてくれた。」と言われた。

わたしは母の知らない世界を、母はわたしの知らない世界を互いに共有できる仲になった。

タイトルからかなりずれてしまったように思うが、つまりわたしが言いたいこと。

それは、わたしの人生とは何なのかを追求し続けることが人生ではないかということ。

学校の勉強のように、答えがひとつではないからおもしろい。

ひとの数だけ人生があるから、ひとの出会いはおもしろい。

「○○したら、あなたの未来は●●になりますよ!」って言われる人生って幸せなのだろうか。おもしろいのだろうか。

そんなことを言いながらも、きっとわたしは新しい一歩を踏み出すとき足が竦むだろう。

失敗や傷つくことを恐れるだろう。

今までたくさん経験してきたように、辛く悲しいこともこの先もあるだろう。

でも、今こうやってここにいる。

一見ネガティブに思える経験も、わたしの中のデータとなって引き出しに収納されている。

未来は自分次第でいくらでも創っていける。

つまづいたときは、自分の引き出しを引っ張り出してみたらいい。

それでも見つからなければ大切なひとたちのお知恵を拝借させてもらえるよう、お願いしたらいい。

挑戦しなければ、傷つかないし、失うものも少ないかもしれない。

その代わりそれ以上のものは得られない。

さぁ、ここまで書いたわたしに問いたい。

どんな人生を送りたい?



最後までお読みいただきありがとうございました。

三十路女子研究所

つじり



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