手放しとわたしの人生の相関関係
三十路女子研究所のつじりです🌿
先日アップした英語の話ですが、長くなりそうなので少しずつ更新していこうと思います🙇♀️
Podcast第116回で手放したものや習慣について話しています。
気になる方はトップ画面のリンクからお聞きいただけます🙏✨
今回はこちらのnoteで、「手放し」をもう少しわたしなりに深掘りしてみようと思います🌱
他人軸というものさし
わたしは物心ついたときから、周りの目や相手が求めている回答や振る舞いをしないといけないと思っていました。
そのように思った原因はいろいろあって思い出せないのですが、ひとつ覚えているのは小学校の授業でのひとこま。
先生が「あなたの夢はなんですか?」とクラスで質問しました。
その頃のわたしは活発な児童だったので、勢いよく手を挙げて「わたしは鳥になりたいです。」と答えました。
するとクラスメイトがくすくす笑いました。
他の子はお花屋さんとかサッカー選手と答えていました。
その時わたしは「え。わたし間違えた?」と思いました。なんだかすごく恥ずかしかったです。
それからというもの人前で発言するのが怖くなりました。相手の求めている回答をしないといけないと思うようになってしまったのです。
幼い頃の記憶は時としてとてもやっかいで、長期間わたしを苦しめました。
そして、いつしかわたしは自分のこころが本当に求めているものを見てみぬふりをして、大多数や社会が良いとしているであろうものに乗っかって生きていました。
損得勘定やお得そうだと思う方を選択するようになりました。人生の選択や人間関係も。
自分のこころを置いてきぼりにしてまでも、わたしは何にしがみついていたのでしょうか?
それはひとの目が怖かったのです。また笑われたらどうしようと怯えていました。マジョリティーから外れたら終わりだなんて考えていたような気がします。
でも自分が楽しめないことをすればするほど、こころは傷つき、わたしという存在がわからなくなりました。
全て手放してみた
そんな自分に嫌気がさし、30歳を迎えるに当たり全てを手放して自分にこころのままに生きよう!と急に思い立ちました。
英語の勉強もそのひとつ。
仕事で必要であろう最低限の勉強はしましたが、それ以外は一人旅に出たり、海外の友人と遊んだり、映画を観たり、自分の気持ちが赴くままに行動しました。勉強という感覚はありませんでした。
だから座学として英語と付き合うことはほとんどなくなりました。
わたしには苦手なものだったので。
長い間無意識のうちに勝手な固定概念に縛られていました。
でも英語という生物(ナマモノ)との付き合いはわたしを身軽にしてくれました。
わたしは英語との付き合い方も勝手に自分自身を縛っていたようです。
誰にも何も言われていないのに。。。
また約一年間無職になったことも大きな手放しです。
でもなんか、生きてる感じがしました。
いい風が吹いているぞと根拠のない自信がありました。
手放せば入ってくる法則
わたしは今までのキャリアや積み上げてきたものなど、レールから外れることが怖かったです。
今思うと全然大したことないのに見栄やプライドだけはやけに高かったのです。
あーめんどくさい人間。。。
だって全て失うと思っていたから。でも違いました。
不要なものを手放したらスペースができて、新しい風が入ってきました。
風通りがよくなりました。
こころから楽しいと思えることに正直に、無邪気に笑えるようになって生きるのが楽しくなりました。
自分の足でちゃんと歩いているって感覚がありました。
“わたし”の人生はここからかも。
他人軸→自分軸
目には見えない他人軸の生き方を手放したら、軽く軽くなりました。
そもそも世間一般がよいとしていると思い込んでいる価値観というものは、わたしの幻想でしかありませんでした。
◯◯会社に勤めるわたし、◆◆の資格を持つわたし、△△に住むわたしって素敵って思っていたのかもしれません。
わたしの場合は自分に自信がなかったので”武装”することで自分を保とうとしていたように思います。
でももしも社会の価値観が大きく変わって、それらに価値がなくなったらわたしも価値が消えちゃうの?
そんなことはありませんでした。
わたしは生き生きしていました。
“わたし”という人間は”他の誰でもないわたし”でしかなかったのです。
それだったら、わたしはわたしという人間をこころから愛し、こころが喜ぶことをたくさんしてあげようじゃないかと思うようになりました。
他人軸を手放したらこんなに見える景色が変わるなんて、若い頃のわたしに教えてあげたかったです。
そうそう、わたしの夢であった「鳥になりたい。」っていう発言はあながち間違ってなかったのかも。
わたしは軽やかに鳥のように飛び回りたい。
それがわたしの真の願いだったのかもしれません。
手放すことは一見ネガティブに見えて、そうでもないのかも。
さらなる手放しは今年に入ってからもありました。
これはわたしの人生史上1、2を争うほどヘビー級の超ヘビーだったので、時が来たら綴ろうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました🕊🌿
三十路女子研究所 つじり🌿
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