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「何者か」になりたかった。

この5年間ずっと「何者か」になりたかった。しかし、無理に生き急がなくても自分らしくやりたいことを突き詰めていると、「何者か」になれるんだろうなと思ったという話をしていきます。


「何者か」になりたい

ここで言う「何者か」というのは、私の中ではインフルエンサーや社会を変革していく起業家のような、人々に影響を与えることができる存在を指しています。

熱量に溢れ、周囲に大きな影響を与える彼ら。時には社会的なムーブメントを起こしている姿に憧れを抱いていました。


そう思ったきっかけが私にもあります。5年前に病気が完治した時です。

自分のことを特別視し、「こんな大きな病気から回復した自分は何か特別な使命があるのではないか」と思っていました。


「何者か」になりたい一心で、人からの承認を貰うことに必死になっていたのかも知れません。

他者に影響を与えたいという想いもありましたが、どちらかというと「自分自身の過去を書き換えたい」「「何者か」になるために自分を見て欲しい」という気持ちが強かったように感じています。


「何者か」になりたかったので、ひたすらに読書をしたり、プログラミングをやった方がいいのか、それとも動画編集をやった方がいいのかと正解を探す日々が続きました。

Twitterのフォロワーが1,000人を超えたら、インフルエンサーになるためのスタートを切ることができるのではないかと考えた時もあります。

どれをやったら「何者か」になれるのかを常に模索していて、精神的にもしんどかったです。


意識しなくても、誰かの「何者か」になっている

そうしてぐるぐると思考を回していた日々でしたが、下記のように感じることがありました。

それは、「特に意識しなくても自分の好きなことを突き詰めていれば、誰かに影響を与えることができているかも知れない」ということ。

きっかけはTV番組「生きるを伝える」を見てくださった方々からの声や、私の元気そうな姿に励まされたと言ってくれる方々の存在です。

ただ私が元気に活動をしているだけで励まされる人がたくさんいたのだと知ることができました。


「何者か」になろうと無理に藻掻かなくても、等身大の自分だからこそ、与えることのできる影響は案外多いのかも知れない。

そんなことを考えることができるようになりました。


自分らしく生きることの許可

だとしたら、自分らしくやりたいことを突き詰めていくことが、自分の使命を果たすことなのかも知れないと思うことができました。

「何者かに」なろうと気合いを入れ、自分の感情を殺すのではなく、ただ好きなことを突き詰めているだけで、自分の使命を達成している。結果として、誰かの「何者か」になっている。

そう考えることができると、今までの自分を赦すこともできますし、これからもより軽やかに生きていくことができるなあと感じています。


「ただ自分らしく生きることが、自分の使命を達成すること」であり、結果として、誰かの「何者か」になっている。(再掲)

これは本当に大きな喜びであり、大きな発見でした。

過去の自分のように、「何者か」になろうとして自分を苦しめている人がいたらこの記事を読んでくださると嬉しいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!



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