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「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」のつくりかた【編集稽古】その2


「もみほぐしは演技に置き換え可能か?」の問いをもとに、見ているだけで体がほぐれる演技「ほぐしばい」の探求を続ける俳優・辻村優子。
その新作「ほぐしばい~よみほぐし実践編~」は、4月21日に無事幕を下ろしました。たくさんのお運び本当にありがとうございました。

本作では、観客は施術台の上で横になり、テキストの発話と手技による施術を組み合わせたパフォーマンス「よみほぐし」を体験します。発話されるテキストは、複数人から採取された言葉によって構成されており、いくつかの(実際には)存在しない景色を描きます。辻村の口から語られるイメージは、手技によってもたされる固有の感覚と交差することで、どのような〈景色〉を立ち上げるのか。「ほぐしばい」プロジェクトの集大成となる、リラクゼーション型パフォーマンス最新作はいかにしてつくられたのか。

【編集稽古】その1に引き続き、【編集稽古】その2をお届けします!


■上演テキスト(プロトタイプ)公開!

2月の中旬の1回目編集稽古から2回目までの間に、最後の文章稽古と演出稽古を終え、前回からの宿題であった上演テキストは一応最後まで書ききりました!今回の上演テキスト、ご観劇の手引きやご来場の方にもお渡しする形で公開していますが、そちらは「お土産」として渡しても差し支えない形に整えたもので、実際はお客さんが会場に入ってから出て行くまでのすべての動線を網羅する形で書かれていました。
お客さんの動線に関わる部分は、あとにレポートする「演出稽古」で検討・稽古していました。なので、上演台本の全容はお客様には伏せていたのですが、公演期間も無事終わった上に、おそらくこれ以降の稽古レポートをするにあたっては上演テキストの全容が明らかになっていないと意味が解らないところばかりになりそうなので、
ここで施術前後の流れも含めた上演テキストを公開します!
(といってもこちらはver.2ですので、実際の上演テキストの手前のものになります。)

■2回目の稽古 

さて、上演テキストを携えてのぞんだ2回目の稽古は3月あたま。
おまんじゅうとお茶も用意して、渋木さん今日もよろしくお願いします!

<今日やりたいこと>
・通しで上演の体験(全体で40分くらい。うつ伏せ25分くらい)
・前回の編集稽古の内容を踏まえつつ当日のお客さんの動線を想像する→視覚セクション(中村大地さんによる空間の設え)への具体的なリクエストにつなげる

・渋木さんに受けてもらう

というわけで、今日はもうさっそく施術台を準備して上演を体験していただきました。今回は、稽古の記録動画も公開します!
なぜなら雰囲気がわからないと以降のやりとりも意味がわからなすぎるから!このあたり、やはり物語を上演するような形でないために未体験の方にレポートする難しさ、ありますね。試行錯誤。

体験後の渋木さんからのフィードバックはこんな感じ。

・こわかった!ホラーだった
・強度のあるテキストはよかった
・テキストと揉まれてる場所、触れ方には必然性を感じてよかった
・声のバランスがけっこう気になる。ゆっくりさ、大きさ。
・特に上半身のとき、こわさがあった。
・声が近いから声の印象に強く影響を受けてしまう。
・頭がかなりセンシティブだった。ただでさえ頭に触れられると緊張する。
・ぱりん、が自分の頭蓋骨めっちゃ意識されてこわかった
・首の付け根の効果音もこわさのほうが強かった
・天ふじのシーンもこわさが
天ふじシーンのときが素っぽいから、どっちなの?となりさらにこわさが。
・二幕仰向け、目を隠す、頭を触るなどがあるので閉所恐怖症の人パニック障害の人はきついかも。
・テキストの読み方の必然性。サブテキストがもう少し前景化している方がいいのでは。
・うつぶせの時は揉み方が気持ちいいのでこわいけど体がゆるむという不思議現象
・ふくらはぎ、背中の耕しはよかった
・こわさ、眠たさ、聞いていたいんだけど色々起きてる。背中の時は夢うつつだった

なんの話をしているの?と思われる方は、ぜひ先ほどの上演テキストをご参照ください

・こわかった!ホラーだった

渋木さんの感想はとにかく「こわかった!」

……ごめんなさい!!!(という私の心の声)
そんな怖い思いを40分以上も…過酷な稽古にお付き合いくださって
本当にありがとうございますみませんん!!!(という私の心の声)

内心申し訳なさで取り乱しつつも、稽古を前に進めましょう🥲

渋木さん:
テキストの読み方自体はどんな感じでやってました?

辻村:
声の使い方はびくびくしながらやってた。うるさくなってしまわないように。自分としては触れ方のサブテキストは出来てると思った。定着してきてると思う。それから、いま、声の演技と手の演技は分けて行ってる。これは演出として手と声を統合させ過ぎない方向でいこうとなったから。自分でやっていて、手の演技(触れ方や施術)は定着してるけど、声の演技はお客さんとの身体的な距離や呼吸の読みあいの中でチューニングしながらやってるから、実際にやってるは「(お客さんと一緒にイメージの中の風景や体の様子を)一緒に見る」ような態度ではなく「(私がお客さんの様子を)うかがう」になっていたのでは。

・演技が二つある。セリフと気づかない声掛け、セリフと言ってるときの演技

この編集稽古の数日前、演出稽古(演出:中尾幸志郎さん)で試しに通した際は、その場でお客さんと会話する時間を多めにとっていた。お疲れの箇所について話したり。
でもそれだとお客さんに逆に気を使わせてしまうということがあった。
あるいは私が「こっち(お客)に対して話しかけてるけど返答していいの?」みたいに迷わせてしまう曖昧な演じ方をしていた。
なので、セラピスト役の演技の仕方で、この時間は演技を見てほしいのか、お客さんがセラピストに話しかけて介入していい感じなのかが、はっきり伝わるよう、ふるまい方を使い分けることにしました。

しかし、そういった「今はどんな時間か」を示す声の使い方ははっきり演じ分けることができる一方で、
イメージを喚起させるような部分のテキストは声の表情を持て余していたために、かえって無表情なあらわれになってしまっていたと思う。
例えば夕焼け空とか川の流れとか、情感を込められそうな文章に、表情豊かな声の演技を載せてしまうことに俳優として抵抗がありました。なんというか、手でも声でもイメージを伝えられてはお客さんに押しつけがましさを感じさせるんじゃないかと想像しちゃって。
しかし、それを危惧して声が無表情になった結果、「この発話しているのは一体誰なのか」というミステリーを渋木さんに抱かせることになり、それが結果的に「こわい」と思わせる一因になったのではないかと分析しました。
たとえるなら声が能面を被っている、みたいなイメージ。そんな人に触られてたら、そりゃこわいですよね。

・テキストの読み方の必然性。

渋木さん:
たしかに、幽霊っぽさがあった。わりとゆっくり静かな感じはいいのに、表情一つでホラーになっちゃうのは面白い。接遇モードの時の声は表情もあってわかりやすい。表情が多いからセラピストっぽく感じられる、とかじゃなく、そもそもの出し方が違うからセリフとして言ってるのがわかる、というか。テキストの読み方として、ふくらはぎは言葉としての導入もあるしわかりやすいけど、特に二幕の仰向けになってからが難しいと思う。

辻村:
二幕はテキストの構成が複雑というか、単語稽古の時、仰向けの時ってなぜか突然脈絡のない話が出てきたりとかが面白いって発見があって、仰向けの時に起きる思考の飛躍を再現したくて二幕はこんな構成や言葉遣いになってる。

渋木さん:
だとしたら魔法(※)が足りてないかも。状態が整う前にセリフが始まっちゃってて。展開がけっこう早いのかも。頭に触れ始めてすぐ天ふじのシーンが始まってたり。頭揉まれるかと思ったら「急に天ふじ?!油断ならない」って気持ちになって警戒しちゃう。
頭に触れるまでの時間というより、手が頭に移行してすぐ「天ふじ」。からの「野焼き」の展開が急だし、しかもその土器が割れる描写がこわい。(頭蓋骨に触れながら「ぱりん」という)それまでの前脛、デコルテは大丈夫だったのに。

辻村:
デコルテと腕を触れながらの「板橋区大山」のシーンはどうでした?

渋木さん:
単純に声が近いと思った。あとはテキストの言葉遣いで、一幕(うつ伏せ)との文体から印象を大きく変えてると思うけど、言葉の使われ方が変わったことを受け入れる時間が必要だった。
あと、仰向けになってから顔が近くて「マスクしといた方がよかった?!」とかの心配も出てきたのもあったり、色々心配で警戒度が上がってた。
さっき(うつ伏せ)と違うかも、という事に慣れる時間が必要だったのに、慣れてないまま頭に触れられた感じ。
色んなテキストや演技の仕方が出てくるから、今の状況だと情報処理が追いつかないかも。二幕が始まる時に「このくらいまで近づいて喋ります」「不安だったらマスクしても大丈夫ですよ」というアテンションが幕間にあっても良いのかもしれない。

辻村:
二幕の前にこれからやることを伝えるみたいなことですかね、幕前に出てきて次の幕が始まる前の口上のイメージが湧きました。「さてさて、一幕のうつぶせが終わりまして、二幕は仰向けになります」みたいな。
それにしても声(の使い方)ですよね。

渋木さん:
二幕はテキストと演技に必然性が感じられない。だからここでお客さんが何を見ればいいのか、俳優の演技で説得力を持たせなきゃいけない。
それぞれの部位で体の様子をうかがってもらってるから、大山の話、天ふじの話、土器の話、それぞれ言葉の理解としては違うエピソードに聞こえるが、演技が同じなので違う話、飛躍として楽しむことが難しい状態になってるのでは。

辻村:
「帰る」は感じられましたか?

渋木さん:
「帰る」はあんまりなかったかなあ。「帰る」には安心感のイメージがあるけど、その状態にはならなかった。
天ふじさんのくだりは、今の状態(安心して眠気を催していない状態)だったらあえてお客さんを起こすような効果を狙おうとしなくていいかも。
一番眠かったのは背中。

(※)ここで言ってる「魔法」というのはおそらく、お客さんの想像力の発動、みたいなことを言ってるんじゃないかと思います(辻村補足)

・発見!二幕はやることが多い!

辻村:
だいぶ台本カットしたが、まだ言葉の量が多いのかも。

渋木さん:
ここに音楽も足されるとさらに……処理できる情報ってそんなに多くないかも。演技で言えば、本当に天ふじさんに言ってると錯覚するような演技だと違和感かも。演技としてやってるんですよってことがもっとわかるといい。「天ふじシーン」の演技体は他を考える上でも大事かも。セラピストとしてやるか演技としてやるか。私に言われてるのか天ふじさんに言ってるのか。揉まれてる途中なのに手が離れて帰ってくる。それらの受け止め方には今回は戸惑いを感じた。

辻村:
手は離さずに置いたまま、明らかに演技とわかる声で天ふじのセリフを言うとか?

渋木さん:
「おぐセンター出てすぐそこに天ふじさんっていうめっちゃおいしい天ぷら屋さんがあって」で手を離す、とか。
もしかして二幕(仰向け)の方が時間がかかりそうなことを、一幕(うつ伏せ)よりも短い時間でやっているのでは?
そうか、役者のやることが多いんだ!二幕。盛り上がりのポイントがけっこうあるから。

・仕掛けでおもしろがらせるというより

辻村:
お客さんからはシーンが飛躍してるように見えてもいいが、説得力をもって演じるためには飛躍に見えて何らかの脈絡を作って置く必要がある。
現状はいかに飛躍させるかに偏ってるけど、それぞれのシーンにそれなりにつながりや必然性を持たせる必要がある。たとえば、板橋区大山を頭に持ってくる。その前に天ふじシーンを入れる。その流れによって「西尾久って地元感ありますよね」という冒頭の話と接続させるとか。
他には、野焼きのシーンを腕に持ってくる。かけらを拾う感覚を指先に残して終えて、土器のかけらを拾ったお箸、天ふじシーンのセリフ「割りばしいらないですー」で、お箸のイメージを繋げる。そこから板橋区大山でゆっくり頭に触れながらで一人称のエピソードを聞いてもらう。

首に触れる時は動作の擬音をASMRのイメージで発話するっていうより、私の呼吸音に近いものを声にする。あるいは鼻歌?


ASMRと呼ばれているのはテキストのこの部分。
触れている動きを擬音の形で発話してみるというシーン

渋木さん:
ASMRで気になってるのは、これまでは声掛けがあったのに、ころんで首を動かすという大きいアクションをするのに、声掛けなく動かされてセリフも重ねられる。動かしますね、の声掛けはあった方が良い。

辻村:
「ころん」は、お客さんが無抵抗であることを前提に、赤ちゃんみたいに扱っちゃってますよね

渋木さん:
なすすべのなさ、まな板の上のコイみたいな気持ち?
されているのが「癒され」とか「もみほぐし」じゃなければ、色んな事されてるのがこわさ含めて楽しめるけど、今回はそうじゃないんですよね。
どこかにお客さんが受け止められる余地がないと。
さっき話してた方向でテキストの構成を変えるのはめちゃアリだと思う。

辻村:
わたしとしても、目論見だけでセリフを成立させるのはやっぱしんどいかもってなった。今だと物語の流れがなくて、計画だけがある状態っていう印象で。計画を遂行するためにセリフを発話してる感じがしっくりきてないから声の表情が乏しいのかも。

渋木さん:
いまテキストがつじこさんにとって戯曲というより手順書になってるってこと?

辻村:うん。だから構成し直して、それでどんな「帰る」がお客さんの中に立ち上げられるかを考えた方が良いなと思った。
「板橋区大山」のシーンで、そこで聞こえるかもしれない音をラストに言ってみる、とか。
お客さんの側を想像すると、ASMRシーンの発話は、私が触ってるリアリティから出してる音だから、触れられてる人の体感と音がズレてるんだと思う。だからお客さん的には単純に聞こえてる音が楽しめる状況にはなくて、むしろその音を受け入れるのに処理が必要になってるんだと思う。

渋木さん:
ASMRの仕掛けをもってくるなら一幕の最初の方とか。触れられてる場所や様子が目で見えてたらそういうズレは感じないかもしれないけど、触覚だけだと、どうしたって触れられてる自分の実感の方が大きくなって触れてる側の様子は想像しにくくなるから、聞こえてる擬音と体感のズレがより違和感になるんじゃないかな。

・この作品にとっての沈黙

辻村:
ここまでの話で、視覚がなくて触れられてる状態だとお客さんが受け取る情報は、基本通常状態の2倍になると思った方が良いんだなと思った。(※)
さっき渋木さんが「余白が欲しい」と言っていたが普通のセリフ劇よりかなり喋らない時間の余白はとってるはず、でも体への接触が続いてる事と、セリフの余韻によって、セリフが終わった後も劇がお客さんの中シーンが続いてるんだな。セリフが終わった時がシーンの終わりではなくて。

渋木さん:
触られてるときは圧を感じ続けるので、セリフを喋らない=沈黙の時間にならない。
辻村:
ト書きに沈黙、と書いたが、手が触れてる以上、お客さんにとっては沈黙にはなってないってことか。口が黙っても実質沈黙になってない。

渋木さん:触れたまま動かさないのは沈黙、間だと思える。触れてる状態って表現としてすごく強い。手が動いていたらその時間は間にならない。ASMRも触れてはいるけど動かさない、とかならいけるのかな。
セリフが無くても触られてる時、自分の中ではめちゃめちゃ色んなこと起きてる。言葉と体が重なって、二倍の体験、二重の体験をしている。

(※)通常なら視覚と聴覚、触覚情報は統合されて認識されるが、施術台では視覚情報はない上に、しかも現状のよみほぐしのつくり方だと、聴覚情報と触覚情報も微妙にズラされているため、極端に言えばお客さんにとっては二つの異なる体験が意識され、しかもそれらが同時に起きている状態になっていると想像される。(辻村補足)

・「演技ともみほぐしの共通点」の仮説は実践できてるか

辻村:
現状のパフォーマンスでは、施術の三原則(直圧・リズミカル・体重移動)とセリフの発話の仕方(目的をもって・相手の呼吸に合わせて・言葉をただ言うのではなく行為として発話する)の整合性はとれてると思います?

渋木さん:うん。うつぶせは特に
辻村:だよね、一幕は。

渋木さん:
二幕はとくにもみ譜が必要かも。
ここにきて、「もみ」でも「ほぐし」でもない、そもそもの肉体接触の持つすごさがあると思う。

・編集稽古っぽくなってきた!

辻村:
そうか、情報が二倍になるなら、やっぱり野焼きはもっと言葉を削った方が良いと思った。あるいは、ここから文体を板橋区大山に揃える。ですマス調をやめるとか。
渋木さん:野焼きの最後の一文がですマスで終わってないのは良いと思う。文体に言及するの、めっちゃ編集っぽいですね!笑

辻村:一幕うつぶせはどのシーンも自分の話し口調で揃えてるんです。で、二幕は他の人から借りてきた言葉として書いてるんですよ。一幕と二幕は文体が違う。このギャップがお客さんの混乱を生みやすくなってるんですかね?
借りてきた言葉で話すような二幕の中で、でも「天ふじ」シーンは私の口調を持ち込んじゃってるから、お客さんを混乱させちゃってる可能性がある?

渋木さん:天ふじ→野焼き→板橋区、の流れなら、
敬語→語りかけ→モノローグの流れになるから話されてる側としては違和感のない流れにできるかも。

辻村:宿題で二幕の文体を少し整えてみます。
あと、首の横側、肩の左右に触れる時は無言でやろうと思います。ASMRは正面に戻した時に何かを小さい声で「すーっ」って言うくらいに留めて、その時は手も沈黙させてみようと思います。
「帰る」について、お客さんが安心できることはすごく大事だけど、お客さんを安心させることを目的にしちゃうと、その後どこにもいけなくなりそう。安心は前提。で、どこに行くの?となりたい。天ふじさんのシーンでお客さんが笑えるくらい、自由に見られる状況をつくりたいな。

・言葉と施術のペアリング

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。それにしても、本当に一体何の稽古をしているんでしょうか。時々自分でもわからなくなります。手の演技と声の演技、それらを同時に見せることで、一体何を起こそうとしているのか、完成形を誰も見たことがない状態で、文字通りの手探り。

そんな稽古の帰り際、またしても二人で乗る場を出るタイミングパンチラインが飛び出しました。
「これって言葉と施術のペアリングなんじゃないの」

お酒の方がテキスト。食べ物(メイン)は施術。もぐもぐ。
体の内側で起こる感覚のマリアージュ。
今回の上演に当てはめると、
一幕はベタに想像できるペアリング。例えばビールと唐揚げや、日本酒と塩辛みたいに。定番というか、わかりみがある想像しやすいもの。
それに対する二幕の難しさは、創作料理に飲んだことないお酒を合わせようとしてるみたいな感じなのかも。
二人とも「このメタファーはめっちゃしっくりくる!!」となり、
体験の言語化と共有が難しかったここまでの稽古の霧が晴れるような瞬間でした。

編集稽古のレポートはもう少し続きます!

🛸NEO表現まつりZ『ほぐしばいほぐす会』

毎回レポートを上げる頃には次が始まっているというね!
次回の『ほぐしばい』は
円盤に乗る場presents NEO表現まつりZでトークイベントを行います。
その名も『ほぐしばいほぐす会』!!
もしこのnoteで『ほぐしばい』に興味持っていただけたらぜひおいで下さい!『ほぐしばい』未体験でも、見てもらいやすい内容です。
『ほぐしばい』が内包する、演技論、触覚性、労働、フェミニズム、コミュニケーションといったテーマに興味のある方にぜひお出でいただけましたら!

リンクはNEO表現まつりZのHP!!


★「ほぐしばい」のこれまでとこれからを
辻村によるプレゼン+ゲストとのトークで紐解く90分!!★

自分の知覚の特性を見つめ、自身にあった演技法を探究したこの5年(乗る場では3年)……自身の演技論の言語化、作品化を繰り返す中で見えてきたものとは……?ほぐしばいとは一体なんだったのか⁈そのアーカイブも含めたプロジェクトの全容を一挙公開!!すべてのNEO表現者に送る、辻村の魂が叫ぶトークイベント!!!
【期間】
🧠6月29日㊏15:00〜
🫀6月30日㊐11:00〜
【会場】
おぐセンター 2F
【トークゲスト】
✨NEO表現まつりZ 辻村優子企画 『ほぐしばいほぐす会』 辻村と一緒におしゃべりしていただく 豪華ゲストはこちら!!✨
🧠6/29 15:00- 山田由梨さん
@YYUUUUYYam(作家・演出家・俳優)
🫀6/30 11:00- 山中結莉さん
@You_RiYamanaka(俳優・ムーブメントディレクター・演技教師)

贅沢貧乏5年ぶりの新作が控える由梨さんとはお互いの活動における「つくり方」について。
シアター風姿花伝でWSフェスがまもなくの結莉さんとは新国演劇研修所での学びとほぐしばいの「繋がり」についておしゃべりします!
会場ではそれまでの創作資料や年表も展示します。
そしてそして、植村朔也さんによるテキストも!!!

チケットはこちらから!

1dayパスもあります!

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