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「ほぐしばい~実話怪談編~」のつくりかた【上演テキスト・柿内正午さんと】


とにかくテキストが必要

「サロン乗る場」が始まってしばらく経った3月頭。私は人知れず次の事を考え始めていました。なにしろ6月の乗る場のイベントに参加することを決めていたものの、次こそは見た目に演技らしいことをしなければ。いや、そろそろしたい。
けれどこの「もみほぐしを演技に変換する」という誰も見たことのない試みの、最初の一歩をどう踏み出せばよいのか。

見た目に演技にしていくなら、テキストが必要だ。
でも「もみほぐしは演技に変換可能か」という問いと伴走してくれそうなテキストとはどんなものか。

実話怪談なんじゃないか

もみほぐしの感覚を演技に起こそうとしたとき、怪談が良いんじゃないかと直感したのは実は2021年の年末頃。ゾッとするって、つまり身体にキてるってことなんじゃないか。それがもみほぐされかどうかはさて置き、とにかく身体にクるジャンルがいいと思った。
それに、「ほぐしばい」という未知のものだけでやるよりも「怪談」というジャンルがはっきりしたものを扱う方が、お客さんにとっても聞く準備がしやすいんじゃないか。
しかも怪談の中でも実話怪談がいい!
というのも、私の中にあったのは2022年6月に行われた円盤に乗る場の活動報告会の中で柿内正午さんが行った実話怪談のトークイベントでの体験。
実話怪談師をゲストにお呼びして取材や執筆についてお聞きするという内容だったのですが、その中でゲストの方がご著書の中から抜粋して読んでくださったのでした。それは「煙鳥怪奇録」の「あの日 三題」という少し変わった形式のものでした。
いわゆる怖い話とは違う、でもこの世のものではないモチーフ、背景に実際の体験者がいる言葉を通して、しみじみ体に伝わってくる感触が、何か月も経ってから蘇ってきたのでした。実話怪談には、なにか怖いだけでない、当事者の体を通ったことで宿る生々しさがあるんじゃないか。
それで、まずは地元の図書館にある実話怪談集から読み始めたのでした。

柿内さんにご相談を

図書館で、本屋で、インターネットで。
実話怪談の海は広い。しかも広がり続けている。
ほぐしばいのテキストを選定しようとしても、たかだかこの期間に読めたものの中から選ぶというのは消極的な選択ではないか。という思いがだんだんと拭えなくなってきました。
というよりも、それに比例するように、2022年の実話怪談イベントでの体験が私の中でムクムクと大きくなってきたのでした。

「柿内さんにご相談しよう」
何を、どんな風に、といった具体的なことは決めていないまま、とにかく「ご相談したいです」とご連絡したのが3月の上旬。
ほぐしばいのあらましと6月のイベント出展の旨をお伝えし、ありがたいことにご協力を得られることに。
最初にしたのは、Googleドキュメントの立ち上げでした。このドックスに往復書簡のように書き込んでいくやりかたで、進め方の話を進めていきました。

「チラーポイント」

どんな実話怪談がいいか。
柿内さんからは、既存のエピソードからのセレクトや、実際にマッサージが題材になっている怪談、整体院をやってらっしゃる方のエピソードなどの可能性をご提案いただきました。
わたしは、その時読んでいた何冊かの実話怪談本についての発見を記述しました。その一冊に、吉田悠軌さんのご著書「一生忘れない怖い話の語り方」という本がありました。
そして、その中の一節に「チラーポイント」→「恐怖のツボ」というフレーズを見つけたのでした。本によると、話のオチや「恐怖」そのものではなく「取材した実体験の中でも、まさにその話を怪談たらしめる重要ポイント」
このチラーポイントは後々稽古の中でも使われることとなります。

混ざる、混ぜるやり方

やりとりを重ねること一週間ほど、柿内さんからこんなご提案がありました。

なんとなく方向が見えてきたんですが、こういうのはどうでしょう。

①乗る場メンバーや近親者へ「なんか非日常に迷い込んでしまったようなおかしな経験」について聞く。怖い話でなくてもいい。「あれはなんだったんだろう…?」と日常の感覚を揺さぶられるような感覚があればOK
②採集した話を柿内が実話怪談的な方法で文書化する。
③現場でそれが朗読される。
④施術のプロセスのなかで、ほぐされ手に「さっきみたいな変な話、もってたりします?」と尋ねる。ある場合は聞かせてもらう。
⑤それがまた柿内に伝えられ、書かれる。
⑥以下、繰り返し。

え…柿内さんに、書いて頂けるという事ですか!?ありがたすぎる!

まず体験の当事者がいる。辻村が当事者から話を聞く。辻村が聞いた話を柿内さんが書く。柿内さんが書いたテキストを辻村が読む。
なんか伝言ゲームみたいな感じ。既存の上演テキストの成り立ちとは異なり、強度というより、ズレや曖昧さが生じる可能性がある。

ここでのポイントは又聞きである、ということ。
この手法については柿内さんはご自身のnoteで「取材者と書き手の分離は竹書房怪談文庫の名作『煙鳥怪奇録』リスペクト。」と話されています。

複数の人を通すことによって正体を曖昧にしていく感じ。
エピソードが複数の人を通る事により、何かが混ざっていくような感覚。
まだこの時点ではっきり言語化できないけれど、この、話の所有が撹乱される感じがとても「ほぐしばいっぽい」と思いました。
そして、ここで登場した「混ざる」という言葉はこの後パフォーマンスの稽古の際にも頻出するキーワードとなりました。

怪談採集の旅

そんなわけで、辻村による実話怪談採集の旅が始まりました。
柿内さんから「あれは一体何だったのか」という話の取材に、呼び水があると良いですよ、たとえばこんな…とご共有いただいた動画がやっぱり面白いのでこちらにもご紹介。

ほんとになんだったの?という 笑

そしてわたしはエピソード乞食と化した

乗る場メンバーに話を募る。
ちょうどこの時テアトロコントのために「カゲヤマ気象台のコント」の稽古中だったので、さっそく乗る派のメンバーに取材。「なんかありませんか?」という雑なフリだったにも関わらず、サラッとすごいエピソード出てきたりして(「キ」)、聞いてみるもんだなあと思いました。飲み会でもそういう話ってしたことなかったけど、聞いてみると案外、人はよくわからない話を蓄えているものなのかも。
そして私は、会う人会う人に「あれは何だったのか未だによくわからない話」をねだるエピソード乞食と化しました。
乗る場メンバーでない方からたまたまお聞きできたエピソードが、マジで霊感強い人のガチで怖いやつで、話すのもこわくて柿内さんにも伝えなかったって事もありました。実話怪談、こわい。

エポックメイキングだったのは、4月9日の取材のこと。
どなたの取材だったかお名前を明かすと本番をご覧になった方にはわかってしまう可能性があるのでここではお名前は伏せますね。
その時はテレビ電話を繋ぎながらそこに映る景色についてのお話をお聞きしました。それまでは取材と言えばエピソードをお聞きしていたのですが、何か出来事や事件ではなく、その場所にまつわる記憶や質感の話。
具体的な因果関係では説明しきれない感じ。
説明できないんだけど自分の中にははっきりとある「あの感じ」

もしかして。
実話怪談がほぐしばいに合いそうだと思った理由の一つは、言葉を通して感覚のディテールや固有性を、頭ではなく体で味わいやすいジャンルだと感じたからではないだろうか。

その後、柿内さんからすでに完成した分のテキストを頂戴していたタイミングではありましたが
「ある場所や時間に感じる、固有の質感」「あの感じ」という方向に鉱脈を感じ、締め切りを大幅に超えて取材を続けることに。
怖い話ではなく、個人的な質感の話に的を絞ったことで一気にお聞きできる話の範囲が広がり、その後の取材では私自身も質問の仕方のコツというか、最初はぎゅっと塊のようにある記憶を会話の中で溶かして中にあるものをほぐしていくみたいな感触が少しづつ感じられるようになって、それも新しい体験でした。
柿内さん、その節は大幅な後ろ倒しをお許しくださり、本当にありがとうございました!

取材協力:日和下駄(円盤に乗る派)、畠山峻(円盤に乗る派)、
カゲヤマ気象台(円盤に乗る派)、三浦雨林(青年団/隣屋)、
渋木すず(円盤に乗る派/ちょっとしたパーティ)、中村大地(屋根裏ハイツ)、西尾佳織(鳥公園)、橋本清(ブルーノプロデュース、y/n)

他にもたくさんの方にお声がけさせて頂きました。みなさん、ありがとうございました!

テキスト完成

そして5月19日、柿内さんから完本のお知らせが。追加取材のご連絡から完本までの速さよ!ありがたすぎてもう。
そして柿内さんへのご連絡から2か月ちょっと、
「ほぐしばい~実話怪談編~」の上演テキストが完成しました。
(この期間に演出協力の方々へのお声がけとキックオフミーティングが始まっていますが、それはまた別の記事で)
完本にあたって、柿内さんとしたやりとり。

(柿内さん)
最後親切すぎて蛇足な気もしてます

(辻村)
誰の何を誰が話してて、話してるのは誰なんだろう、、エッシャーのだまし絵みたいな、確実に歩いてるはずなのに回廊から出られなくなるような、読んでるだけで固有の感覚そのものに触れる可能性を感じた

(柿内さん)
アンチエモであくまで削ぎ落とした文体を維持しつつ、怖くしました!ほぐすを自分なりの解釈で、自他の区別や主体の置き場所を撹乱するようにしてみました

(辻村)
最後に自分自身と会場に戻る形は
着地するような感覚や、きちんと終わって閉じる感じがしました。観客と演者の関係として健全かつ優しさを持てる気がします。いったん融解した自分と他者の境界線を引いてケの世界に戻すような感じ。

(柿内さん)まさに狙いはそうなんですが、そこまでテキストに書くべきか、演出や演者に委ねるべきか悩むなあと思っていました。

本番をご覧になった方はぜひラストを思い出していただけたら。

書き方の中に演出が盛り込まれているよりは、事実の羅列くらいのドライさが良いんじゃないか、というのは、やりとりの初期から話していた事でもありました。

「アンチエモ」の方向で

なぜか、と聞かれるとはっきりとはわからない。
でも、もみほぐしという直接触れる行為を演技に置き換えようとしたときに、そこには感情とは違うものの働きがあるのではないか。
文章でも演技でも、エモーショナルを掻き立てる方向の上演では、観客を既存の演劇鑑賞体験の外側に連れていきにくくなるのではないだろうか。そんな予想があったのかもしれません。

柿内さんにコメントをいただきました。

と、辻村サイドの話ばかりしてきましたが、柿内さんはどんな風に感じられたんでしょう。
本番をご覧いただいた柿内さんに、この企画に参加した一連についてコメントを頂戴しました。

「リラクゼーションの施術を演劇に見立てる「サロン乗る場」の辻村さんから、今度は実話怪談でいこうと思っているんですとお話しを聞いたとき、僕はてっきり今度の観客は寝台の上でもみほぐされながらオバケの話を聞かされるのか、そりゃあいいや、と思っていたのだが、そうではなかった。
なんと今度は上演を施術に見立てるようなことをしようとしていたのだ。
今回、僕は朗読されるテキストを担当したのだが、ほとんど何も上演に役立つようなことをやっていない気がする。
まず実話怪談の書き手としては、そのもっとも重要な部分である採話という行為を全面的に辻村さんにお任せしている。僕自身は体験者の方々とほとんど会話しないまま、辻村さんが僕に向かって語り直してくれる内容と印象だけを素材にして、又聞きの途上で無意識のうちに誇張されたり縮減していくものを積極的に放置しながらテキストに落とし込んでいった。
次に上演テキストの作者として、僕は演技されることを拒むようなものを書いた。日々量産され質も玉石混合である実話怪談本たち。その最大公約数的な「いなたい」文体を積極的に模倣しながら、文字の配列や各話のタイトルによって読者が視覚的に受け取るリズムだけを重視して書いた。朗読するといっているのに、個々人によって黙読されることを前提としたつくりにしてしまったのだ。
稽古場にも顔を出すことができなかった僕は、とにかく受け取ったエピソードについて、平面上の文字列として不完全な再現を試みただけの人でしかない。
思うに上演においてテキストとは本来どうでもいいものだ。リラクゼーションに意味など求めないのと同じことだ。気もちよければそれでいい。意味にしようのないものを共同で展開するための一種の媒介として言葉は使用されるのであって、その逆ではない。上演の目的がテキストの意味内容を届けることならば、そんなまどろっこしいことはせずに各々が読めばいいのである。
実話怪談にとって重要なことは、それを体験した誰かがたしかにいる、という手応えだ。奇妙な体験、信じられない出来事、ありえるはずもないオバケとの遭遇。なんともいえない不安や浮遊感を言葉で語り尽くすことはとうていできない。だからこそそれらは語られ、語られ直していくなかで、はじめの怪異とは似ても似つかない珍妙なあやかしへと変貌していく。ほぐしばいという妖怪は、僕の意図や予測とはまったく異なる相貌で上演の場に現れた。それはとても愉快なことだ。」

柿内さん、コメントありがとうございます!!

上演テキストと並走していたキックオフミーティング

実は私自身、まだこの「ほぐしばい」が何なのか言葉で捉え切れていないのが正直なところです。そういった実感もあって、なかなかnoteに着手できなかったということもあります。

だが、事実、わたしはやったのだ、「ほぐしばい」と銘打ったことを。
そして同時に、自分がなにをやったのか、わからないままでも、ある。

整理してもしつくせないものが上演という形態にはあるのだな、と今更ながらに感じ、リラクゼーションサロンの形態をとった上演作品「サロン乗る場」との違いを感じています。演技ともみほぐしには相互関係があると考えていますが、それは決して互換性ではないのだな。
何かを置き換えてシステマティックに立ち上がるものではないようだ。

「見ているだけで体がほぐれる演技って、どんなものだと思いますか?」
こんな問いから演出協力のみなさんと話を始めたキックオフミーティングは、実はこのテキスト執筆期間にスタートしていました。
その様子は次のnoteで。

トークイベントがあります!

円盤に乗る場が月に一回開催するイベント「乗る場の日」
7月16日(日)14時~17時 円盤に乗る場にて
読むと肩こりが治る小説を試行する友田とんさんとトークをします!

友田さんとの出会いは、まさにこの上演テキストのために私が取材した話を柿内さんにお話しした日。その日、別件で乗る場に来場された友田さんを、柿内さんがご紹介くださったのでした。

私も友田さんも、お互い「見るだけで体がほぐれる」「読むと肩こりが治る」という、いまだ誰も体験したことのない、しかし言葉の上では表れてしまった表現を、着想してしまい、あるいは着手している二人。
観客はおろか当人さえもその全容を知りえない表現に挑んでいるためか、なぜか会話のラリーが続き、もっとお聞きしたいなあと思っていたところに、
乗る場のカゲヤマ気象台さんからご提案を頂き、開催の運びとなりました。

たぶん、ですが、「読むと肩こりが治る小説」「ほぐしばい」といった話題に留まらず、固有に知覚している「この感覚」を他の人も共有できる表現に押し上げていくプロセスや、見たり読んだりすることが体に作用するってどういうことなのか、みたいな、ご自身でも表現をされている方にも興味をお持ちいただける話題がけっこう出るんじゃないかなと思っています。

参加は、上のリンクからnote記事をご購入いただけましたら!

では、私はまずはキックオフミーティングについての記事を書きつつ、
今週末の乗る場の日の準備をします!



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