見出し画像

自分を褒める、という日々の営み

自分を褒める日々が600回を超えた。600!600ってすごいね、ほぼ2年続いているってことか。

なにをやっているかというと、ひょんなきっかけで繋がった、地域は至近ではないけど遠からずの友人4人でLINEグループ作って、1ヶ月ごとに自分用のノートを準備して、1日をふりかえって自分を褒めることを言語化して書き溜めてる。それぞれのノートを見ることができて、1ヶ月に1度オンラインで振り返りの会をやってる。

自分を褒めるって気恥ずかしいような、いやなものにふたをしていいことだけ見つけようとしてるような、日々を「よいこと」に無理やり変換しているような、そんなふうに思っていた当初。(ものすごく斜に構えてる!)あと、それぞれの投稿をみてもよいのだけど、みんなのけっこう心の奥の部分を覗いてしまったような気がして、なんだか他者の感情を追体験して背負ってしまったような、少ししんどい感覚もあった。

じゃあなんで続けられているのかを考えたとき、一番に思い浮かんだのは、まず何よりこのメンバーだということ。そして、1ヶ月に1度振り返りがあること。

ほかにも、秘密が守られること。ビジネスじゃないこと。そこに、それぞれの「こうありたい」純粋な願いがあること。かな、と思う。

振り返りってすごい。

色々始めるはいいけどやりっぱなしなことが多かった私。せっかく始めたのにやりっぱなしで自然消滅したり、逆にはじめたからには続けねば!
!みたいに気負って「べき」「ねば」ばっかりになっちゃったりして自分残念だな、スタートダッシュ猪突猛進型だなって思ってたけど、そこに足りなかったのは振り返りだったのだなと今となって思う。35歳超えて気づいたことのひとつ。

反省会じゃないよ、振り返り。反省会は、それこそ負にフォーカスしてべきねばに縛られてしんどいなって、私は思う。

振り返りは、ポジティブもネガティブも自分の大切な感情として同等に扱える。1ヶ月どんなことを褒められる自分だったかを言葉で残せていることで、そのときの記憶を取り出すことができるし、信頼できるみんなに顔見て聴いてもらえて「1ヶ月お疲れ様!」を言いあえて、ひとのことばに触れることで、自分がどこに反応していまどんな状態なのかを俯瞰できたりすることも、とてもありがたい。(暫くオンラインが続いてるけどまたリアルで会いたい!)

気恥ずかしさは、もうない。すごいねー、できたねー、だけじゃなく、プロセスはもちろん、生きているだけですごいこと、って自分への存在承認じたいが褒めだよねって思う。

他者の感情を背負うしんどさも、今はない。「そのひとがもつ大事な感情」として扱えるようになったなと思う。

ということで、この2年足らずの間に、少し成長した自分を感じられている、それもありがたいことのひとつ。

毎日余裕がなくなるとすぐ怒鳴るし騒ぐし不惑超えて何年もたってるのにいつまでたっても未熟な母ではあるが。

まだ成長できるのだ、いろんな意味で、と感じさせてくれるこの営みに、私を誘ってくれてほんとうにありがとう。

いつもありがとう!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?