トライ・アンド・エラー

よく聞く言葉で、「挑戦した人にしか失敗は経験できない」とある。こんなかっこいい言葉に深く頷くと同時に、そう簡単に、「そうだ、その通りだ。」と言うことが、とても難しく感じざるを得ない。その失敗への捉え方の差が、この壁を生み出す気がする。


失敗を、悲しく辛いもの、または、恥ずかしいもの
と捉えるのか。

失敗を、次のステップへの初歩であり、向上への鍵
と捉えるのか。


どちらも間違いではない、と断言できる。状況によって失敗は、明らかに自己肯定感を下げ、次への一歩を踏み出そうとする脚に大きな負荷をかけるだろう。その大きな負荷がかかったままの脚を動かせる人は、謂わゆる、「失敗は成功のもと」と考えられる、上記で言えば、後者の人間なのだろう。


多くの失敗をし、悲しむことや、恥をかくことに慣れろ、と言うのも少々難がある気がする。そう言われて、素直に胸を張り失敗を恐れず自分を表現し、たとえ失敗したとしても、それを前向きに捉えられるようになる人は多くないと思う。


海外の大学に進学し数年経つが、今でもみんなの前で英語でプレゼンや発言をするのは緊張する。正しい単語なのか、正しい文法なのか、正しい発音なのか、正しい答えなのか、気になることは無限に出てくるからだ。言ってしまえば、それらの "失敗" を恐れているのだと思う。言語のような文系の世界では、最低限以外は、絶対解があることのほうが少ない。一度失敗し、その後克服したことが、数年後、もっと言ってしまえば、半年後にまた不正解になっている可能性があるのが言語だと思う。人々や時代と共に正解が変化し続けるのだ。こんな世界で、失敗を恐れることなく進み続けろと言うのは困難極まりない。


ただし、失敗から成長に繋がった、あの瞬間の心地よさを覚えてから、挑戦を辞めれなくなった。それを知れば、ある程度、失敗に希望を見出せるんじゃないかって思う。こんな事を言うとみんなして、

そんな経験ないから無理、
"お前は" それを経験できただけだ、

こんなことを色々と思うのだろうが、みんなあるんじゃないかと思えてならない。


大人になるにつれて、物事のスケールが大きくなって、理想や欲が大きくなっているだけではないのか。小学生低学年の逆上がりができるようになった、あの時のあの感動と喜びは忘れられない。童心を持ったまま22歳になってしまった僕は、小さな成長を取りこぼす事なく喜べる。


トライをせず不変に満足するのか、
失敗するかも知れないけどトライして変化を起こそうとするのか、


別にどっちが偉いわけでもない。けど、それで80年生きて、生を愉しめる気がしなかった僕は、トライアンドエラーを選んだ。


不変は後退。
変化は前進。
その変化がプラスであってもマイナスであっても、だ。



こんな風に考える人の方が、むしろ幼稚で、夢物語だ、って言われることは、重々承知した上で、これを書いた。今の現実主義に囚われたネット世界には、1人くらいこんなこと言う人がいてもいいんじゃないかな。


多分このnoteはある種の失敗で恥をかくのかも知れないけど、それもまた一興。

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