ヒロト

ごく一般的な公立高校を卒業し、アメリカ・ニューヨークへ渡米。2年制の短期大学を首席で卒…

ヒロト

ごく一般的な公立高校を卒業し、アメリカ・ニューヨークへ渡米。2年制の短期大学を首席で卒業したのち、4年制大学へ編入。若干変わり者な学生。 また何か読みたいと思ってくださいましたら、スキ、フォロー、コメントお待ちしてます。

最近の記事

可能性

この言葉を目にし、耳にした時、多くの人が自分が出来ることに対して焦点が当たるのではないか。 どう可能性を自ら見出すか。 それは、深い自己分析の末に見つかる、自分の成せること。これなら出来る。これは難しい。そうやって試行錯誤して自分の可能性を探ると思う。あくまで僕は今までそうやってきた。 ただ、ふと思った事がある。それは、自分が出来ることや出来ないことを正確に判断出来ているのか。十二分に考え抜き、これなら出来ると思ったことが出来ない、または、出来ないと思ってたことでも出来

    • トライ・アンド・エラー

      よく聞く言葉で、「挑戦した人にしか失敗は経験できない」とある。こんなかっこいい言葉に深く頷くと同時に、そう簡単に、「そうだ、その通りだ。」と言うことが、とても難しく感じざるを得ない。その失敗への捉え方の差が、この壁を生み出す気がする。 失敗を、悲しく辛いもの、または、恥ずかしいもの。 と捉えるのか。 失敗を、次のステップへの初歩であり、向上への鍵。 と捉えるのか。 どちらも間違いではない、と断言できる。状況によって失敗は、明らかに自己肯定感を下げ、次への一歩を踏み出そう

      • "大人" は狡(ずる)い

        若い人たち、ここでは学生やこれから社会に出るような人たち、と定義しておこうと思う。もちろん自分を含める。さまざまな壁や苦悩がある中で、相談する相手に迷いながら、個人的に辿り着くのは家族であり、いわゆる大人だ。理由は簡単で、経験があるからだ。経験則はバカにできない、と思う。年月の壁はどう頑張ってもひっくり返らない。仮に自分が20歳で親が40歳なら20年の乖離は近くなることも遠ざかることもない不変なものである。この経験の差は大きい、そう思うからこそ、自分は結局大人に聞くんだと思う

        • AIと人間の相違

          自分は今年22歳になった学生で、これから (厳密に言えば既に始まっているが) 就職活動なり、生活なり、自分自身で人生を設計していくことになる。 高校を卒業と同時にアメリカ・ニューヨークの大学へ進学しビジネスを学んでいる。専攻はマーケティングだ。「今の時代を生きていく中でAIは無視できない存在だからな!自分のこれからを考えるならAIについてもっと学べ!」と、教授から口酸っぱく言われる。 ー AIに淘汰されない職業か... ー 友人に数名、表に立つ職業をしているやつがいる。

          "いいなぁ"という言葉の残酷さ

          "いいなぁ" ふと溢してしまいがちな言葉だと思う。 中学から高校に上がる時、そして高校に上がったあと、僕は英語に興味を持ち、"生きた" 英語を使いこなしたいと思うようになった。受験期もそうだが、高校になっても、僕たち生徒に課せられるのは単語勉強や文法理解などばかり。あえて言わしてもらうなら、勉強と言うより受験対策みたいなものだ。その時、僕が目指した "生きた" 英語は存在しなかったように思えた。そこからとにかく探した。高校一年生ではオーストラリアに短期留学。高校二年生では

          "いいなぁ"という言葉の残酷さ

          "普通"とは

          変わった奴、捻くれ者、癖者、って。 自分の経験と重なると同時に襲ってくる哀しさ、あとやっぱり自分は多数派じゃないって事を再認識させられた。 小さい頃から、まわりの人には、口だけは達者だとか、ああ言えばこう言うとか、自分が意見をすればそう片付けられる事が多かった。今も、すんなり共感されることはほとんど無い、もしくは、そーゆーの良いってって今にも言いたそうな顔をされる。生き辛いけど、これは多数派と少数派という言葉と概念が存在する限りうまく共存しなければいけないとも思う。でも多

          "普通"とは