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文字を読むのはほねがおれる

芸術関係者への政府支援策が動きだした。舞台に関わるものとして、久しぶりにとても嬉しいニュースだ。

しかし反応を見ると「なんで芸術にだけ?」というお怒りがやまもり。

本当は怒っている人たちや「芸術関係者に補償を!」と呼びかけた人たちを「たかり」と呼んでいる人たち(SNSには本当にいるんです)がどんな生活をしていて、どういう風に考え怒っているのか、知りたい。

医療従事者への特別給付などが先だろ!…これは理解できます。感謝を込めてブルーインパルスを飛ばす前に物理的に支援した方が…とも思ったし。

仕事を休んでないサラリーマンに対してもだろ!…我々は仕事ができず、定期的に給料を払ってくれるシステムではないことが多いため、このままだと大きな負債を抱えたり、働いた分のお給料が1円も出ないまま…という人がたくさんいるのでそれとこれとは話が違うと思うのです…。

などなどそれぞれの怒りに対して、それぞれ思うところはあるわけです。

しかし「自分の分野に対して批判的に怒っている人のツイート」を読むのはかなり心にダメージを受けます。いくらダメージを受けても舞台を作ることをやめることはありませんが、相当なパワーがいります。


文章には触り心地がありません。

声のトーンがありません。

表情がありません。


まっすぐにくらってしまうのです。言葉を。

今こそ芸術に対して不満を抱いている人の気持ちを理解して、それを掬い上げて、その不満が少しでも解消される動きをしたいと思うのですが、言葉のパワーを受け止める器が今の私には無いのでした。


誹謗中傷の苦しみにも、これが一因としてあるとおもいます。

「文字」という物理攻撃は「声」の攻撃よりもなぜか軽いような気がしがちですが、実はめちゃくちゃパワーがあるのです。


「もうちょっと勉強した方がいいんじゃない?」

真顔で言ってるのを想像しましたか?

嘲笑されているのを想像しましたか?

肩を撫で、心配の表情で言ってるのを想像しましたか?

両親や先生からの真剣なアドバイスを想像しましたか?

…それぞれの状況で想像するトーンや表情が違います。

なので表情の読めない怒りは、読むのに「なるべく柔らかく読める余裕」や「想像力」が必要で、今みたいに誰もが苦しい状況ではなかなかハードルが高いんですね。


またパワーがあるからこそ救われることもあります。

いま、町屋良平さんの「愛が嫌い」という短編種を読んでいるのですが、私は心から救われています。一気に読んではもったいない気すらしていて、ひとつひとつの心理描写を噛み締め、自分に溶かしてから読み進めるスローすぎる読み方で読んでいます。なんかキモいですね。

この本に関してはまた読み終えたら書くかもしれませんが、お気に入りの一文を紹介します。

感情が泣いているから自分も泣いているだけで、理由をいえるのなら泣く必要なんてないとおもえた。

言葉にしなくてはならない脚本家という仕事にいる私は、なんにでも理由を探して当てはまる言葉を探して日々を過ごしがちなのですが(仕事にする前からそうだったので癖かも)、もうめちゃくちゃに救われてしまいました。

町屋良平さんの文章には、こういう肯定感が溢れています。「自分はなんてダメな人間なんだ…」と落ち込みやすい人にめちゃくちゃおすすめです。この本においては、だいたいそういう人が主人公なので。全然肯定的じゃないです。そこがいいのです。


文字を読むという苦労をするからこそ、得られるものもあります。救われる心もありますし、読んだ内容や新たな知識に傷つくことで学ぶこともあります。

正しく心理描写を届かせるためには、やっぱり140文字じゃ足りないのかもしれません。短いからこそ良い表現は、「それぞれが想像できるからこそ楽しめる」ものでしょうし。短歌とかね。良質な短文というか。


「文字を読むのは骨がおれるなあ…」

「疲れることもあるし、だからこそ得られるものもあるなあ…」

という、まあ、なんとも単純なおはなしでした。私もツイートの言葉の手触りなどは、気にしていこうと思っております。


良い週末を。

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