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物語の欠片 紅の蜥蜴篇 8

-カリン-

 マカニの在るエルビエントとアヒの在るフエゴはアグィーラを挟んで真逆にある。飛んで行っても片道四時限と半刻、天候によっては五時限の長旅だ。先程アグィーラの上空を越えた。今日の天候ならばあと二時限程だろう。
 レンとスグリは並んで飛んでいる。皆無言だった。飛び始めた時には色々と感想を述べていたネリネも今は黙って周囲の景色を眺めている。そもそもスグリが無駄口をたたくのをカリンは聞いたことが無い。カリンは隣を飛ぶ深緑色の翼を見た。緑は好まれる色のようで緑色の翼を持つものは多い。しかし大抵は明るい緑色で、スグリのように暗い深緑色の翼は珍しい。
 スグリはシヴァよりひとつ歳上でシヴァと仲がいい。しかしカリンはスグリがシヴァ以外の人間と親しそうに話しをしている姿を見たことが無かった。シヴァはスグリを信頼しているようで、シヴァとレンが二人ともマカニを離れる際にはスグリに後のことを託しているらしい。
 カリンはマカニに住み始めて一年以上が経ち、訓練場に出入りするのは子供の頃から数えると十年弱になるが、未だにスグリとは挨拶しか交わしたことが無い。レンに尋ねると、無口だけれど普通に話すよと言う。ローゼルみたいなものじゃない? とレンは笑うがどうも違うようにカリンには感じられた。しかしそれは単にカリンとローゼルが幼馴染だからかもしれない。
 カリンはレンの背中の上で考え事をしていた。
 族長は今日もいつもどおりの穏やかな表情でカリンたちを送り出してくれた。しかし今のカリンにはその裏にある族長の葛藤がいつも以上に身に染みて分かった。自分がこれまでどれほど族長に苦しい思いをさせて来たのかを思うと胸が締めつけられた。
 アキレアは族長とは反対にネリネを長い間抱きしめ、カリンたちにネリネをよろしく頼むと何度も頭を下げた。いつもの豪快な笑いが嘘のような心配そうな表情だった。アキレアの態度を見てもカリンは自分の責任の重さを思い知らされた。
 人を巻き込むとはこういうことなのだ。
 これまでほとんど自分中心に行動してきたカリンにとって、それは頼もしいというよりは恐怖の方が大きかった。
 少し前、人と深く関わることで誰かの心に闇を生んでしまう可能性があることを知った。カンナもそのひとりだ。その恐ろしさと闘っている最中、今度は大切な人たちを巻き込む怖さを知ったのだ。
 カリンは混乱していた。
「そろそろ高度を下げよう」
 レンがスグリに声を掛けた。その声でカリンは我に返る。もうすぐフエゴだ。先程まで遠くに見えていた火山が大分近づいてきた。噴火した火口はすぐに分かった。そこだけ黒い煙が噴き出している。やはりまだ火山は鎮まってはいない。
 もう、マカニを飛び立ってきてしまったのだ。今は目の前のことに集中しよう。カリンはそう思って自分の心から恐怖を追い払った。
「ネリネ、真っ直ぐ族長様の家に向かっていいのね?」
 カリンはネリネに向かって尋ねる。
「いいよ。下はどうなっているか分からないから、火見の塔に降りて」
「レン、分かる?」
「憶えてる。アキレア様の家に高い塔があった」
 フエゴ地方に入るとすぐにアヒの村の入口だ。その辺りまで来ると黒い灰が空から降り注いでいた。下を見るとどの家の屋根にも厚く黒い灰が積もっている。また、多くの溶岩が道を塞いでいた。まだ赤く燃えているものもあり、やはり地上から近づくのは無理そうだった。
 アキレアの家にも他と同じように黒い灰が積もっていたが家の中は無傷だった。
「うわあ、真っ黒。スグリさん、翼大丈夫?」
 レンは自分の翼をぱたぱたと動かしながらスグリに尋ねた。黒い灰がはらはらと落ちるが、少し粘り気のある灰はなかなか落ちない。
 カリンはいつも持ち歩いている布を取り出してレンの翼を拭ってやった。
「ありがとう。カリンの髪の毛も灰だらけだ」
 レンは手でそれを払ってくれる。
「私はいいよ。翼は、飛べなくなってしまうと困るから」
 スグリの翼も拭おうとすると、大丈夫だと断られた。
「あの、もし触れられるのが嫌だったらご自分でどうぞ」
 そう言って布を差し出すと黙って受け取り、手の届くところだけ自分で拭い始める。
「あの階段が内部で神殿につながっている」
 ネリネが扉のついていない入口を指差して言い、先に立って歩き始めた。
 ぐるぐると手すりに沿って階段を降りる。真っ暗な中、急な階段をひたすら降りていると自分がどこに居るか分からなくなりそうだった。
 しばらく降りるとうっすらと灯りが見えた。出口だ。
 ネリネの言ったとおり、そこは神殿の舞台がある部屋に通じていた。火山灰の降る外は薄暗く光はあまり入ってこないが、それでも真っ暗な塔の内部からその部屋に入ると明るく感じられた。
「さて……うまくいくかな」
 ネリネが手を両方の腰に当てて呟く。
「ねえ、舞台の下には何処から入るの?」
「舞台の裏に階段がある」
「私、そっちに居てもいい?」
「いいよ。真っ暗だから気をつけて。普段あまり人は入らないの。装置に触らないでね」
「うん、分かった」
 ネリネの舞はアグィーラの城で見た。カリンはそれを火山に伝えるという装置を見てみたかったのだ。舞台の下にどのように音が伝わるのかも聞いてみたかった。
「ひとりで大丈夫?」
 とレンが訊くと、ネリネが、二人も入ったら窮屈よと答えた。カリンはひとりで舞台裏の階段を下りた。そこは部屋というよりは本当に舞台の下で、大きな装置が置かれているため確かに狭かった。
 装置に触れないように身体を捩ってなんとか真っ直ぐ立っていられる場所を探す。暫くすると、ネリネが舞台に上がったのか足音が聞こえる。
「始めるよ」
 そう言うネリネの声が響いた。
「いつでもいいよ」
 カリンも大声で返事をする。
 ネリネが足を踏み鳴らすと、カリンの耳元で想像よりもずっと大きな音がした。ただの足踏みであるはずなのに、音と音が反響しあって不思議な響きになる。城で聞いた音とはずいぶん違った。
 これは失敗かもしれないとカリンは思う。この音の違いをクコにどう伝えればいいだろう。カリンは音を聞きながら装置を見渡す。この音の違いが装置のせいなのか舞台のせいなのか分からなかった。
 耳元で大きな音を聞き続けたので軽く頭痛がしてきたこともあり、カリンは舞台のある部屋に戻ることにした。
 舞台の外で音を聞くと、それはさほど城で聞いたのと変わらなかった。やはりあの装置のせいなのだ。装置の形状を説明すればクコは分かってくれるだろうか。それとも、元の音が違わないならば、今回調整した音でうまくいくだろうか。
 そう考えていた時、低い地鳴りが聞こえた。
「効いてるみたい」
 ネリネが大きな声で言った。カリンには解らないが、この地鳴りにネリネは手応えを感じているのだろう。
 カリンはレンとスグリの立っているところまで戻って横に並んだ。二人は黙ってネリネを見ている。ネリネの足音が大きくなった。それにつれて地鳴りも大きくなる。そして暫くすると地鳴りは聞こえなくなった。ネリネも舞をやめる。
「終わり?」
 ネリネが舞台を降りてきたのでカリンは尋ねた。ネリネの額には汗がにじんでいる。
「うん。手応えはあったけれど、どうだろう。でも前よりはいいわ」
 顔洗わない? そう言われてカリンは頷いた。皆少なからず煤けていた。
 舞台の横に、普段はここで舞を踊るための身支度をするのだという部屋があった。
「重要なのは足音だけだから衣装自体は関係無いのだけれど、何というか、雰囲気かしらね」
 ネリネはそう言って笑いながら水の出る場所に案内してくれた。順番に手と顔を洗う。スグリは先程渡した布も綺麗に洗って返してくれた。特にカリンのことを避けているわけではないようだ。レンの言うとおりただ無口なだけなのかもしれない。
「どうなったら火山が鎮まったことになるの?」
 レンがネリネに尋ねる。
「いつもはね、先に地揺れが来るからそれが収まれば成功なんだけど、今回は噴火してしまったからちょっと厄介なのよね」
 ネリネが腕組みをして宙を睨む。
「さっきの地鳴りは?」
「あれは舞が火口に届いた証拠。反応が返ってきたの。あとは、噴煙が止まってくれれば……」
 レンとネリネはカリンの顔を見た。
「とりあえず上に上がってみる? ……あ、ちょっと待ってもう一度舞台の下に行きたいの」
 カリンは舞台の下の空間の大きさと装置のだいたいの形を紙に書いておくことにした。
 それが終わると四人で塔の階段を上った。ネリネが先頭、レン、スグリ、最後にカリンが続く。
 もう少しで上り終えるという時、再び低い地鳴りが聞こえた。カリンは足を止めて地鳴りに耳を澄ます。
「カリン?」
 階段を上り終えたレンがカリンに声をかける。
「地鳴りが聞こえる……」
 カリンが答えた時、どーんと突き上げるように地面が揺れた。危うく階段を踏み外しそうになったカリンの腕をスグリが掴む。揺れは続いている。
「スグリさん、ありがとう」
「いや……いいからさっさと上に登れ」
「ネリネ、外の様子分かる?」
 カリンはスグリに引っ張られるようにして体勢を整えながらネリネに呼びかける。ネリネは言われる前に外を覗いていた。狭い踊り場に四人で立つ。
「……駄目だわ。半端に刺激してしまったみたい。このままでは危険よ。いったん引き上げましょう」
 ネリネが悔しそうに唇を噛む。
 カリンが火山を見たところ先程と変わりないように見えた。しかしネリネは危険だというのでとりあえず言われるがままに塔を飛び立つ。と、同時に再びどーんという大きな音が聞こえた。カリンが後ろを振り返ると、火口から真っ赤な溶岩が噴き出している。噴火が起こったのだ。
「噴火だ。急いで!」
 同じく後ろを振り返っていたネリネが叫んだ。
 頭上から灰だけはなく細かい岩石の欠片が落ちてくる。カリンは剣を鞘ごと外して欠片がレンの頭に当たらないように払う。
 目の前に、大きな岩石の塊が落ちてきた。レンは急旋回してそれを交わす。見るとスグリとネリネの周りにも次々と大きな岩が落ちてきている。ネリネはスグリから振り落とされないように必死で肩に掴まっていた。
 なんとか岩を振り切って安全と思われる場所まで逃げ切り、四人地上に降りた。
「あー怖かった……」
 ネリネはその場に座り込んで火山を見上げた。
「怪我はない?」
 カリンが尋ねるとネリネは首を振った。
「それは大丈夫。でも、ちょっと休憩しよう。レンとスグリさんも疲れてるでしょうし」
「僕はあれくらい大丈夫だよ」
 そう言うレンは確かに息も切れていない。スグリも黙って頷いた。
 皆疲れていないとは言ったが、何となく四人でその場に座り、暫く火山を眺めた。
「ネリネは気落ちしたほうが大きいんじゃない?」
 カリンはネリネの肩に手を置いた。
「そうね……。はぁ、これからどうすればいいんだろう」
「あのね。私、舞台の下に居たでしょう? そうしたら、全然音が違ったの。あれを考慮する必要があったのではないかと思って」
「それじゃあ、まだやりようがあるのね?」
「うん。帰りにアグィーラに寄って、もう一度クコさんに相談するわ」
「ありがとう。やっぱり一緒に来てもらって良かった」
 ネリネはカリンの首に抱きついた。そのネリネ肩越しに何か動くものが目に入る。カリンの血の気が引いた。

鳥たちのために使わせていただきます。