見出し画像

【らべあろ企画】江戸城で一句

この記事はこちらの記事の参加記事である▼

二度目のバトンを回してくださったのはすうぷさん。
水戸城ならではの光景を詠まれた御句はぜひすうぷさんの記事で▼


江戸城の光陰幾重鶴帰る

(えどじょうのこういんいくえつるかへる)
【季語】鶴帰る


「光陰」は”時間”の意味でもあり、文字通り”光と影”でもある。

私にとっては江戸城というより、皇居と呼ぶ方がしっくりくる。
東御苑や北の丸公園は東京に住んでいた頃の散歩コースのひとつだった。
十五代続いた徳川将軍だが、その間安泰であったわけもなく、記録に残っていること残っていないこと色々あったのだろう。
政治や戦だけにとどまらず、「大奥」もあまりに有名だ。
それは「皇居」になってからもおそらく変わらない。
結局、人間在るところに歴史やドラマが在るのだと思うし、それに思いを馳せるのもまた人間なのだとも思う。
そんなことを感じさせてくれる江戸城だったが、最初に建てたのは意外にも徳川家ではないらしいことを不勉強ながら今回初めて知った。

現在の江戸城の前身は、1457年に麹町台地の東端に扇谷上杉家の家臣太田道灌が築いた平山城である。1590年に徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となり、江戸幕府が開幕すると、大規模な拡張工事が、特に慶長期のおよそ10年の間に集中的に行われ、またその後も2度ほど拡張工事が行われ、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。

Wikipediaより

扉絵:『高く高く』アネハヅル Demoiselle crane

タンチョウヅルは渡りをしないので、「鶴帰る」のツルはタンチョウヅルではない。
アネハヅルは渡りをするツルの一種である。ヒマラヤさえも越えるのだ。


さて、次の小田原城(ここも結構訪れている)のバトンは土井あくびさんにお願いしたいと思う。前回は140cmもある印象的な兜を詠まれていた。
どうぞよろしくお願いいたします。


鳥たちのために使わせていただきます。