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物語の欠片特別篇『羽ばたく本棚』の欠片

-ツル・ルルル-

 久しぶりのマカニだった。
 ルルルの住む世界からの入り口である狗鷲の岩を通り抜けたら、こちらの世界のイヌワシの岩に出るというのが定説だと思うが、なぜかいつも訓練場に辿り着く。
 一緒にやって来たトキコとカオルの二人は、初めての訓練場に嬌声を上げていた。
「ツルちゃん、これ、本物だよ!? ひゃあ。こんな日が来るなんて!!」
「この階段を降りたらカリンとレンの家が? え、降りてみます?」
「いや、もうすぐお迎えが来るはず……」
 言い終わるか終わらないかのうちに、訓練場の飛行台に三人のマカニ族が舞い降りた。
 赤い翼、深い緑色の翼、そして、藍色の翼……
 顔はよく見えなくても、もちろん翼の色で彼らが誰なのだかすぐに分かる。トキコもカオルも同じはずだが、すぐには言葉が出てこないようだった。
 ルルルは、慣れている自分がしっかりしなくてはと、二人を促して飛行台の方へ向かった。
「お待たせしました」
 シヴァが落ち着いた声で言い、レンが隣で柔らかく微笑む。スグリは相変わらずの無表情だった。何もかもいつもどおりだ。
「カオルさん、今日はスグリさんの翼はお譲りします」
 ルルルが言うと、カオルは「えーいいんですか?」と言いつつ、スグリの顔色を窺った。
「誰を乗せても同じだ」
 誰にも訊かれないのに、スグリはそう言って空を見上げた。
「トキコさんは?」
 二人を目の前に答えにくいだろうな、と思ったがそう尋ねると、思ったとおりトキコは答えあぐねている。
「では、私がルルル殿を、レンがトキコ殿を乗せて飛びましょう」
 さすがのシヴァである。トキコはほっとした顔で頷いた。

 初めて空を飛ぶ二人の最初の興奮が鎮まる前に第五飛行台に降り立ち、族長の家へ向かうのかと思いきや、そうではないらしい。族長の家の正面の広場で何か行われているらしく、複数の人間たちの声が聞こえていた。
 三人が首を傾げていると、レンが説明してくれる。
「もうみんな、広場で待っています」
「みんな? 待っている?」
「今日は貴女方にマカニ族の証を授与すると聞いています」
「え、それって族長の家でこっそり行われるものではなく?」
「いえ、村人に顔を憶えてもらわなくてはならないので、手の空いている者はみんな集まっています」
 ルルルたち三人は顔を見合わせた。
 シヴァを先頭に広場に足を踏み入れると、場がが静まり注目が集まる。幾ら初めてではないとはいえ、こんなに多くのマカニ族を目にするのは初めてだ。ルルルは汗ばむ手をぎゅっと握り締めた。
 シヴァとレンが、村人の前に立つ族長の両側、一歩下がった位置に立ち、スグリはいつの間にか消えていた。
 ふと、族長と目が合う。
 その穏やかな笑みを見つめていると、すっと緊張が解けていくのを感じた。族長は三人の顔を順番に見ると黙って頷き、村人たちの方へ向き直った。
「事前に知らせておいたとおり、今日はこの三人に対して翼の授与を行う。とはいえ、ツル・ルルル殿はエリカ殿へのお気遣いにより、正式にマカニ族となることは辞退された。よって、マカニへの出入りは自由とするが、カリンと同様、必要な時にはいつでも皆が翼を貸してあげるようお願いしたい」
 そう。ルルルは元々ワイ族の出なのである。幾らマカニが好きだからと言って、エリカを簡単に裏切るわけにはいかない。
 どこから現れたのか、カエデが、族長たちの後方に置かれていた黒い布に覆われた物体からそっと布を取り去った。そこには、二つの翼が並んでいた。ひとつは水色、ひとつは朱鷺色ときいろの翼である。
「ツルちゃんも一緒に行こう」
 トキコに言われ、三人で族長の前へと進む。ルルルは二人より少し下がった位置で、二人が翼を受け取るのを見守った。
 その場で身に着けられないため、受け取るだけだが、二人の手に翼が渡った瞬間、村人たちから拍手と歓声が沸き起こる。自分が受け取ったわけでもないのに、思わず涙が込み上げてきた。
 振り返ったトキコとカオルは自分たちの翼を抱きしめ、同じように目を潤ませている。三人で並んで村人の方を向き、歓声に応えるようにお辞儀をすると、拍手が更に大きくなった。

「ああ緊張した……」
「トキコさん、そんな風に見えませんでしたよ。でも翼を使いこなすには相当時間が掛かりそうですねえ」
 カオルが大きく息を吐いた。
 三人は翼の授与を受けた後でポプラの工房へ行き、翼の講釈を受けた。少しだけ翼を動かしてみた後、診療所まで戻ってきて、カリンの淹れてくれたお茶を飲んでひと息ついたところである。
 ルルルも話だけは聞いたが、とてもではないが自由に動かせる気がしなかった。
「うふふ。私は翼を持たないマカニ族ですから大丈夫。もうみなさん、立派なマカニ族です」
「ありがとう。カリンとなら緊張しないのに……っていきなり呼び捨てだけど」
「お好きにお呼びください」
「そういえば、ツルちゃんがカリンを駄菓子屋に連れて行きたいって言ってたよ」
 カリンが首を傾げる。
「トキコさん、多分駄菓子屋が通じない」
 ルルルは慌ててカリンに駄菓子屋が何なのか、どうしてそう思ったのかを説明する。話を聞いたカリンはふわりと笑って「ありがとう」と礼を言った。
「あれ、そういえばツグミさんは?」
 カオルが思い出したように呟くと、カリンは再び首を傾げた。その仕草がいちいち可憐である。
「さあ。いつも突然現れて消えるのでどこに居るのだか……族長様の所に居ることが一番多いようです」
「えー、行ってみようよ族長の所」
 トキコの提案に反射的に時計に目を遣ると、そろそろ帰らなければならない時刻が近づいていた。
「そうですね、どちらにせよそろそろご挨拶して帰らないと」
「え? もうそんな時間?」
 名残惜しくもカリンに別れを告げて族長の家までの階段を上ると、まるで三人を待っていたかのように、門の外に族長とツグミが立っていた。
「ひゃぁ、ツグミさんの翼、初めて見た!」
「これが噂の黒鶫の翼の色ですね。本当にレンの翼の色に近い」
「きゃー。私も、翼を見るのは初めてかもしれない」
 三人が口々に感動の言葉を漏らすと、ツグミが笑って近づいて来た。
「それじゃあエンジュ、私は三人を送ってそのまましばらくあちらへ留まることにする」
 族長を振り返ってそう言うツグミに、トキコが驚きの声を上げる。
「ツグミさん、エン……駄目だ言えない……族長のこと名前で呼んでるんだ?」
「それは、まあ」
 くすくす笑ったツグミは、続けてさらりと付け加えた。
「せっかくだからイヌワシの岩に寄って帰りましょう」
「え? どうやって」
「ルルさんは私が乗せていきます。おふたりは、私の言うとおり、ついて来てください」
「えー。大丈夫かな? さっき習ったばっかりだよ?」
「一緒に飛べば大丈夫。使わないと、いつまでも飛べるようになりませんよ。そうそう、アメリカでは免許保持者が助手席に乗っていれば公道で無免許者の練習ができるんです。それと一緒」
「嘘ぉ」
 無茶な物言いに妙な説得力があり、半信半疑ながら第五飛行台から飛び立った。ルルルはツグミの背中で、他の二人が気がかりで仕方がない。
 しかし心配をよそに、二人は安定して飛んでいる。ただ、ツグミの言葉に集中しているようで、とてもではないが声をかけられるような状態ではなかった。
 そうこうしているうちに双子の峰らしきものの間を越え、視界にイヌワシの形の岩が目に飛び込んできた。それを目にした瞬間、ルルルも他の二人のことどころではなくなる。
 あれが……イヌワシの岩……
 無言で岩を見つめる。そのイヌワシの岩が……羽ばたいた?
 そう、思った瞬間、視界が歪み、気がつくとLINEビデオ通話の画面の前に居た。

「私たち、飛んでましたよね?」
 画面の向こうのカオルの声で我に返る。
「そう、二人とも凄かったです」
「私たち、本当にマカニに居たのかな?」
 トキコが自分の背中を確かめながら言う。翼を探しているのだろう。
「確かに居ましたよ」
 悪戯っぽく笑うツグミの背中に、一瞬だけ、藍色の翼が見えた……ような気がした。

これは、『羽ばたく本棚』のために集まった羽ばたくチームが揃ってマカニを訪れた時のお話。
なぜ「駄菓子屋」なのかは、『羽ばたく本棚』を読んでからのお楽しみ。

四人の対談はこちらから聴けます▼

『羽ばたく本棚』の試し読みはこちらをどうぞ。
錚々たる名作と一緒に私の『物語の欠片』も目次に。有難いやら恐れ多いやら。


こちらが描かせていただいた扉絵。
本になったらモノクロだけれど、
購入特典のポストカードはカラー(題字なし)。

鳥たちのために使わせていただきます。