不登校の娘の運動会参加までの道のり。

こんにちは。
昨年度から不登校の小5長女と、元気がありあまっている年長次女のママです。

タイトルの通り、今回は運動会について。
運動会は少し前だったのですが、行事が立て続けにあり、その後また私も含め家族が次々と体調不良になり書けていませんでした。


運動会の1週間ほど前に初めての宿泊行事があり、娘は今年の予定表が配られた時点で「お泊まりか、運動会か、どっちかしか出席しない」と決めていました。
その頃は、1ヶ月間の完全なる引きこもり期間が明けたばかりで体力も相当落ちていて、気持ちも全然前向きにはなれていない時期。

勿論私は「どっちか出席でも、直前でどっちも無理となってもアナタの気持ちを尊重するよ。どうなっても大丈夫なように準備をしておくね」と伝えていました。


ずっとお休みしていたのですが、宿泊行事参加のためには出席しておかないと困りそうな日がいくつかあり、その時間だけ頑張って登校していました。
すると仲良しのお友達がリレーの選手に選ばれていたり、応援団になっていたことを知り「ママ達と…運動会見に行ってみようかな」とポツリ。

以前は保護者の方の視線が気になり、行事の見学も拒否していました。でも今はそれは全然気にならないし、どうでもいいと。

強くなっていると思いました。嬉しかった。他人の目に怯えて日中外出することが出来なかったあの頃の娘とはもう違うんだと。乗り越えたんだな、と思うと同時に、こんなに時間がかかるんだなとも思いましたが。。。


担任の先生へ娘の気持ちを伝えると、後日幾つか提案をしてくれました。

①最初の通り、私と一緒に応援団とリレーを保護者鑑賞の場からみる
②(お友達といる事は嫌じゃないので)一緒に児童席で観戦し、競技の時は本部のテントでみる。テントに居ても不自然じゃないように救護係にしてくださり「救護」の腕章も付けてるので居ても不自然じゃないよ…とも。
③今年からできた不登校の子が居られる教室から保護者と観戦。部屋は3階なので眺めは最高だし特等席だよ、と。


私が泣きそうになった。先生の提案がどれも娘に寄り添ってくださってて、しかもこんなに色々と考えてくださっていて。
新しい養護の先生ともお迎えの際に保健室待ち合わせにしたりして、何度もお話するうちに信頼できる大人と娘は思っていて、その先生と係ができるようにしてくださってるのも嬉しかった。

娘は②を選択した。更に「どうせ皆といるなら、徒競走だけは出ようかな」と超ポジティブ前向き発言が出たときには、嬉しくてひっくり返るかと思ったほどw


その後、運動会の直前の全校練習にも参加してみようと登校して、楽しく大玉おくりをしてきたり、初めて勇気を出して不登校の子が使える教室を利用してみたり(5年生の団体表現を特等席から見てたみたい)少しずつ、でも確実に行事キッカケで前へ進んでいる娘がそこには居た。


当日の朝もいつものように朝食をとり元気に友達と登校していった。

毎年と同じように気怠そうに運動会の歌をうたったり、準備運動したりしてたw 大玉おくりではキャーキャー言いながら楽しそうにしてた。

5年生の種目は1時間後だったので、学校から徒歩2分の我が家に一旦もどり、次女にオヤツを食べさせていたら突然学校から電話がきた。
頭痛とメマイをうったえて保健室で休んでいると。次女は私の母に任せて、ポカリと痛み止めを持って走って学校へ行った。

長女は運動会が始まる直前、なんとなく痛くなる気がして頭痛薬をのんでいたらしい。それでも頭が痛いと。でも笑顔だったから安心した。
外に出て数分すると今度は担任の先生が。どうやら保健室に次々と嘔吐した子がきていて、ここに居ると感染してしまう可能性があるから3階の例の教室へ避難しましょうとのこと。


私の母と次女も一緒に3階へ行くと、私たちの他にも1家族いらっしゃった。でも本当に眺めが良い場所で、更にお絵描きや折り紙の道具もあり、いつも「もうお家に帰りたい」という次女を遊ばせることもできた。ありがたい。

好きな子の徒競走をキャーキャー言いながら
リレーは熱く応援しながら観てた。
かなりウルサイ家族で、隣で静かに観戦されてるご家族には申し訳なかったくらい。どなたか分からないけどゴメンなさい。帰宅してから家族で「うるさすぎたね。。。」と反省会が開かれるほどw


全ての競技が終わり、次女と母は先に帰宅。
娘はポツリと「出たかったな」。
そうだよね。出ようと前向きになって学校きて、それが体調不良で参加できなかったなんて悔しいよね。「そうだよね」と寄り添う言葉しか出てこなかった気がする。


娘と同じように、私も色々な行事を経て、学校や先生を信頼してもいいんじゃないかという気持ちになってきている。

これまでは所詮学校の先生だもの、登校させようと頑張るし、登校できたら「良かった良かった」なんでしょ…と心がトゲトゲしていたけど。
不登校も5ヶ月ともなると、これが日常になり、以前よりも私の心も穏やか。そして「原因作ったの学校でしょ!」と荒ぶる気持ちも少しは落ち着き(まだ根底にはちゃんと在るけど)、娘が自分の望む自分で居られるように一緒に動いてくださってありがとう…という気持ちになってきた。


最後に、我が子は出ていなかったけど、小学生の熱い運動会は青春をビンビン感じられて、懐かしくて、そしてその熱さが羨ましくなったアラフォーでした。

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