親父のこと(画家としての親父)

先日、東京に出張していたとき、たまたま親父も東京に出てきていたので、晩飯一緒にどう?ということで、上野で飲んだ。
このご時世なので、金曜日の晩だというのにお店には客は少ない。
今年、80(昭和15年生まれ)になった親父なので、こんな時に東京に出てこなくてもいいのにということなんだが(自宅は大阪にある)、光陽会という公募美術団体に所属していて、役をやっているらしく、近く開かれる絵画展の準備のために出てこなくてはならないということらしい。

 親父はサラリーマンをしていたころから、ずっと絵を書いてきていて、定年前に会社を早期退職してからも、絵をづっと書き続けている。年に一度、個展を開いたり、絵画教室を開いたりと忙しくしていることは知っている。
 子供のころ、展覧会用に畳2枚ぐらいの絵を書くとき、カンバスを組み立てるのを手伝った記憶がある。家の中かしばらく油絵の具臭くなる。
 私は親父のそんな才能をなにも引き継いでいないので、まったく絵心もないし、絵に興味があまりない。ただ、私自身いい年になってきたので、有名な画家の展覧会を見る機会があれば行ってみることも必要と思う年になってきた。

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(昔、親父が自費出版した本)

さて、本題。
飲みながら話している中、日本には公募美術団体が沢山あり、主要メンバーは皆高齢化。あと10年後にどうなっているのか分からないというのが現状のようだ。
展示会の度、300を超える絵画の応募があるらしい。それなりに歴史のある公募美術団体であり、京都美術館などそれなりに格のある美術館で展示会を開催できる。
若手の画家が作品を書いて、その内に絵で飯が食えるようになるご時世でもなく(パトロンがつくような時代でもない)、会が若手を育てることも難しい時代になったと。

会員が描いている絵も、売れるわけでもなく、皆、自宅や倉庫で眠っているだけの絵。
高齢化のため、亡くなった場合、遺品として処分される。遺族としては中々処分しにくいのが心情だろう。
私自身も、親父が無くなったら、畳2畳もあるような絵が何枚もあっても引き取るわけにはいかない。
そう、思い出したが、私が郡上に移住したころ、郡上踊りを描いた絵を、市民病院が新しくなるので、寄付をさせてもらった。しばらくエレベーター前の壁にかかっていたが、今あの絵はどこに行ったのだろうか。

そこで親父に提案したのが、眠っている絵を、サブスクで貸し出してはどうなのかと。
眠っている絵の数は半端ないだろう。いろんな作風の人がいるだろう。自分がどんな絵に興味があるのか分からない(私のような)人に、毎月ランダムに、会の会員の絵が送られてくる。
その内に、好きな作風の絵が出てくればリクエストにこたえるようにする。
また、送られてきた絵を気に入ったのなら、買い取ることもできる。

バッグの貸し出しと同じで、人気のある作風なら、サブスクで定期的な収入が発生するようになる。
ただ、このサブスクの目的は、光陽会がこの先も安定的に運営されていく資金を稼ぐこと。
また、若手も画家に何らかの資金援助をする仕組みの構築。
サブスクを原資に現代版パトロン制度を作る。

こんなことを、親父と酒を飲みながら二人で盛り上がったが、
翌日、会にてその話をしたがあまり興味なさそうという反応らしい。

その後、こんなことすでにやっている人いるよなと思って調べると、ありました。


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