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樂美術館

樂美術館へ。

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利休登場まで、主に中国や韓国の舶来道具を珍重していた茶の湯。

利休は新しい「茶の湯」の世界を築く中で、様々独自の感性でオリジナルの道具を導入したわけだが(身近な竹筒や魚籠を花入れに仕立てたり・・)、中でも長次郎に作らせた楽茶碗は、利休の茶の湯を象徴する主要アイテムだ。

その長次郎から、現代まで16代の樂吉左衛門の名を受け継ぐ樂家に隣接し、所蔵品を披露する樂美術館を訪問した。

この日先客はおらず、受付の紳士が親切に、一部を除き写真OKの旨説明してくださる。

企画展は「やわらかなぬくもり」。

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以下、記録。

●パンフレットにある茶碗の銘は「梨花」。
2019年に当代に名を譲り隠居された直入(じきにゅう)の作品。
おおぶりながら、はなびらのような繊細さとおおらかなまるみが親しみやすく、触れたくなるあたたかさを感じる。

●楽焼と言えば黒楽と赤楽。
黒楽は釉薬の色だが、赤楽は土の色が出たもの。
これは秀吉の「聚楽第」(楽美術館より少し西に跡地)のあたりからとれる土だそうで、そこから楽の字をとって「樂茶碗」と呼ばれるようになったそうだ。

●初代長次郎の妻の叔父である常慶が樂家の二代として吉左衛門を名乗って以来、実子の男子または娘の夫が樂家を継いできている。
今回の展示では、五代吉左衛門宗入の娘にして六代吉左衛門左入の妻である妙修(里う)の作品である赤楽茶碗も展示されていた。
娘や妻が作陶に関わることは珍しいそうだが、妙修はこの赤楽茶碗の他に、父である宗入と香合を合作することもあったとか。
なかなか懐の深い話。

●2階(常設?)のほうに「樂家のお正月飾り」という棚もの一式が展示されていた。
棚は青漆爪紅(つまぐれ)及台子。濃緑にシャープに入る朱色が鮮やかでさわやかに美しかった。棚と水指は樂家と同じく千家十職である中村宗哲の九代の作。
蓋置、建水、杓立が樂家の作陶だった。

●特別な展示コーナー(撮影不可)には、歌舞伎俳優の坂東玉三郎氏が造り、樂家当主が焼いた茶碗が、貴重な能面とともに展示されていた。
先代直入が焼いたという大ぶりな黒い茶碗はたおやかな小面(こおもて)の面とともに展示されており、一方、当代吉左衛門が焼いた赤い茶碗は小ぶりなかわいらしいものだったが、在原業平がモデルとされる中将の面とともに飾られていて、面白い取り合わせだと感じた。
これらの作陶に関する坂東玉三郎氏の筆が淡交社の月刊誌『なごみ』令和3年1月号にも寄港されているようで、一度拝読したい。

●訪問後、当代吉左衛門である樂篤人さんの対談記事を拝読した。
日本の美術館の文化と、茶道具の楽しみである「触れる」ことに関し思索されていることがわかり興味深い。

●ごく身近なものや全くのオリジナルアイテムを茶道具として茶室に取り入れ、由緒を持つ貴重な舶来道具よりも値打ちのあるものだと価値観を革新したことは、利休の偉業の一つであると改めて実感した。
そういった道具の一つである楽茶碗がこうして樂家を中心に代々受け継がれ、当世では値打ちが高まり珍重されている。
利休には後代に対してまで挑むような思いや覚悟があったと勝手に推測しているが、体現した新しい美意識は、450年後の今日でも茶の湯の中心に据えられ、愛されている。


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