この木なんの木? 気になる木の名前から「名前」について考える
この木なんの木 気になる木
名前も知らない木ですから
名前も知らない 木になるでしょう 『日立の樹』
CMソングでおなじみの『日立の樹』(作曲:小林亜星、作詞:伊藤アキラ)。テレビで流れるとつい口ずさんでしまいますが、じっくり歌詞をみたことはありませんでした。
「名前も知らない木」だから、「名前も知らない木になる」。うーん、書けそうで書けない一文。
さて今回は、お散歩中にみつけた「気になる」名前の「木」をご紹介しつつ、「名前をつける」ということについて、少し考えたいと思います。
「あるものには名前をつけていこう」
『又吉直樹のヘウレーカ!』という番組で、「なぜ植物はスキマに生えるのか?」というフシギを紐解く回がありました。その中での、又吉さんと植物学者である塚谷裕一先生の会話です。
又吉「なんか こういうお花(スキマに咲いている小さなお花)に名前が付いてるってことは 昔 なんか ただ生えてただけじゃなくて 何かに使ったりしてたんですかね?」
塚谷「いや 日本人はね 割と博物学の趣味が早くから発達したので 役に立とうと立つまいと とにかく あるものには名前をつけていこうというので はやばやと名前が付いているんです」
そうなんですね。植物の多い公園に行くと、かなりの確率で(主に樹木に)名札がついています。まさか、スキマに生えている草花にも名前があったとは。
名は体を表す...でもない 「ナナメノキ」
割と、真っ直ぐでした。
暖地の山地に生え、高さ12mほどになります。【特徴】葉は楕円形で、先はやや尾状にとがり、ふちにはまばらに浅い鋸歯があります。やや革質で表面にはつやがあります。実は直径約6mmの球形で赤く熟します。
ちょっと由来を調べてみました。
・ナナメは七実の意味で、美しい実がたくさんなるのにもとづくという説
・この木の実はモチノキ類の木の実が球形であるのに対し、少し長いのでナガノミノキ(長の実の木)、それが転じてナナメノキになったという説
・ナナメノキは昔はナノミとも称されていた。そのナノミは「名の実」(人によく知られた実)の意味で、ナナメノキの実は美しく、その美しさには定評があることから、ナノミと呼び、それが実る木なのでナノミノキ、それが転じてナナメノキになったという説(有力)
『さらっとドヤ顔できる 草花の雑学』(パンダ・パブリッシング)より
諸説あるのですね。うーん、シンプルに「斜めに生えていたからナナメノキ」がよかったな。黒猫に「クロ」と名付けるように。
ちゃん付け...ではなかった 「アブラチャン」
愉快ですね。
枝や輪かんじきに用いられます。アブラチャンのチャンは瀝青(コールタールなど)のことで、昔、実や樹皮の油を灯用にしたことによります。
上記以外にも、どうやら諸説あるようです。(『木のメモ帳』(©︎2009 Kinomemocho)というサイトに、アブラチャンの名前の由来について色々書かれていました。)
なんの「トチュウ」なのだろう?
「はて、成長の途中かな?」と、なんの捻りも、夢もない発想の私。
「旅の途中かな。」と、夫。なかなかのロマンチストです。
この「トチュウ」は「杜仲」と書き、樹皮は漢方薬などにも利用されているそうです。あの養命酒にも!
名前をつけるということ
植物に限らず、意外とモノや行為には名前が付いていて驚くことあります。由来を調べるのも面白いし、自分で勝手に考えてみるのも楽しそうです。
名前がなくて困ることもあります。たとえば言語が変わると、その言葉を表す言葉自体がないことがあります。日本語でいう「切ない」とぴったり対になる英語は無いように思います。
でも、そんな時はおそらく勝手に名前をつけていいのです。作詞家の松本隆さんは、「無い色は作ってしまう」と度々おっしゃっています。
春色の汽車に乗って 『赤いスイートピー』
映画色の街 美しい日々が 『瞳はダイヤモンド』
ロマンス色の会話が 『ガラス靴の魔女』
日暮れ色の時の中 『鼓動』
雨色のBus station 『赤い傘』
夢色のスプーン 『夢色のスプーン』
抽象的になりすぎないように、かつ聴く人によって想像が広がる架空の言葉を作っているそうです。
「良い歌詞の定義は?」という質問に対し、作詞家・音楽プロデューサーでもあるいしわたり淳治さんも、少し似たようなことをおっしゃっています。
「まだ名前のついていなかった感情に名前をつけるような歌詞だと思います」と答えることが多い。やはり、人は自分でもまだよく分からないもやもやした感情を、スパッと誰かに言語化して歌にしてもらえた時、「これは私の歌だ!」と感じる気がするのだ。 (朝日新聞DIGITAL 2017.12.29.)
その「名前をつける」という能力を、言語化が上手な人に共通する2大条件のひとつとして、『メモの魔力』(幻冬舎)の著者である前田裕二さんが挙げていらっしゃいました。
抽象的な概念の名前をつける力が高いこと。まだ呼び名が決まっていないものに標語をつける、キーワードをつける力です。抽象的で名前をつけにくい概念を、言葉という確かな形で、この世に存在させるのです。『メモの魔力』より
また、『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』にて、著者の細谷功さんは、言葉や数を操れることが、人間の知能の基本だとおっしゃっています。
さまざまな道具や紙、技術を発展させ、伝承させることができたのも、言葉や数(や記号)によってそれらを記述し、記録することができたからです。
身の回りのものにパターンを見つけ、それに名前をつけ、法則として複数場面に活用する。これが抽象化による人間の知能のすごさといってよいでしょう。 『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』(dZERO)より
「名前をつける」というのは、人間に備わった素晴らしい能力のひとつなのだと、じわじわ感じています。
まとめ
公園に生えていた木の気になる名前から、「名前」というものについて色々考えてみました。
『ハウルの動く城』で、ハウルはこんなことを言っています。
ソフィー「ハウルって、いったいいくつ名前があるの?」
ハウル「自由に生きるのにいるだけ」
私も作詞をする時の名前、詩を書く時の名前、そしてnoteを書く時の名前があります。でも、実は本名が一番好きです。「自分の中で一番気に入っているところは?」と聞かれたら、迷わず「名前」と答える気がします。素敵な名前をつけてくれた両親に感謝です。
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