陰キャとぼっちは留学に行け

「何言ってんだこいつ」
タイトルを読んだほぼ全員が思ったであろう。

その理由は書いている本人でも理解できる。

「日本でさえコミュニケーションうまくいかない人間が、【留学】という最大限のコミュニケーション能力が必要なことができるわけない」と。

だが、私は根拠もなしにこんな暴論を掲げているわけではない。

自分は学生時代に2回海外留学をしてみて、活動的で人好きする人が意外に心を病むという不思議な現象を目の当たりにしてきた。

あれから数年経って「なぜか」を考えて振り返ってみると、いくつか納得感のある理由が出てきたので今回noteという形でまとめてみた。

自己紹介

基本情報

  • 名前:津軽りんご

  • 年齢・性別:20代後半

  • 職業:コンサルタント(UX関連)

  • 海外経験:高校・大学での交換留学(計2年)

    • 高校:ケルン周辺でホームステイ

    • 大学:ケルン周辺で寮暮らし

今でこそ9割9分日本語オンリーの職場だが、学生時代は日本語はおろか英語すら通じない場合もあるドイツに滞在していたことがある。


留学のきっかけ

私の場合、両親がすでに若い頃留学経験があった。

どうやら両親の中で「10代のうちに何かしらの形で長期留学させる」
という教育方針があったようで、私が高校生になったときに打診を受けた。

しかし当初の私の反応は
「いや、何とんでもないこと言ってんねん」だった。

私の主張では「日本でさえうまく生きていけないやつが海外に行ったら死ぬだろ」ということだった。

私は子供の時から間違いなく「陰キャ」の部類で、自覚もあった。
当時の言葉でいうと「非リア」か。
そして「ぼっち」の適性も高かったと思う。

対人恐怖症に近く、壁を取っ払うのに多大なるエネルギーを使う。
相当仲良くないと人と目が合わせられない。何かしようとすれば「空気が読めないやつだ」と笑われる/怒られる。

今の高校で必死に立ち回ってようやく安心して過ごせるようになってきたのに、人間関係も学力も差し置いて「外国」というもっとハードな環境に放り込まれたら…と考えるだけで恐ろしかった。

しかし、海外留学を専門にする社団法人が開催する「留学説明会」に行き、高校生で留学を経験したOB・OGたちの話を聞いて気が変わった。

私が行ったのは「EIL」という組織
興味のある人は公式サイトをチェック

「みんなも最初はビビりながら決めてたんだなぁ、でも先輩たちかっこよくなって帰ってきてるし、案外私も行けるかもしれない」

その後、語学準備などで多忙スケジュールを経てドイツへの交換留学を実現させた。
(ドイツにした理由や詳しい準備の話はズレるので割愛)

そして3年後に、同じ人物が「もういっかいドイツいきた~い!!」と自ら大学の交換留学プログラムに応募するのだった…


海外留学の目的とは

本題に入る前に「海外留学に行く意味」について話しておく必要がある。

自分が実際に海外に飛び込み、経験してみて思うのは「みんな『海外留学』に対して、誤解している!!」ということだ。


留学の「目的」は言語力・コミュニケーション能力か?

具体的に思うところがあるのは、以下の通説だ。

「海外留学は『語学』と『コミュニケーション能力』を上達させるためにある」

日本語が通じない環境に無理やりおかれることで、頑張って外国語を使うようになる。

それを日常化させることで、海外の人と関わる抵抗感が薄れ、ツールとしての言語もうまく使いこなせるようになる、と。

間違っちゃいない。
一理、いや五理くらいはある。

だが言語やコミュニケーション能力というのは
海外留学で得られる「一部分」であって、

言語力・コミュニケーション能力の向上を「目的」にするのは大きな誤解だと声を大にして伝えたい。


留学の目的は「内なる自分」と向き合うこと

じゃあ、本当の目的って何よ、という話になる。

私の経験上「孤独に自分自身と向き合い、受け入れる」のが目的なのではないかと考えている。

なんか香ばしい言い方になってしまったが、海外在住経験者であれば多くの人が頷いてくれる…と信じている。

海外留学では、言葉も生活習慣も違う中で生きていくため
数週間もすれば否が応でも「何もできない無能な自分」が内外ともに明らかになり、しんどい状態に陥る。

もちろん日本で生きていても、新しい環境に入ればそのような状態はなりえる。
ライフステージが変われば少なからず直面する機会はあるだろう。

それでも日本にいれば「気の知れた家族や友人、知人に話す」という選択肢が比較的気軽に取れる。

そのため深刻化する前に心理的ストレスが軽減しやすいと感じる。

一方海外留学の場合、そうそう日本の仲間に連絡も取れない。

身近な地元の人間は言葉もいまいち通じないし、そもそも信頼に足る相手なのかも読めない。

そこからなんとか脱却しようともがくのか、
もしくはうまく付き合っていくのか、
人によって解決策は様々だが、
この「強いしんどさと孤独感」に耐え抜ける強さを獲得するのが「海外留学」の目的だと考えている。


「陰キャ・ぼっち」はなぜ留学に強いと考えるか

さっきまで留学の目的について書いてきたが
ここで「陰キャ・ぼっち」の話に合流しよう。

私の主張では「『陰キャ・ぼっち』は、実は留学向きなのでは?」というものだが

根拠として、この「孤独に自分自身と向き合い、受け入れる」という留学の目的を果たせる可能性が普通の人より高いと考えているからだ。

  1. 人間関係の構築に対する期待値が低い

  2. 単独行動のスペシャリスト

  3. 「人間観察」力が高い

ひとつずつ説明していこう。


①人間関係の構築に対する期待値が低い

一番はこれに尽きる。

母国でそもそも人間関係に悩んでいるため「どうせそんなうまくいかんやろ」と半ばあきらめた状態からスタートすることになる。

そして実際、留学先での友達作りは誰でもうまくいかない。

でも期待値が低いから、最初こそ落ち込んでも「まあ、最終的にしゃべれる相手ができればいいか」と切り替えがしやすいのが陰キャ・ぼっちの強みなのだ。

かつて同じ留学生だった知人はこの切り替えで非常に苦しんでいた。

彼女は友達も多く、いわゆる「陽キャ」寄りの人間だった。
話していて「こいつはカースト上位だぜ…」とまぶしい思いをしたのはよく覚えている。

しかし、彼女は半年もするとふさぎ込みがちになって
日本にいる親や友人と頻繁に連絡を取り、日本人留学生とばかりつるむようになってしまったという。(又聞きなので事実かはわからない)

彼女の場合、日本での成功体験が多いために
「海外でも自分は友達が作れる」と意気揚々と行ったものの、理想と現実のギャップにつぶされてしまったのではないかと想像する。

人間関係が上手く構築できないしんどさは平等に与えられるが、陰キャ・ぼっちの場合、そこそこ軽傷で済みやすい。


②単独行動のスペシャリスト

さきほどの理由と関連するが、陰キャ・ぼっちは孤独耐性がそれなりに高いため、ストレスと共存しやすい傾向にあると考えている。

特に陰キャの場合「孤独が好き」という人は少数だろうが「一人の方が気楽」と感じる人は多いと思う。

「おひとり様」を楽しめるか、というのは海外滞在する上で重要なスキルになっている。

気の知れた友人ができるまでは「単独行動」がどうしても増える。

慣れない環境で、居心地のよい時間を過ごす方法を1つでも見つけられるかそうでないかで精神状態が大きく左右される。

母国で「一人の過ごし方」を試行錯誤してきた陰キャ・ぼっちなら、
留学先でも落ち着いて過ごす術を見つけられるはずだ。

(私の場合、休み時間は食堂での課題、自由時間はWiFi環境下で動画サイトを見るというのがルーティンだった)


③「人間観察」力が高い

陰キャ・ぼっちの多くは「気にしい」で「繊細」な性質が原因だと考えているが、留学先では意外に役に立つ。

自分の言動をシミュレーションする時。
相手の言動の裏側を推理する時。

陰キャ・ぼっち達は無意識に様々な情報を「繊細」に「気にし」ながら「人間観察」をしている。

そして、この無意識に思考を巡らせる行為が癖になっていると、留学先で信頼に足る人間を探しやすいのだ。

留学先では「言語」という大きな手掛かりが、特に最初は使えない。

そのため地元の人間に対し「この人は信頼できる良い人なのかどうか」を判断するのは母国よりも困難になる。

まず断片的な情報をかき集め(本人の言動、第3者が彼/彼女のことを話すときの表情、友人関係…)疑念を少しずつ晴らしていく。

骨は折れるが、実は言語以外の手がかりを使って感じた人物像は案外当たっていることが多い。

(※本当は無邪気に話しかけ続ければいいのだが、無駄に傷つくリスクは取れないから「陰キャ」なのだ)

常に一歩離れて相手の人となりを慎重に観察してきた陰キャ・ぼっち達であれば、留学先で知り合った人間の「本質」を見抜くのは普通の人よりも早いと思われる。

「趣味は人間観察です」なんて言うと痛いやつだが、案外バカにできないスキルなのだ。

己の「したたかさ」を武器にする

「陰キャ・ぼっち」の人は「卑屈」と言えるほと自己肯定感が地を這いつくばっている。

しかし、私が見ていて思うのは「陰キャ・ぼっち」が持つ
ある種の「卑屈さ」は「したたかさ」にもなりえるということだ。

「したたかさ」は一見悪い意味に聞こえるが、
変に期待したり派手に出ず、地味に地道にジッと様子をうかがい続ける力は、苦境で多いに自分を支える。

それはつまり、日本の常識が通用しない海外留学では「武器」になる可能性がある、ということだ。

しかし、ここまで読んだ人たちからこんな声も聞こえそうだ。

「でも、陰キャ・ぼっちだからって全員留学向きなわけじゃなくない?」

その通りである。

次回は「留学で輝く」陰キャとそうでない陰キャの違いについて掘り下げていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?