砂糖 つづり
自己啓発エッセイをまとめています
詩をまとめています
文章を書いてはじめて、自分の文章に出会う。 意味がわからないと思うけれど、そうなのだ。 文字が、文章として成り立つまで、自分の文章なんてなかったのだ。頭の中でいつも成り立っているものでは決してない。これが文章の面白くて、病みつきになる部分でもある。ずっとそんな自分の文章を愛したいし、書いていたい。この場所にも、愛着が湧いてきた。もちろん、読んでくれる人にも。きっと、一生続けたい。一生なんて、無いのだけれど。
頑張った先では、頑張り続けなくてはいけなくなる。 だったら、最初から頑張らずにできることを続けた方が、加速度的にパワーになるものだ。 それを忘れてしまう。本能的に、頑張れば人生が激変すると思っている。 でも違うのだ、それではいつか力尽きてしまう。 だから、頑張らないでできることを続けよう。 私たちができることはそれだけなのだ。
人の書いた文章を読む。思ったより毎日沢山読んでいる。聞いているのを含めたらもっとだ。文章と言っていいのか分からないけれど。 そういうのを見つける度に、自分も書きたいと思うゲージが上がる。 おかしな話だけれど、自分もこんな色や匂いを出せるのかもしれない、と思うからか。 文章からはそういった生で、美しい何かを感じる。 普通に日常生活で接しているはずの人達の、もっと神秘的な部分。本当に平然と生きているのだろうな、私もそうだけれど。 そんな内面世界を抱えた人達が、文章を書くからだ
憧れていた人がいた。それも熱烈に。その人の顔や生き方やファッション、全てを吸収したいと四六時中想いを馳せていたようなものだ。 きっと、あの時しかできなかったのだな、といまは思う。 あれは高校生だった。そのくらいの時期だからこそ、熱烈に何かを信じて、信仰することができた。みんな同じなのだろうか。人生でひとつくらいは、そのくらい夢中になれることが有るのだろう。 それ自体、とても尊いことだと思う。尊い記憶。 きっと忘れてしまっても、私の身体の一部として今も何処かに生き続けているのだ
心惹かれる文章を見つける。 きれいだ。丁寧で、在り来りなんかじゃない。 それな文章にあこがれる。 私も、かけるようになるのだろうか。 書くと言うより、描くという方が似合うような。さがしている。さがしてみせる。 野心ばかりあるような気がする。人はもしかしたら、表面上とは全く真逆の内面世界を持つものなのかもしれない。ただこれは、他の人もそうであれば嬉しいからという期待にすぎない。 内面世界も、表面上も、それはそれで楽しいものだと知っているから。私と君は違うけれど、それでも楽しむこ
今日はあまり知られていない読書の利点についてお話しします。 一般的に言われていることの少し踏み込んだバージョンかもしれません。
懐かしい匂い 懐かしい心地 早めにお風呂に浸かった 贅沢にご飯の後にはアイスを食べた なぜだかいつも痛いはずの肩が軽くなって 遠くのいつもの人をおもいながら 私は宙に浮いているような気がした
どんなに難しいことだろう。全てを認めて、でも諦めて、みんなが裸足で駆け出すような世界。 人々はみな、大丈夫 という感覚が薄い。 先の不安、過去の後悔、今の選択。 どうしようも無いものに溺れているようなきがする。 それよりももっと、世界には綺麗なもの、まだ見なきゃいけないもの、感じなきゃいけないことがある。 だから、自分だけでも自分を信じていたい。結局は何もかもどうでも良くて、ただ感じたいものだけを求めていたい。 自分だけは自分を信じて、裸足で歩いてみようと思った。 きっと
制作物と生成物 娯楽 想像通りのものは生成される、生成物 でも見つけに行く楽しみがあるのが制作物 どちらが優位になるのだろうか 私はどちらも楽しいと思うのだ だから、人間として今は創造したい 今の貴重なアナログの作品を残したい そう思う人は多いのではないか
アウトプットはするものでは無い、出るものだ。 これは私の格言だ。アウトプットがしたいなら、同じだけの分何かを吸収する必要があるのだ。だからずっと、自分の好きなものを見聞きするようにしている。それくらい、インプットがアウトプットに直結すると思っている。 自分が作りたい世界観に近いものを吸収する。それが結局、自分の作りたい世界観をつくるきっかけになるとしたら、とても素敵なことでは無いか。 そうだと思っている、きっと私たちは日々、クリエイターなのだ。そういう時代が来ていると思ってい
好きな作家さんの文章を読むと、あ、別の誰かに似ている気がする、と感じる。それもまた別の好きな作家さんなのだ。似た匂いがする、たしかに、と思う。 そして、作中とかに、好きな作家さんの好きな本や作家さんが登場する。それもまた私の好きな作家さんで、なんともシンパシー?を感じることがある。似た匂い、好きな人の好きな人まで好きな自分。それも、純粋なものかは分からない。好きになりたいという思いもある。 でもそんなことを知るずっと前から好きだということは確信があって、そのふわりとした証拠が
自分が満たされていることを知った 最近、自分が果てしなく満たされてしまったような気がしたことがあります というのは少し盛っていますが、それにしても満たされていることに気づきました 理由としては、沢山の時間を持て余すようになったからなのか ウィンドーショッピングをしても、余程のことがない限り衝動買いをしなくなり、お金がさほど無くても幸せに生きていけることを知りました もちろんまだちょっと欲しいものはありますが、少なくともあと100万円位あれば欲の全てを解消するような気がしま
最後 それはとても正しく慎重な響きである 最後の花火に今年はなったのかもしれない日 8月の最終日 最後、とくくることで感傷に浸る材料は集まる それはとても正確に、慎重であると思う 他のことも、思い出さなきゃいけないから 昔のこと、今のこと、未来のこと それを思って、今を眺める そんな、最後の花火が、線香花火が、儚くて、感傷的で、 首が痛くなるほどの満点の星空に見守られながら たしかに、これは最後の夏だ と正しくなくても確信した
脳死で読める文章が読みたい と、本を探しながら言っていた人がいた とても分かる 特に頭を使わずに活字を追っていたいときは、ある わたしも、読書が好きな方だと自負しているが、それでも小説が読めない時期や、逆にビジネス書が読めない時期、そのどっちもなど容易にある 私は気がむくまで傍には置いておいて、まあ読まなかったりする また気が向いたら本の虫に戻る その人も読書をする方の人だった ということは、脳死で読める文章が欲しいと言う人は多いのではないかと思った 読書はしたい でも
変化、これは避けては通れない道 どんどん変わっていく、些細なことで どんどん人生は変わっていく 人も気分も自分も状況も変わっていく それでも変わらないものもある だから、未来なんて分からなくて ただ今日を精一杯最大限自分なりに 生きることしかできない 今日も、いい一日になりそうだ、と唱えて始めてみる
私の言葉選びが好きだと言ってくれる人がいた。 私の言葉を、褒めてくれる人がいる、 それは、堪らなく嬉しい。 普段、自分の好きなものを見聞きするようにしているし、好きな人、好きな音楽、好きな場所 そういうものを吸っているから、やっと自分らしく吐き出せるようになった。 堂々と。 あとは、浮かんできたものはすかさず何処かにメモするようになった。 だからね、あなたも自分らしく生きていいのだと思う。 見たいものをみて、見せたいものをみせる。 自分の言葉は自分の自由。 あなたらしさは