パレスチナの歴史的文脈を知って、考えたこと。
岡真理先生による動画、「緊急学習会 ガザとはなにか」の内容の一部を文章としてまとめた記事はこちら。岡真理先生について、「パレスチナ問題を人間の普遍的な思想課題として考察している」とウィキペディアの概要欄に書いてあったけど、まさにその言葉がしっくりきた。この問題を知ることは、わたしのものの見方を変えてくれた。感じたことや考えたこと、疑問、一緒に考えたいことをこの記事に書きました。
「わたしも関係している」という気づきがうむのは、絶望ではなかった
この問題は確実にわたしにも関係がある、ということが、芯からわかった。そのことによって、これ以外にもすべてのことに関係があるのだと思った。でもその「わたしにも関係がある」という気づきは、希望になった。知った内容は絶望的なことだった。本当に言葉にできない恐ろしいことが起きているということ、なのにわかっていなかったということ、隠されているのか報道者も本当に知らないのか、どちらにせよ、情報をもたらしてくれるのだと思っていたニュースや新聞を見るだけでは本当のことを知ることはできないということ、歴史は、世界は、こんなにも歪んでいるということ。
でも、わたしに関係がないことではないとしたら、それはわたしにもできることがあるということだと感じた。こういうことを知るにあたって、わたしも何もしない、知ろうとしないことによって加害側になるんだと知ることはとても苦しい。でも、今回このパレスチナの歴史、ユダヤ人の歴史を知ったことで、なんだかよくわからない、どつしようもないことが世の中で起きているという認識から、人間がしてきたどんな課題が要因でどんなことが起きるのかがわかったということは、それはわたしにもできることがある、わたしにはどうしようもない世界で生きているのではないということだった。
関係ないという姿勢は、楽なようでいて静かにずっと絶望しているということなんじゃないか。私たちが生きている世界は安全じゃない、平和じゃないということを知っている、でもそれはわたしにはどうにもできない事なのだと信じることって、それってとても絶望的じゃないか。
この世に起こっていることには理由があって、それは同じ社会に生きている者として、そもそも人間としてなにか繋がりがある、つまりわたしにも関係あるということは、なにかをよりよくしていくこと、何か悪いことを少しでも減らすことはわたしにもできることだって感じることだと思った。
変えられるかはわからなくても、何もできることはないということはなかったのに、それをしていなかったという後悔、悲しさ、罪悪感。それをなかったことにしてはいけないと思うけれど、それでも、ただ自分は最低だって責めて、その不快さを感じたくないから知らないようにするというループより、関係あるんだということを希望に変えて、これからを選びたい。
発信するのは怖かった。でも発信しようと思った理由
わたしは、今回人生で初めて政治的なことについての発言をSNSでします。怖かったです。怖いです。今日本で普通に触れられることの多いこととあまりに違う内容を発信することで、何か自分も恐ろしい目に遭うのではないかという恐れ、誰かや何かを不当に攻撃する内容にならないか、そんなことを考えました。
それでも、怖くても発信をしようと思ったひとつの理由として、わたしは自分の胸のうちを点検して、そして、この発信をするうえで誰かを陥れたいという思いがない、とわかったからでした。
死ななくていい人が亡くなっている。人の命を守るために即時停戦してほしい、ジェノサイドを一切やめてほしい。
でも、停戦して、それで終わりとは思えない。イスラエルがすべての土地を返して終了?全くそうも思えない。命を守るために、「どっちもどっちだよね」では決してなく、ジェノサイドという行為を否定しなければならないけど、パレスチナの人が故郷に帰る権利がたしかに存在するけどでも、イスラエルの人に返せで済むとは思えなかった。そのくらい解決策が明らかにならないくらいおかしなことを歴史的にすでにしてしまっている。その解決をしないまま時間が経ってしまっている。
それならそもそも、誰かに責任を負わせるという立場に、わたしも、大きく言えば日本もいないのだと思う。
こんなことになった歴史、国連やいろんな国の都合で決めてしまったこと、これまでの反ユダヤの歴史、日本がこれまでアジアの国にしてきたこと、今日まで声を上げなかったわたし。誰かに責任を負わせる、誰かの悪を裁こうという姿勢で発信しているのではない。そんなことできない。
起こっていることの大きさに対してあまりに甘いことだと言われてしまうかもしれないけど、わからないからもっと知りたいし考えたいと思った、一番にその気持ちで発信しようと思った。
解決しようと言い出さない国際社会は何を恐れているのだろう?犯した間違いを責められたくない?支援する側から罪を犯した側になりたくない?
イスラエルの人たちの、「民族浄化を」「ハマスはテロ組織だ」ではない、これまでの歴史における苦しみの声を聴いたこともない。今行っていることは絶対に是認できないけれど、歴史的に差別を受けてきた苦しみ、恐れ、奪うことでつくられた国で生きるって、ジェノサイドをしている国に生きるって(そういう認識がないことも考えられるけれど)どんな気持ちだろう。
語ることを怖がるわたしは何を恐れているのだろう?
反ユダヤという思想自体は、わたしには全くと言っていいほどその感覚がない。でも特定の存在を恐れたり、排除したいと考えることは、わたしに縁がないことだろうか?
今とりあえず命が不当に脅かされることのない日常を生きているからそうしていないだけで、そういう出来事や立場に置かれることは、とてもありえることで、そうしたらわたしも持ちうるものなんだと思う。
わたしは今現在日本の加害について全然よく理解していない。日本史とかニュースとかだけじゃ、不十分なのだろう。これを学ぶこと、知ろうとすることが次に一番やらなきゃと思っていること。
上手く言葉にできないけれどこんなようないろんなことを思った。解決のために考えるべきこと、できることは広く考えればあらゆるいろんなことがあると思った。罪を裁くという立場ではなく、解決のために動かなければいけない。関係あるし、できることはある。そう思ったから発信した。
対立はニーズを満たす手段のレベルから起きている
どんなに願っていることがあっても、人は自分が危害を与えられる恐れがあるとわかっていたら、自分の意見は聞き入れられないという怒りや失望があったら、その反発からまた無関心や対立が生まれるのだと思う。
自分の発言や発信で分断や対立を生みたくない。その怖さは、分断を深めないための慎重さは、そんなこと言ってる場合ではないと無視するべきことではなく、むしろ大切にしたいことだと思いました。
政治的には、「どっちもどっち」とか「報復の連鎖」とかでは決してない。ジェノサイドは戦争犯罪であり、絶対に本当に止めなければならない。そのために政治家や企業など力の強い存在に求めるということもしたい。
でも、本当に平和を願う時、だれをを悪として裁くことで解決するとは思えない。イスラエル?西洋諸国?日本?
何度も言うようにジェノサイドをやめて停戦するということは絶対に訴えたいけれど、わたしは、ここでこそ、非暴力コミュニケーションが必要になるんじゃないかなと思う。いきなり話が変わったと感じるかもしれないけど、少しだけ付き合ってもらえたらうれしいし、これからもっと考えたいこと。
非暴力コミュニケーション(Nonviolent Communication、略してNVC)
どの国のどの立場であろうと、人として、自分が住んでいる場所を追われる、これまで持っていた権利を失うということに直面したら。それぞれ当たり前に違うのだろうけど、想像できるし共感できると思う。遠い国のわけのわからないどうしようもない紛争などではなく。
感じる感情は?:言葉にできない恐怖、憎しみ、怒り、憤りなど
そのもとにあるニーズは?:安全、生命や意見を尊重されること、自分の居場所があること。それがあるからこそ、家を失いたくない、住む土地を失いたくない、国際的に批判されることが恐ろしい、自分の意見や主張を聞き入れられなかったら怒りや憤りが湧くなど。
どこの国のどんな人であろうと、自分が隠してきた、あるいは知らなかった、歴史上の間違いを自覚しなければならない、これからその改善のために努力しなければならないとしたら?
恐ろしさ。後悔。人に加害をしてしまったという苦しさ。これからは何かをできるという少しの希望。でもそれによって、自分達の当たり前だった日常や権利が変わっていくことは怖い。安全でいたい。非難を受けるのは怖い。
手段には絶対に賛成できなくても、人が人として心から望んでいることや、そのニーズが満たされたり満たされなかったりして感じる感情に、人は共感をすることができる。
これはわたしはどうしても信じたい。
でも、今わたしがわからないのは、政治的な考え方やアクションと、個人への共感と、そのあたりがごちゃ混ぜになっていること。たとえば戦争犯罪をおこなっている政治家にもきっとこんな事情があって…というのは違う気がして、でも、人間であることは間違いなく…といったところ。
ひとまず、政治的には訴えるアクション(発信、署名、デモ、買い物で投票)などはひとまずわたしは停戦のためにするけど、最終的には非暴力コミュニケーションに関わって、自分の日常レベルでもできることがあるように感じている。
ヘイトをする、差別をする、知らないことに気づきながら知らないままでいようとする、そういう行為は、ニーズを満たすためにそれが最善だと思ってとった手段である。でもその手段が本当にニーズを満たすためによいものではないから対立が起きる。そこでそんなことをするやつは弱い、悪だ、許さない、だけでは解決できない。わたしだってそういうふうに攻撃されることが怖くて、発信をためらう気持ちがあった。停戦がゴールじゃないし、責任をはっきりさせることで終わるとも思えない。他者のニーズに繋がること、自分のニーズに気づき繋がること、も必要なのだ。
でも、とにかく今起こっているジェノサイドを停止しなければ、だけどパレスチナに無条件の停戦を受け入れさせることはおかしい、そういうこともわかって、平和的な解決ほど時間がかかって、でも急がなければならなくて、そのあたりがすごく、難しい。わからない。
知ることにもらった力。動くために必要なのは想像力とか寄り添う力ではない。
怖い。でも、今回はじめてそういう抵抗を飛び越えることができたのは、「知ったから」でした。
人種差別や植民地主義、その加害者にも被害者にもなったことがあるのだから、ガザの子どもたちは、わたしだったかもしれない。弟だったかもしれない。日本だったかもしれない。自分の住む国がイスラエルだったかもしれない。ただ自然と思うことができた。
人は”寄り添う力”とか想像力なんかによってじゃなく、良い人であることからなんかじゃなく、まず本当に知るということからはじめられるんだと思った。
知らなければよかったとは思わなかった
わたしには、本当に尊敬する大好きな仲間たちがいます。
でもその仲間たちとでさえ、この話をしたことがなかった。そして今自分がこのことを知ったときに、話したい顔が浮かび、もし知らないのであれば知ってほしいと思った。
なぜなら、その人たちがどんなにやさしくどんなにまっとうな人であるか知っているからです。変な言い方だけれど、わたしたちがこの話をすることより、してこなかったことが不自然だと感じた。社会をより良く、人が生きやすく幸せに生きることを望んでいるわたしたちが、どうしてこの話をしてこなかったんだろう。考える力はある。話せる信頼もある。語られなかったことを、語りたいと思った。
わたしは何も変わっていない。人が変わったように思われるかもしれないけれど、変わったというより、知らせない力によって欠けていたものを、欠けているのにそのままに放置していたものを、きっかけを得て取り戻しただけという気がする。語ることが不自然なのではなく、問題を知り、問題を解決するために何かをしたい、しなければと思うことは、とても自然なことだと思う。その自然さを、語られない事実という存在、語られない事実があるという前提を知らず、知らないままでいてしまうということが、妨げていると感じた。
アクション。わたし自身のこれまでとこれから
・まずそもそもこういうきっかけを与えてくれたのは、一度だけ宿泊施設であってInstagramを交換した子の発信だった
・それ以降一度も会っていないけれど、わたしはその子からたくさんきっかけをもらった。その子の発信をもとに、イスラエルに武器を輸出している企業に停止を求める署名に参加、署名を集める団体に寄付、武器供与に関わる日本企業(伊藤忠商事)が運営するファミリーマートの商品を買わない不買をしたりしていた
・そういうことをしながら、とても小さなムーブメントに感じていたのだけど、実際伊藤忠商事はイスラエルへの武器の輸出を停止した(その武器は自衛隊の活動用で、戦闘に使われていないとの主張だったけれど)そのことによって、あ、ほんとに動かす力ってあるんだと感じさせてもらえた
・これらはとてもハードルの低いことだったなと思う
・今回SNSでの発信ということを初めてする。次は友人と話すということをする。
■「わからないから知りたい」を願って。
・発信してみて。うまくできないと思った。確実にこれが真実だと言い切ることが難しいとわかった。
でもこの感覚こそ、これまで欠けていたものかもしれないと思った。
わからないよね?これって本当だと思う?そんな話がもっと普通にしたいと思った。
この数日で知ったことを今まで知らなかったのと同じように、今も確実に何かを知らないのだろうという疑いは晴れない。でも今回は、今日は、だから何も言わないでおこうではなく、もしこれを見た人が、少しでも、わからないから知りたいと思うかもしれないことを願って。
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