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【展覧会レポ】ミュシャ展-マルチ・アーティストの先駆者- 美しくデカく、ドキドキする

福岡市美術館にて開催中のミュシャ展に行った。


アルフォンス・ミュシャはアール・ヌーヴォー期を代表する画家・デザイナーだ。その人気は高く、あまり絵画や芸術に詳しくないが見たことならあるという人もいるだろう。

私もミュシャは好きだ。かなり好き。いつまでも眺めていたくなるような美しさがある。

アール・ヌーヴォーは19世紀末から20世紀に流行した美術運動で、植物などの有機物や曲線美をモチーフとした装飾的な美しさが特徴だ。ガラス細工などの工芸品や家具などに、その意匠は多くあしらわれている。
……というのを大学の講義で勉強して、教科書に載っているミュシャの「ジスモンダ」ポスターを見ながらなるほどなと思っていた。ミュシャは女性をとにかく美しく描く。柔らかな曲線は、そこにありのままな自然の気配を感じさせる……ような気もする。
「ミュシャは日本ですごく人気があるんですよね」と教授が言っていた。女性の美しさを曲線で表現し「自然」のエッセンスがそばにあるアール・ヌーヴォーは、日本人の感性に近いものがあるのだろうと思う。 



実は今、福岡がめちゃくちゃアツい。
何がアツいって面白い展覧会で溢れているのだ。ゴールデンウィークは福岡で展覧会を楽しもう!!

例えば、

「驚異と怪異」展
(福岡市博物館/〜5月14日)

アール・ヌーヴォーのガラス—ガレとドームの自然賛歌—」展
(九州国立博物館/〜6月11日)

古代エジプト美術館展
(福岡アジア美術館/〜5月28日)


そして、福岡市美術館にて6月4日まで開催されるミュシャ展。全部めちゃくちゃ面白そうだし行きたい。というか「驚異と怪異」展にはもう既に行った。残るは後者二つだけ。絶対に行く。

個人的にはミュシャ展とアール・ヌーヴォー期のガラス展が同時期に開催されるのが本当に素敵で嬉しい! という気持ちになる。アール・ヌーヴォーを代表するアーティストとアール・ヌーヴォーを代表する工芸品を一度に味わえる機会などそうそうない。たまたまなのかな。たまたまだとしたら凄いし、示し合わせてアール・ヌーヴォーの展覧会を同時期に開催したのであればもっとこの考えが普及して欲しいなと思う。時代の繋がりを確認できる展覧会は面白いので、それをもっと広い規模で楽しめたらもっと面白くなるはずだ。

さて今度こそ、ミュシャ展。
私はミュシャ作品の実物を見るのはこれが初めてだった。教科書や図録では見たことがあったものの、実物はきっと全然違うんだろうな……と思いながら会場を進む。

ポスター「ジスモンダ」(1894年)


でっっっっか…………!

隣の解説パネルと比較すると分かりやすいが、めちゃくちゃデカい。私の身長と同じくらいの大きさだ。
ミュシャはこのポスター「ジスモンダ」で一躍名を轟かせた。当時パリで最も人気があった女優 サラ・ベルナールが主演を務める舞台「ジスモンダ」のポスター。ミュシャを代表する作品だ。
この作品は何度も写真で見たことがあったが、ここまでデカいとは。

しかも同じくらい大きな作品がバンバン並んでいる。

思わずそこに立ち尽くした。周りに人が多くいたので全景を撮影することはできなかったが、とにかくデカくて、美しくて、デカくて、美しい。そんなポスターが六枚並んでいた。
デカい。美しい。すごい。それ以外の情報が頭に入らなくなった。

私は美術品を鑑賞することが好きだけど、別に美術に明るいわけではない。
もちろん大学で少し学んだり美術館に多く足を運んだりしているぶん多少ならば詳しい話もできるかもしれないけど、「ははあこの作品はこの画法でうんぬんかんぬん」「この作品は同時期のあの画家の影響を考えるとこんな解釈ができてうんぬんかんぬん」みたいな、そういった話は全くできない。
じゃあ何を考えながら美術品を鑑賞しているかと言えば、「よく分かんないけどスゲー」と思いながら見ているのだ。「よく分かんないけどめちゃくちゃ絵が上手くてスゲー」とか、「これは絵が上手いのかすら分かんないけどパワーをめちゃくちゃ感じてスゲー」とか、はたまた解説文を読んで「こんなことを考えながら作品に落とし込むってスゲー」とか。
美術館はそういった有無を言わさない良さを感じるためのパワースポットだと思っている。

サラ主演のポスターシリーズは、その「スゲー」の真骨頂にあると思った。息を呑んだ。美しいし、デカいし、絵がめちゃくちゃ上手いし、やっぱり何よりデカい。
デカいものはそれだけで「凄いな……」と思わせる力があると思う。なんでもかんでもデカい作品なら良いというわけでもないが、しかし「巨大」から受け取るエネルギーの量はやはり巨大だ。

ミュシャのポスターに取り囲まれると、なんだかスピリチュアル的なパワーがもらえるような気持ちになった。パワースポットすぎる。

連作「スラヴ叙事詩」最後の作品


これもめちゃくちゃデカい!!

解説パネルが小さいのではない、作品がデカすぎるのだ。

本当にこれが見たかった。一度でいいからこの作品を見てみたかったので、実物を見ることができ本当に感動してしまった。だって想像していた5倍はデカいんだもの。

ミュシャはチェコで生まれた。芸術活動のためにパリで活動し、アメリカにまで活動の場を広げたけれど、祖国への思いはずっと強くあった。
そんな彼が作り上げた最高傑作が「スラヴ叙事詩」だ。スラヴ叙事詩は壁画サイズの超大作で、2026年にはチェコ・プラハにて恒久展示施設が完成するという。

めちゃくちゃ良い。ミュシャの娘をモデルとした女性も美しいし、何より私はミュシャ独特のこのフォントが好き。曲線を活かし可読性をギリギリまで攻めたフォントは、現代にも続くデザインのヒントとなっていると思う。

実物はもっとデカい。こんな写真じゃ伝わらないくらいデカい。そして美しい。そのデカさと美しさに、ただただ圧倒されるのみだった。

この「一日:朝の目覚め、昼の輝き、夕べの夢想、夜のやすらぎ」もめちゃくちゃ良かった。これはそこそこデカい。

この作品は、ミュシャの芸術のひとつの完成形を示している。装飾文様と花で飾られたゴシック様式の窓のなかにいる若い女性たちは、それぞれ一日の異なる時間帯を表している。朝、女性は目を覚まし、昼に生命を輝かせ、夕方にまどろみ、そして、夜は眠りにつく。

解説文より

この解説文を読んでから作品を見ると、本当だ! と楽しくなる。特に「昼に生命を輝かせ」、これ凄い。女性の生命力ある表情をこう表現した美術館の学芸員もすごい。昼の女性は目をぱちりと開き、こちらをまっすぐ見つめている。
その力強い視線に一瞬たじろいでしまいそうになる。ミュシャの描く女性は柔らかい曲線によって描かれていて、そのほとんどは優しい表情をしている。こちらをまっすぐ見つめる表情は珍しいもののように思える。

ミュシャによって描かれる女性たちは皆美しい。彼女たちのそばには常に自然があり、その姿には取り繕わない「ありのまま」がある。

だからミュシャの描く女性たちを見ると、私はちょっとドキドキする。美しすぎるし、あまりにもオフショットすぎるから。美人の起き抜けオフショットってちょっとドキドキしませんか? それに似ている気がする。

ミュシャの専門家に怒られてしまってもおかしくないことを言ってしまった。
でも、私がミュシャの作品を好きなポイントはそこにある。問答無用の美しさと、それだけではない、ぐっと心を引き寄せるようなエキゾチックな魅力。

満足度がかなり高い展覧会だった。
出口を前にして、再度道を引き返し再びポスターと「スラヴ叙事詩」を見た。もう実物を見ることのできる機会は無いかもしれない、と思うと途端に寂しくなったのだ。実物を目に焼き付けて、会場を後にした。

物販では複製ポスターが売られていて、買おうか本気で迷った。クレジットカードを持っていなくて助かった。クレカを持ってたら買ってたし、さらに社会人だったら迷わず買ってた。平気で6桁する価格だが、私は前にふらっと立ち寄った展示会で気に入った作品を考え無しに購入した前科がある。何をするか分かったもんじゃない。

迷いに迷って、ポストカードセットを購入した。いつも美術館の帰りにはポストカードを二枚ほど買うのだが、今回は選びきれなかった。好きな時に見返すことができるよう、文庫本くらいの分厚さがあるセットにした。

ミュシャってすごい。
本物のミュシャに触れることができて良かった。本物のミュシャの「すごさ」を知らないまま「ミュシャっていいよね〜」と言うのは、なんだか少し勿体ないような気がする。本物のミュシャはめちゃくちゃデカいし、めちゃくちゃ美しいし、だからとってもドキドキする。


美術が工芸に活用され、消費者世界の転換ともなったアール・ヌーヴォー期においてミュシャがもたらした功績は大きい。マルチアーティスト、そしてデザイナーとして活躍した彼の凄さはテキストではなく作品に現れる。

良いものを見た。美術展に行く意義というものを再確認できた。


アール・ヌーヴォーつながりで九州国立博物館の特別展にも行こうとしたが足が限界だったのでまた今度ということで。福岡に来たら、ぜひ展覧会へ!

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