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2024/03/16 デカい公園、さまざまな犬

新居の近くに、デカすぎる公園がある。これまでの「住む家の近くの公園」の中でもダントツのデカさだ。なぜデカいかって、公園の8割をクソデカい池が占めてるから。滋賀県と同じ理屈で、この公園はめちゃくちゃデカい。

最近はとにかくやることがないので、暇さえあればこの公園を散歩している。今日は新調したばかりのお弁当箱に卵焼きやハムや昨日の晩ごはんの残りを詰めて、ご飯にたまごのふりかけをかけて、それを池のほとりで食べた。

お弁当なるものを作ったのはおよそ2年ぶりだったけれど、案外おいしく作れて嬉しくなった。卵焼きなんて、食べながら「クックパッドにレシピを載せたほうがいいのかもしれない」と思っちゃうらくらいにはおいしかった。全て目分量で作ってしまったので、クックパッドにレシピを載せることはできない。

池にはたくさんの水鳥がいる。公園の入り口から少し歩いたところに、だいたい8羽くらいの鴨が群れてぷかぷか浮いているのを見つけたので、目の前に座って弁当箱を広げた。鴨たちは首を背中に沈め、眠っていた。眠る鴨は丸い。
弁当箱の蓋を開け、箸を持ち前を向くと群れていたはずの鴨は皆消えていた。少し奥を見やるとおじいちゃんがパン屑を池に向かってぽーいと投げていた。鴨たちは皆ばちゃばちゃと水飛沫を立てながらパン屑に夢中になっていた。

公園に行くと、多種多様な犬に遭うことができる。大きな犬、小さな犬、歩くことを諦め人間に抱かれている犬、走りまくって人間を疲弊させている犬、ただじっと一点を見つめている犬、芝生に寝転がり人間の足を止めている犬、眠る犬、他の犬に喧嘩を売っている犬、吠えている犬、池の鯉を狙っている犬。
犬っていいな。やっぱり、将来は犬を飼いたい。昔は小型犬が好きだったけれど、やはり大きな犬がいい。大きな犬を見た時の幸福感って凄まじい。いつか将来一緒に住もうと言っている人も、「犬は大きければ大きいほど良い」と言っていた。分かる。犬は、大は小を兼ねるが罷り通る。

岡本真帆の「水上バス浅草行き」を読んだ。水辺の近くで読むべき歌集だと思っていたので、読むならこの公園で陽に当たりながらだな、と思ったのだ。実際、太陽の光を跳ねてきらきらとひかる水面を視界に入れながら読むことができて良かった。夜よりも昼に読むべき本だった。
岡本真帆は犬が大好きで、とにかく犬の歌がたくさん出てくる。たとえば、

犬がいる! 駆け寄ってみて少しずつ岩だったってことに気がつく

岡本真帆「水上バス浅草行き」p8

こぼれてくものがあまりに多すぎて抱きしめていい犬をください

岡本真帆「水上バス浅草行き」p18

とか。私も犬が好きだけれど、きっとこの人にとっては犬は全ての幸福をつつむ象徴のようなもので、犬こそが生活を美しくする最後の砦なのだろうなと思った。
公園にはたくさん犬がいて、どの犬も幸せそうにしていて、晴れた日光の光を浴びてぴかぴか発光しているように見える。犬を連れている人間たちも同じように、犬こそが全ての幸せを連れてくるものだと思っているのかもしれない。そうだったらなんか嬉しくなるので、そうであってほしい。
歌集の中で好きな歌を一つ記録しておこう。

全員に好かれなくてもいいと思う きみのほくろがよくって笑う

岡本真帆「水上バス浅草行き」p80

岡本真帆の詠む歌は、なんだかアパートのお隣さんのような歌が多い。隣で続く知らん生活が57577に乗ってこちらに流れてくる。その、不思議に馴染みのある感覚が好きだ。第二歌集も発売されたらしい。はやく欲しいな。

今、目の前を過ぎていったスワンボートからCreepy NutsのBling-Bang-Bang-Bongが聞こえてきた。スワンボートの速度で流れるCreepy Nutsって、スワンボートを軽々追い抜いていってしまいそうで怖いな。

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