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2023/03/12 力強く、忘れないで、生きていく

また福岡に来ている。一週間のうちにこう何度も遠出することも無いだろう。
なぜかというと、これ。

10月くらいにアーティスト・日食なつこのライブに当選していたのだった。
私はすっかりそれを忘れていて、ちょうど先週末に「なんか月曜からずっと福岡行くことになってるな」と気付いてしまったちょうどその頃に、イープラスから「チケットを受け取ってください」とメールが届いたのだ。
思わずア〜〜と変な声が出た。もう福岡から鹿児島に帰る高速バスのチケットを買ってしまった後だった。

そんなこんなで再び高速バスに乗って福岡へ。実は金銭面がカツカツすぎて、行こうか行くまいかギリギリまで迷った。それでも行こうと思ったのは、私にご用意された席がなんと1列目だったからだ。
全席指定の1列目なら行かないわけにはいかないだろう。他の日食なつこのファンの方々に申し訳ないし、日食なつこにも申し訳ない。行くことにした。
ついでに前から行きたいなーと思っていた「バンクシーって誰? 展」にも行くことにした。ライブ会場の最寄りから一駅の美術館で開催中だった。

ということで、まずはバンクシーって誰? 展の話から。

バンクシーは、キャンバスよりもストリートに作品を描くことで知られている。今展覧会のメインビジュアルとなっている作品も、壁画として描かれたものだ。
「それはまるで映画のセットのような美術展」というキャッチコピーの所以はここにある。バンクシーが主な活動場所としているイギリスやパレスチナなどのストリートを再現し、私たちはまるで街の中を歩いているかのような感覚に陥る。
——というのが理想だけど、実際にはごった返すたくさんの客で没入感を感じるのはなかなか難しい。今日は開催終盤の日曜日ということで、会場はたくさんの人で溢れかえっていた。小さい子供からお年寄りまで、たくさんの人でなんだかいっぱいいっぱいだった。


展示されていた中から、気になった作品をいくつか。

「Love is in the air(愛は空中に)」

展覧会のメインビジュアルとなっている作品のリメイク版だ。先述したように、元となる作品は壁画として壁に描かれている。これはその絵をシルクスクリーンでダンボールに描いたもの。
まず、元となる作品がどのようにして生まれたのか。
元々の壁画は、パレスチナにあるガソリンスタンドの壁に描かれている。現在、イスラエルとパレスチナは分離壁によって分断されている。その分離壁に向かい花束を投げ入れる形で、この「Love is in the air」は描かれているのだ。
描かれているのは顔をマスクで覆った暴徒。まるで火炎瓶を投げ入れるかのようにして、花束を投げ飛ばそうとしている。

解説文を控えていないのでうろ覚えなのだが、それでも「平和を実現するために必要なものは火炎瓶などではなく花であり、そこにある愛である」というバンクシーのメッセージを読み取ることができるだろう。
あまりにも有名すぎる作品なので、そのビジュアル的なおしゃれさに気を取られてしまいそうになるがその裏にはバンクシーのメッセージで溢れている。会場内、どの作品を見てもそのすぐ裏にはバンクシーの怒りにも似たメッセージを感じとることができた。

例えばこれ。

これはバンクシーが監督を務めた映画作品のポスターなのだけど、題名が「EXIT THROUGH THE GIFT SHOP」。和訳すると「ギフトショップからの退出」だ。
どこのギフトショップかと言えば、美術館のギフトショップである。

……ということらしい。マジで? そんなスタンスで描かれた作品を美術館で展示する気概よ。作品のメッセージを歪ませず伝える美術館としての本分は果たしているけれど、この展覧会だってしっかりギフトコーナーがある。矛盾している。
私は行った美術展のオリジナルポストカードを収集するのが趣味なので、この作品を見て「おお……」となりつつもギフトショップに金を落とした。資本主義の構図に上手く嵌る鑑賞者たちをバンクシーはどう思うのだろうと考えずにはいられなかった。

最後に。

“Girl with balloon”

オーディションで落札が決定した瞬間にシュレッダーに掛けられたことで有名になったアレ。
「love is in the air」と並んで、バンクシーを代表する作品として知られている。

この作品はもとより、私が素敵だなと思ったのは作品の解説文だ。

(省略)
現在は残っていないが、当時誰かが「THERE IS ALWAYS HOPE(いつだって希望はある)」と書き加えたことで、この絵はいっそう深みを増し、人々の心に焼き付けられた。
自由に人が書き加え、揶揄したり批判しながら、さまざまに解釈する。それにより成熟した文化が醸成され、「Girl with Balloon」はイギリス人の誰もが愛する国民的名画となった。グラフィティを名作に育てるのは鑑賞者なのだ、と教えてくれる作品だ。歴名のストリート・アーティスト、バンクシー。彼を構成しているのは、間違いなく彼を見つめ続ける「あなた自身」なのである。

もう全部良すぎてほぼ全部引用してしまった。
めちゃくちゃ良い! 絵画に限らず、芸術やアートと呼ばれるものは作者が筆を置いて終わり……ではなく、人々がその作品にさまざまな解釈を見出し、文脈を付与し、そしてそれを勝手に批判したり勝手に賛成したり、そうして芸術作品は深みを増していくものなのだと思っている。ほとんどは大学で勉強したことの受け売りだけど、芸術作品は文脈ありきだと思っている。
この作品も、誰かが書いた「THERE IS ALWAYS HOPE」によってメッセージ性がぐんと増したのだ。そう捉えれば落書きをした誰かさんも、私たちが享受する「バンクシーの作品」を完成させるための筆を持っていたのだ。

この作品を最後に、展覧会は終わりを迎える。そうして私たち鑑賞者の前に、再び問われるのだ。

WHO IS BANKSY?
バンクシーって誰?

先程の作品の解説文を思い出せば分かることだ。
バンクシーとは、バンクシーの作品を観て自由に解釈した鑑賞者一人一人のことであり、その空間を共有した「私たち」のことだったのだ。



すごい…………。
思わずこの壁の前に立ち竦んでしまった。
すごい。バンクシーとは誰か? という問いに対して、作品を通して鑑賞者に自由に解釈させ最後に「今までの鑑賞こそがバンクシーたらしめるもの」という答えを最後の最後で提示する。
展覧会として、あまりも文脈が一貫してありすぎる。こうして展覧会の文脈を読み取ろうとすることもバンクシーとしての行動と言えるのかもしれない。

頭がバグってしまいそうになった。
しょっちゅう美術展を探しては観に行っているが、ここまで「問い − 答え」の構図が美しく整理されているものは初めてだった。展覧会の題名をただの「モチーフ」にせず「テーマ」として扱う。すごい……。

こんな美術展をたくさん観に行きたいなと思った。良い展覧会だった。
新年度にはミュシャ展が福岡市美術館で、アール・ヌーヴォー展が九州国立博物館であるらしい。どっちも行きたすぎる……!!

腹が減ったので近くにあったアイリッシュパブでクラフトビールとフィッシュ&チップスを食べた。

フィッシュ&チップスのフィッシュの方が想像の倍くらいデカくてびっくりした。フワッフワのサックサク。ビールで揚げるからサクサクふわふわらしい。天ぷらにも応用できる料理法だけど、大切なビールを天ぷら粉に混ぜるなんてとてもじゃないができない。無理だ。
ビールは滋賀県のヒノベリーエール。

いちごの甘さとビールの香りが良い感じに共存しており、すごくおいしかった。調べてみるとひな祭りのために作られたビールらしく、女性向けのお酒みたいだ。また飲める機会があったら飲みたいな。



よし。
いよいよ本日のメイン、日食なつこ2023年ツアー「蒐集大行脚」へ。

蒐集とは何ぞやと思い調べてみると、よく使う「収集」とあまり意味が変わらないらしい。しかし一般的に使われる「収集」よりも少々「趣味のものを集める」という意味合いが強いとのこと。
なるほど……。また一つ知識が増えた。

日食なつこは、ちょうど一年前の3月に友人から薦められて聴くようになった。

有名なのはここらへんだろうか。けれど、それでも全く聞いたことがないという人はおそらく多いだろう。

聞いてくれ……。

椎名林檎とかが好きな人はおそらく好きだと思う。力強い歌声とピアノサウンド、そしてストレートなのにどこか詩的な歌詞が魅力なアーティストだ。
せっかくだから私のおすすめ曲をちょっと貼らせてほしい。

全部良い。どの曲も「好き!」となってしまう不思議な魔力を持っている。他にも素敵な曲がたくさんあるから、ぜひぜひ聞いてほしい。

けれど私は全然ニワカだ。彼女を知ってからあまり日が経っていないし、ライブに行くのもこれが初めてのことだ。なんとなく公式Twitterを見ていたらツアー抽選が始まっていたので応募したら当たってしまった。しかも最前。

行きの高速バスで勉強としていろいろ聴きながら会場に向かったけど、正直不安しかない。

席はドラムの目の前で、もっと不安になった。
奥に見える黒い物体がグランドピアノで、日食さんはあのピアノを演奏しながら歌うのだ。
それにしてもドラムの目の前て。私はロックバンドのドラムの力強さを知っているので、ちょっと不安だった。

そう、ロックバンド。いや日食なつこはロックバンドではないしロックアーティストでもないのだけど、思えばアイドル以外のライブに行くのはとても久しぶりのことだった。2020年に当選していた米津玄師のライブが中止になってしまい、それ以来。最後にアーティストのライブに行ったのは2年半ほど前、大森靖子のツアーだったっけ。

久々の体験にライブの作法を忘れてしまった。いっそサイリウムがあれば楽なのだけど、今ここにあるのは私の身ひとつだ。どうしよう……と思っているうちに、ライブが開演した。


めちゃくちゃ良い……。
日食なつこ、歌うますぎる。口から音源なんてモンじゃない、音源を遥かに飛び越えてくるのだ。すごい。力強く、豊かな歌声と美しいピアノの旋律がホールを満たす。ベースとドラムの音が会場を揺るがす。

そしてドラム。結果として私の心配は的中し、めちゃくちゃデカい音が鼓膜を爆破させるかとも思ったが、返ってそれがとても良かった。
ドラムのkomakiさん、叩いている姿を目前で見て「鬼神だ……」となった。人を見てまず「鬼神」という単語が出てくることはこれまで一度も無かったし、そしてこれからも無いだろう。ロングヘアーを振り乱してドラムを叩く姿には、どこか神がかった気迫を感じた。
パーカッショニストはパフォーマーとしての面も求められると言うが、まさにkomakiさんはパフォーマーだった。身体中が音楽を表していた。
けれど演奏の一つ一つをつぶさに見ていけば思いのほか丁寧で、大切に音楽を奏でているのが分かって、よかった。MCで少しお話ししていたが、お茶目な人だった。良すぎた。

ライブの終盤、「音楽のすゝめ」が演奏された。

本当に本当に、大好きな曲だ。

七つ、どんな歌も終わりがあると知ること
八つ、泣いてもいいからちゃんと次に行くこと
九つ、即ち音楽これ人の心
絶やしちゃいけない人の命 そのものなんだよ

短い夢を 朝が来れば幻と化す夢を
後先もなくかき集めてしまう 馬鹿な僕らでいようぜ

失われた時間は2度とこない また会える約束もできやしない
すぐに朝が来て 現実が来て 夢の冷める温度を知っちゃって
濁流のような渦の中 押し流れそうな記憶を
腕1本で 指1本で 保ち続けるお前に幸あれ
日食なつこ作詞「音楽のすゝめ」より

全部が好きなので長く引用してしまった。

もうボロボロに泣いた。

ライブも終盤、もうすぐこの夢のような時間は終わって現実になってしまう。どんな歌にも終わりはあるもので、それは儚いものだ。
音楽とは儚い。形がない。それは記憶にしか残らず、幻のように消えてしまう。

しかしその儚さを、短い夢をかき集める。そんな馬鹿みたいな時間を、ここにいる全員は共有しているのだ。

「蒐集大行脚」。
このツアータイトルの大行脚に参加した私たちは、歩いていくしかない。歩みを止めない。
泣いても、歌が終わっても、大行脚は続いていく。

明日からまた現実が始まる。
毎日説明会がある。毎日どこかしらのESを書かないと間に合わない。音楽をゆっくりと聴く時間すら無いかもしれないし、この夢のような時間の余韻を味わっている間に次の朝日は昇る。

そうして人は忘れていく。夢のような時間ですら人はいとも簡単に忘れてしまうということを、私たちは知っている。

けれどその濁流のように過ぎる日々の中で、今この瞬間に見えている景色を、震えた感動を忘れたくはない。
そうして今日の記憶を必死に保ち続けようとする私たちに、幸あれと。

ここから見える景色を忘れたくないと強く思ったら涙が出た。
私の席はちょうどグランドピアノの対角線上にあった。ピアノと向き合う日食さんが顔を上げれば、ちょうど私の視線とぶつかるのだ。

何度も何度も目があった。彼女はアイドルではないので「私信!!」と喜ぶわけでもないのだが、それでも彼女に見つめられながら彼女が歌う歌を聴いていると、彼女の歌に重なってメッセージを強く訴えかけられているような気持ちになった。

彼女は私と目が合っている間、決して目を逸らそうとしなかった。まっすぐにこちらを見つめてきた。
その力強さが欲しいと思った。どうしたらそんな人になれるんだろうと思わずにはいられなかった。

彼女の音楽もそうだけど、彼女の人間性そのものが好きだ。その根拠を持って生まれる音楽たちだからこそ、私は彼女の音楽が好きなのだと知った。

本当に本当に本当によかった。バンクシーって誰?展も、日食なつこのライブも。
どちらも確固たるメッセージを持っていて、それを「私はこう思うけど、あなたは?」とぶつけてくる。その力強さが眩しくて、美しい。

素敵な経験ができた1日だった。
この記憶を、感覚を、得られた思考を忘れないでいたい。
忘れないようにたくさん音楽を聴いて、買ったポストカードを家の壁に貼って眺めて。そうして明日からも頑張ろう。

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