2023/04/02 エントリーシートの罠

体調があまり良くない。なので短めに。

エントリーシートを書きながら、世に求められる人材のことを考えている。
社会人として働いている友人たちにエントリーシートを添削してもらうたび、少しずつ文章が読みやすくなる。分かりやすくなる。けど、その分自分の個性は無くなっていく。私的にはここを書きたかったのに! と思う箇所も、評価の眼鏡にかけられてしまえば無駄な自我でしかない。

わかりやすい文章で確実に情報を伝えることができる人間を企業は欲してるのよ、と社会人7年目になる友人が言った。彼女も小説を書く人間で、私は彼女の文章が好きだ。大きく影響を受けている自覚がある。女性的でやわらかい文体が美しい。
けど彼女の添削には文体なんてあったもんじゃなく、とにかく分かりやすく簡潔かつ理論的な文章の書き方を教えてくれた。仕事のできる人間は、こうして「魅力的な文章」と「分かりやすい文章」を書き分けるのだと思った。

友達のESを添削することが多い。人から得たノウハウや自分の得意なことを誰かに提供できるのは嬉しいし、いろんな人の書いた文章を読むのは楽しい。全く作文が苦手! という人もいるが、対話の中で何を話したいのか伝えたいのかを汲み取って形にしていく過程は0が1になる面白さがある。
その中で、「多分ここにこだわりがあるんだろうな」と分かる箇所がある。話の本筋とは全く関係の無いところで、「僕/私はこうなんですよ!!!!」というアピールが光って見える。そこだけ色が違って見える。
「ここ、読み手に分かってもらいたいんじゃなくて自分が言いたいんだな」と分かってしまう。すごくわかりやすい。だから添削する時にはごめん!と思いながら「消したほうがいいよ」と伝えている。
この繰り返しをしていくと、自分がESを書いている時も「ちょっと自我が出てるぞ」と気付くことができる。分かりやすい文章を書けるようになるためには、ある程度の客観性が必要だ。
ちょっと人の文章を読むのが好きな素人でさえ分かってしまうポイントなのだから、面接官ともなれば一撃でバレてしまうのだろう。他者の反応を無視して自分の主張を強行する人間は好かれない。ESでも一緒。

でも自分のことたくさん書きたいじゃんねーと思う。もっと自分のことを知ってほしいし学生時代に頑張ったこともどんなにコロナが酷かったかも分かってほしい。言いたい。でもどんなに苦労したのかを3行書くより何を学び得たのかを1行書いたほうが、ESとしてはずっと価値がある。

難しい。友達に送る文章ではないから自我は消すべきということは理解できるけど、でもそれで私のこと本当に理解できんの? という気持ちにもなる。自我を消したESに価値などあるのだろうか。

世が求める人材は、分かりやすい文章で物事を端的に説明できる賢い人。それでいて、自分の個性をきらりと光らせることができる仕事人。でもそれができる人ってあんまりいない。私もなかなかできない。



ES添削やります、やらせてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?