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父と商売

 この4月で生うどんつちやも14周年をむかえた。ぼくは飲食店の周年記念のイベントはしないので、その日もいつもと同じように営業を終えた。2008年に開業して、これまでいろいろと失敗もしたが、いまは商売は概ね順調と言っていいのかもしれない。
 小さなうどん屋とはいえ、それなりに大きな借金をして開業をしたので、これまで大変な思いをしてきた。商売をしている人ならわかってもらえると思うが、その過程において家族との関係が変わってしまうことは少なくない。ぼくが生まれ育った家族は自分でいうのもなんだが、とても仲のいい家族だった。だが、ぼくが商売をはじめてからこれまでの期間で、その関係に変化が生まれた。詳しいことはここでは書かないが、残念ながらあまりいい方向での変化とは言えなかった。商売とは不思議なもので、商売がとんでもなくうまくいっているからこそ、関係が悪くなるということもある。それはとても残念なことではあるのだが。

 最近は父親のことを考える。そう書くともう死んでいるように思われそうだが、ぼくの父は今でも生きていて小さな商売をしている。父親の商売はお菓子の卸売で、車にお菓子のダンボールを積んで商店や保育園などに卸している。ときどき母親も手伝っているようだが、ぼくが知る限りずっと一人で何十年も同じ商売をやっている。ぼくが商売をしていることに父親の影響があるかといえば、きっとあるのだろう。世間では安定した仕事につくことを子どもにすすめる親もいるようだが、うちではそのような話は聞いたこともなかったし、ぼくが商売をすることに対して特になにか言っていた記憶もない。

 父親は自分の仕事がおわった夕方には、ぼくの店に毎日のようにやってくる。多くの大人になった息子がそうであるように、ぼくと父親は特に話すこともない。やってきてはあいさつ程度の会話をして、そのあと父親は隣の畑に飼っている猫に餌をやったり、草をかったりしてから、健康のためなのか近所を歩きにいく。

 ぼくが小さいときは、お菓子を積んだトラックの助手席に乗って父親の仕事についていくのが楽しみだった。昼になると母親が作ったお弁当を、ときには海の堤防で、ときには山の中で二人で食べた記憶がいまでもある。
 そんなぼくもいまではひとりの父親だ。あのころのぼくのように、今ではぼくの息子が店で手伝いをしたり、学校の宿題をしていたりする。その様子をみていると、あのころの父親もいまのぼくと同じような気持ちだったのかもしれないと考えたりする。

 そんな父親のことで、ずっとぼくの記憶の中で残っていることがある。それは父親が漢字の書き取りをしていたことだ。当時、ぼくたち家族は夕食を終えたら、子どもたちは居間と地続きになっていた部屋で宿題をしていた。そのときに父親は芋焼酎を飲みながら、居間でチラシの裏に漢字の練習をしていたのだ。
 それがどんな目的だったのかはわからない。父親は農業高校を出ているが、漢字の勉強をしていたのか、それともきれいな字を書けるように練習していたのか、あるいは仕事に必要ななにかしらの理由でそんなことをしていたのか、今となってはぼくにはわからない。
 そして、先にも書いたが、特にぼくたちは話もしないので、きっとそのことについて聞くこともしないのだろう。あるいは、父親自身にもそんなことをしていた記憶もないのかもしれない。

 チラシの裏に漢字を書いていた父親。その理由はわからない。「お前もおなじように勉強しろ」や「いまのうちに勉強しとかないと大人になったら苦労するぞ」なんてことを言うこともなかった。ただ芋焼酎を飲みながらチラシの裏に漢字を書いていただけだ。
 親が子供に残せることはなんだろうと考える。人生に役に立つ具体的ななにかの技術や教えなんかよりも、大きくなった子供の記憶に残るのは、親がよくわからないが何かをしていた姿なのかもしれない。

 ぼくがいまいろいろとしていることも、将来の息子に記憶として残るのかもしれない。それが息子にとっていいことなのかはわからないが、きっとそういうものなのだろう。


※写真は数年前の父親とぼくの子どもです。

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