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インタビューをする側が多いわたしは、日々自分の話がつまらないと思い悩んでいるので

「いらないことを話してしまった」
「わたしの話、おもしろくないんだろうなあ」
「話長かったかなあ」

日々そんな脳内反省会を開催しているわたしは、普段インハウスエディターとして広報の部署で仕事をしています。いつも社内のあらゆるものを編集してコンテンツを作ることが主な仕事です。

今日はそんな仕事に直結しないようなするような悩みを打ち明けます。

突然どうした、と思われる方もいらっしゃるかもしれないので説明をすると、このnoteに悩みの解決方法を書くとさらに深い悩みがやってくるジンクスができてしまったので、悩みは悩みのままに載せてみるという対応を取っています。お時間ある方はちょっとだけお付き合いいただけるとうれしいです。

今日のテーマは「話したい気持ちは積もっていくのに、いざとなると話すのが忍びなくて自爆しそう」です。

人の話を聞きすぎると起こること

わたしの普段の仕事は基本的に聞き役に徹することが多いです。インハウスエディターや広報と言ってもその内容は会社によってそれぞれだと思います。わたしの場合はインタビューライターをしたり、各所の要望をヒアリングしたりすることが仕事の起点となるので、この仕事はとにかく人の話を聞くことが大事だと考えています。

それによって生まれる弊害が、時折やってくる「俺の話を聞け」サイクルです。

人の話を聞くことに徹するので、適度な相槌と話しやすい雰囲気づくり、さらに話を引き出すための質問を繰り返していると自分が気づかぬうちにインプットとアウトプットのバランスが崩れていき、誰かに話したい思いが募っていきます。(それを記事にするのが仕事なのですが、しゃべりで受けたインプットはしゃべりでアウトプットしたくなります。)

しかし仕事は聞き役。話したい気持ちをぐっと堪えている間に話したい内容は忘れてしまうけれど、話したい欲だけは濃度が高くなって蓄積されていくのです。これが飽和状態になると脳内に「俺の話を聞け〜♪」と大声で歌うクレイジーケンバンドが登場し始めます。

話を求められると挙動不審

というように、人の話を聞くことを前提に生きていると自分の話をする機会を見失います。(念のため伝えておくと、人の話を聞くのはすごく好きです。)

そのため、いざ自分について質問されたときの準備が不十分なので、普通の会話でも私自身のことについて聞かれると「え?! わたしのことに興味あるんですか?!」と驚き、さらには濃度が濃く煮詰まってしまっている話したい気持ちが根底にあるため、話はしどろもどろな上に長くなりがちです。

でもわたしの長い話が求められていないことも理解しているので、結局中途半端でうまく話もできずに自分の会話のターンを終わらせ、後から振り返って落ち込むことも少なくありません。

そして話したいことはあっても、ある種の職業病のように相手の気を悪くしてしまわないか、発言の意図を深読みする、などの空気の察知に神経を尖らせてしまうので、会話そのものを楽しめなくなっている自分もいます。厄介すぎる。

結果的に

話をしたい自分と、話すことが怖い自分。

この両者が同居しているので、最近人と話すことが一段と下手くそになってしまったなあと頭を抱えています。話を聞くための会話はまだいいのですが、自分のことを伝えるとなると単なるポンコツです。

という話も誰かにしゃべりたいのですが、すでにうまくまとまっていないしまとめられる自信もないのでこうしてnoteに書いて消化しているのが今です。お付き合いいただきありがとうございました。

無理やりに話をまとめるなら、インタビューをする側の人間も実際はこんな感じの場合があるので、取材を受ける側でうまく話せるかと悩んでしまう方はどうか気を楽にしてもらえたらと思っています。少なくともわたしはその気持ち、すごくわかるので安心してください。

そういえば先週の社員インタビューでは散歩をしながら話を聞かせてもらいました。開放感がある外で話が聞けたのはすごくよかったので、また今度やってみたいなあと思っています。

話をまとめてはみましたが、自分のことに話を戻すと、要はどこかで一度バランスの崩れた自己顕示欲とコミュ障を解消しないとどうにもならないのではと薄々感じています。それはすなわち、苦手でも雑談をして場数を踏んで慣れるしかないんだろうなああああ。(と書きながら頭を抱える。)


以上、解決策も学びもない、単なる最近のわたしの悩みと叫びでした。



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