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インタビュー調査2020年度

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土屋ゼミでは毎年、「ジャーナリスト・メディア関係者個人史聞き取り調査プロジェクト」を行っています。2020年度は、ゼミ七期生が戦後日本のジャーナリズムとメディアを支えてきた政党機…
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インタビュー調査<相澤進一氏>

インタビュー調査<相澤進一氏>

 1941年、東京南品川に生まれた相澤進一氏は、強制疎開で新潟に移住後、1946年に東京に戻った。超満員列車と焼け野原、米兵の姿が占領期の記憶としてある。中学・高校は麻布に通い、一旦早大仏文に入ったものの、学生運動に傾倒、ロシア文学に関心を持って入り直した東京外国語大学では自治会の執行委員を務め、文団連議長も務めたが、デモで頭を殴られ怪我をして、「こんなことやってていいのかな」と王子セツルメントサ

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インタビュー調査<木谷八士氏>

インタビュー調査<木谷八士氏>

 木谷八士氏は1934年に大阪にて生まれ、戦時中は典型的な軍国少年であったという。11歳で敗戦を迎え、玄関のテーブルに出したラジオから町内の人々と「天皇のことば」を聴いた。中高では野球と文学に熱中、友人の誘いで演劇に魅了され、早大文学部に進学する。早大では学生劇団「自由舞台」に所属し、演劇漬けの四年間を過ごす。
 大学卒業後、いくつかの出版社を転々とした後に1959年『赤旗』編集局へ入局。創刊され

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インタビュー調査<松橋隆司氏>

インタビュー調査<松橋隆司氏>

 1940年東京生まれの松橋隆司氏は、横浜市立大学の理学部在学中に社会的目覚めとなる二つの事件を経験する。一つは1959年に起きた米軍の池子弾薬庫の爆発事件、もう一つは1960年の安保条約改定の反対運動である。デモへの参加や共産党の学習会を通して、信念を曲げずに戦う党員の生き方に感銘を受けた松橋氏は1970年に共産党への入党を決意する。
 『赤旗』編集局に入局し、政治部に配属された松橋氏は新人記者

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インタビュー調査<笹田治人氏>

インタビュー調査<笹田治人氏>

 浜谷惇氏は1940年、朝鮮〔現韓国大田(テジョン)〕生まれ。1944年に親の郷里であった山口県の周防大島へ戻り、そのまま敗戦を迎えた。高校卒業後、浪人生活を経て法政大学に入学。当時から社会党右派の江田三郎が説く「江田ビジョン」や「構造改革論」に関心を持っていたと言う。
 1965年に『社会新報』編集部に入局。校閲を担当した後、1968年には北信越総局へ出向。『社会新報』北信越ブロック版の編集体制

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インタビュー調査<浜谷惇氏>

インタビュー調査<浜谷惇氏>

 浜谷惇氏は1940年、朝鮮〔現韓国大田(テジョン)〕生まれ。1944年に親の郷里であった山口県の周防大島へ戻り、そのまま敗戦を迎えた。高校卒業後、浪人生活を経て法政大学に入学。当時から社会党右派の江田三郎が説く「江田ビジョン」や「構造改革論」に関心を持っていたと言う。
 1965年に『社会新報』編集部に入局。校閲を担当した後、1968年には北信越総局へ出向。『社会新報』北信越ブロック版の編集体制

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インタビュー調査<松宮敏樹氏>

インタビュー調査<松宮敏樹氏>

 松宮敏樹氏は1948年に和歌山県有田郡湯浅町で生まれる。高校までは地元の学校に通っていたが、大学では街から離れることを決意。カミュの『シジフォスの神話』に影響され、人生の生き方について学ぶべく、静岡大学の人文学部哲学科に入学。資本論研究会というサークルに参加し、また学生自治会の委員長や全学連の中央執行委員として活動し、共産党に入党。
 大学卒業後の1973年に、「ジャーナリズムの世界に行って、実

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インタビュー調査<森原公敏氏>

インタビュー調査<森原公敏氏>

 1949年広島県生まれの森原公敏氏は山口大学に入学後、世界情勢に興味を持ったことがきっかけで反戦運動に参加。在学中はベトナム戦争や公害問題に対して政治意識を持ち共産党の専従となり、宇部市の共産党機関紙『赤旗』配達員を務める。1972年、大学三年生の時に共産党南部地区委員となり、市の委員長を「究極のボランティア」として草の根の運動を積み重ねた。
 1981年に、国際特派員として赴任する準備として『

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インタビュー調査<孝岡楚田氏>

インタビュー調査<孝岡楚田氏>

孝岡楚田氏は、1944年京都府北桑田郡大野村(現南丹市美山町)で生まれ、13歳から京都花園臨済宗本山妙心寺内の塔頭寺院にて小僧生活を送る。京都府立嵯峨野高校を経て、立命館大学一部文学部哲学科哲学専攻入学。在学中に『京都民報』で記者アルバイトを経験。『赤旗』京都府専任通信員を経て、1971年に『赤旗』編集局に入社。
 入社後、関西駐在記者団(現関西総局)に配属され、大阪府知事選挙や八鹿高校事件等を担

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インタビュー調査<橋本伸氏>

インタビュー調査<橋本伸氏>

1946年に朝鮮で生まれた橋本伸氏は、0歳で朝鮮から引き揚げ九州の親戚の家に移った後、父親の仕事の都合で上京して東京で学生生活を送った。早稲田大学商学部に進学、大学ではジャーナリズム研究会に所属した。そこでの『読売新聞』や講談社に勤める人たちとの出会いは「私の後の記者生活において
良かった点」だと語る。元々は小説家志望で新聞記者になるのが一番の近道だと考えていたという。
1968年に『赤旗』編集局

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インタビュー調査

土屋ゼミでは毎年、「ジャーナリスト・メディア関係者個人史聞き取り調査プロジェクト」を行っています。

2020年度は、ゼミ八期生が戦後日本のジャーナリズムとメディアを支えてきた関係者にインタビューをお願いし、どのような仕事をどのようにすすめられてきたのか、また日本のジャーナリズムやメディアについてどう考えてきたかなどを中心にお話を伺い、ライフヒストリー(個人史)として記録するプロジェクトをすすめま

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