見出し画像

インタビュー調査<橋本伸氏>

1946年に朝鮮で生まれた橋本伸氏は、0歳で朝鮮から引き揚げ九州の親戚の家に移った後、父親の仕事の都合で上京して東京で学生生活を送った。早稲田大学商学部に進学、大学ではジャーナリズム研究会に所属した。そこでの『読売新聞』や講談社に勤める人たちとの出会いは「私の後の記者生活において
良かった点」だと語る。元々は小説家志望で新聞記者になるのが一番の近道だと考えていたという。
1968年に『赤旗』編集局に入り、初めは政経部の経済班で記事を書いた。1976年に社会部に移り、1999年までの23年間を社会部で過ごした。1980年に記者兼デスク補助、1982年にデスク兼副部長となり、1999年に突如論説委員会に異動とになる。これまで書いてきたニュース記事とは違い、最後に結論が来る論説記事の構成のスタイルに戸惑ったという。2000年の暮れに『赤旗』日曜版に移る。「日曜版を読んでいれば世の中のニュースが大体分かる」、それに対して「本紙は…党員が毎日読む」指針だと語る。編集総務を務めた後、2001年に退職を迎える。その年に現役時代に書いた20ほどの論文の中から選んだ六編をまとめて『政治家と株と暴力団 走って書いて30年』を出版した。
最後に「共産党にとって『赤旗』が全ての指針。『赤旗』を読まないと党が何を考えているのか、何を目指しているのか分からない。宝物じゃないけど、最高の指針だね」と、党の活動と切っても切れない『赤旗』の役割を振り返った。