メタ認知について

しっかり在宅をされているひとや、あるいは他業種になると、ひょっとすると想像もできないかもしれないが、いまの書店はおそろしく混んでいる。ぼくのはたらく街にかんしていえば、周辺の有力競合店がすべて閉店してしまっているため、そのお客さんが流れてきているのかと、当初はおもえた。自社の店舗もしまっているから、かなり近いところにある店にかんしてはふつうに定期購読とかも代理でやったりしている。だが、ツイッターでフォローしている同業のかたの様子を見ていると、どうもこれは特殊なはなしなのではなく、全国的に起こっていることのようなのである。全国的に、営業している書店という書店が、3密を見事に満たした営業をしているのである。
これは書店だけには限らない。生活必需品を売るスーパーやドラッグストアはまだともかくとしても、ゲームショップやレンタルビデオ店でも起こっていることのようである。どの場合も、家にこもるために必要なものを買っているのだと考えることはできる。というか、大半はそうなのだろう。しかし、ぼく個人の現在進行の体験として、ここまで毎日、つねに混雑しているというのは、どういうことなのだろうと考えざるを得ないのである。
さらに興味深いのは、こうした店舗の混雑状況を見て、「混んでいる」というリポートが散見されるということである。たぶん発言者もある程度わかってやっていることなのだが、この言説は、実のところ成り立たない。なぜなら、それを観察し、混んでいると判定している当の人物も、「混雑」を構成する成員にほかならないからである。「人類未踏の地の人喰いライオン」みたいなものだ。もちろん、この指摘はわれわれ営業者にもはねかえってくるものである。人類共通の「働かなければ食っていけない」ことや本という商品の文化的価値、それもいまこそ必要になっている価値など、問題はより複雑である。こういうときこそネット通販ともおもうが、どうやらアマゾンは出荷制限をしているようである。だとしても、営業しているから、そこにお客さんは入ってくるのであり、お客さんが入ってこない限り、「混雑」も発生しようがないのである。
ここでふと、ドラッグストアでマスク買占めをするひとたちの発言のことが思い起こされた。むろん、なかには悪質なものもいるだろうが、大半は、不安と恐怖と、また身近のものを守ろうとして足を運ぶものだろう。朝からドラッグストアに並ぶものは、口ぶりはそれぞれに異なっても、やはり「買い占めでなくなってしまう」から、やってくるのである。傍からみれば、その行動こそが買い占めなのだというはなしになるが、当人においてはそのように結ばれることはない。


【メタ認知の難しさ】

ここからなにを導くか、ということが本稿のポイントである。本屋の混雑に飛び込んで「混んでるなあ」とつぶやくひと、「買い占めがひどいから」と行列に並ぶひと、このひとたちは、知性に問題があるのだろうか。その可能性も否定はできないが、ぼくはそのようには考えない。そうではなく、ひとは、かように、メタ認知、外側からじぶんの行動のおよぼす意味を理解することを苦手とするのだということなのだ。
さすがにツイッターでフォローしているような大学教授が、ドラッグストアに朝から並んで「こんなに集まって、まるっきり3密じゃないか!」などと憤っているところは見かけないが、それは、彼らがそうしなくてもよい環境にいるからではないかとおもわれる。守るもの(孫とか嫁とか)が多く、なおかつ時間のあるお年寄りがこうした行列に多く見られるのは理屈としては合っている。そして、こうしたメタ認知が、学問的に身につけなければならないほど高度な思考法なのかというと、ぼくにはそういうふうにもおもえない。ここまで「空気」が重要視される社会である、特に日本では、いや日本語人では、メタ認知力はむしろ高いのではないかとおもわれる。問題は、それであるのになぜ、マスクを買うとき、また時間をつぶすための勉強道具を買いにいくとき、それが失われ、感性だけの存在になってしまうのかということなのだ。


いささか雑な議論になるが、ぼくはそこに「非当事者性」をみる。念のためいっておくが、ここで問題にしている「彼ら」のなかには、ぼくじしんも含まれているし、おそらくあなたも含まれている。「わたしたち」のことだ。そして、わたしたちには、メタ認知がしっかり果たされているかどうかを自覚的に確認することは、原理的にできない。暗いカーテンに包まれた水槽に生きる金魚が、すぐ向こうに、あるのかないのかすらわからない別の水槽を意識するようなものなのである。


【個人的な観測から】

なぜ「彼ら」が「わたしたち」なのか、ぼく個人の経験でいえば、日々のレジ業務で痛感していることがある。書店に限らず、おそらくどんな小売業にもあることだ。それは、ネット上では、あまり定着はしていないが、「導かれしものたち現象」と呼ばれているものである。静かな60坪ほどの書店のフロアを想像してほしい。7、8人の立ち読み客がぱらぱらとそれぞれの位置でなにかを読んでいる。店員のぼくは、レジカウンターでなにやらパソコンをカチカチやっている。そこへ、たっぷり取り置きをしていた常連のお客さんが給料日ということでやってくる。ざっと10冊以上あるようだ。ぼくはパソコン作業を中断して、大きさもふぞろいなそれらのバーコードを読み込みはじめる。ふと顔をあげると、さきほどまでレジのすぐ前の通路で立ち読みをしていたひとが常連客の後ろに並んでいる。さらに視線をうつすと、各地で立ち読みを中断し、こちらに向かおうとしているひとびとの姿が目に入ってくる。なかには1時間以上も立ち読みをしていたものもいる。それが、なぜか、このレジが混みはじめたタイミングで満足し、レジに集い始めるのである。
ついにはフロア中の人間が常連客の後ろに並ぶことになってしまった。常連客の買い物はごちゃごちゃとしており、カバーをかけるやら、袋をわけるやらで思いのほか時間がかかってしまった。後ろに並んでいるひとたちはやがて腕時計をみたりスマホをみたりしはじめる。ぼくと冗談など言い合っている常連客にもイラついているようだ。ようやく、常連客が帰り、次のお客になる。いままでさんざん「待たされているアピール」をしていたのに、不思議なことに彼は、財布すら用意していない。急いでいるわけではないのである。不可解におもいつつ、ぼくは一瞬でそのひとを片付け、さらに続く行列をさばくために次のお客さんを呼ぶ。と、たったいま会計の終わったひとが、出入り口とはちがうほうに向かっていくのが目に入る。なんということだろう、彼は、常連客がくるまで立ち読みをしていた場所に戻り、再び立ち読みを開始したのである。
おそろしいのはここからだ。常連客がやってくることで集いはじめたものたちのほとんど全員が、会計後、再び店内に戻って、立ち読みを再開し始めたのである。
こういうことを、書店員はみんな毎日経験している。そして、じつはこれは書店だけではない。コンビニはもちろんとして、ファミレスのような、一見すると小売とは異なっている会計作業においても発生する。これはどういうことかという、わたしたち、つまり、わたしやあなたも、それをやっているということである。
これの原因については、長い時間をかけて考えてきた。発生要因としては、じぶん以外のほかの人間の動きに刺激されて、ということはおそらくある。ファミレスでほかのお客と会計がぶつかってしまうのは、視界のすみで、食事が終わり、談笑もひと段落ついて、コートなど着込んでいるほかのお客が目に入り、いまからじぶんたちが急いでも間に合わないのに、無意識に焦ってしまい、結果としてはその別のお客の後ろについてしまうというものである。立ち読みについては、視界に入っている人間の動きとともに、バーコードで商品を読み込む音や、常連客と店員のやりとりなども耳に入ってくる。ここで、「お会計」という動作の存在感が増してくることにもなる。要は、「お会計をしなきゃいけない」という負債感を抱えていたことを思い出すのである。
こうしたことが原因となり、さらに、より重要で、かつ本稿のポイントに接続することで、それを支える心理的なものもあるとぼくは踏んでいる。それは、「被害者でいることの心地よさ」である。いまのいままで立ち読みをしていたものが、みずから混んでいるレジに出向き、腕時計などをみてしきりに待たされていることを主張してくる。しかるに、すばやく会計が済むように財布をだしたりいくらになるか暗算したりはしていない。そして、あんなに急いでいたはずが、彼らは再び立ち読みに戻っていく。わたしたちはかように「じぶんの時間」が奪われるのが嫌いなのである。しかし、であるなら、それがもっとも少なくて済むタイミングを探せばよい。ところが、客であるところの彼ら、いや「わたしたち」は、その任務を営業側に委任しているのである。ここでもうひとつ考えられるのは、なにやら集中してパソコン作業をしている店員の仕事を中断させたくないな・・・というような優しさから発する優柔不断である。その気持ちはよくわかる。なんというのかな、じぶんのようなものの会計を、店のレジを独占した「大事」にしたくない、さらっと、なんでもないことのように済ませたいのだ。これは、「被害者でいたい」という欲望とは相似形で、「主導権を握りたくない」欲望とでもいえばいいだろうか。
いずれにせよ、こうした心理の働きにかんして、ぼくは「当事者意識の欠如」というふうに解釈してきた。お買い物というのは、店と客の契約にほかならない。主人公は二人なのだ。しかし、カスタマー思考がこれを阻むことになる。主人公は店であり、客側はそれにある種巻き込まれている、こうした物語類型が、じしんの行動モデルの外形として想定されているのではないかと、こういうふうに考えるのである。

ここから先は

3,353字

¥ 100

いつもありがとうございます。いただいたサポートで新しい本かプロテインを買います。