生きる目的(集合体)
生きる目的(出生)
生命とは受動的なものだから、人に生きる目的なんてのは、もともとは存在しない。多くの生物がそうであるように、自己の複製+αによって個々のライフタイムの中で、終了時間をずらすことで、集団として活動を持続する事が可能なシステムになっている。
ただし、変化する環境の中では、変化に適応することも重要である。そういう意味において、常にオリジナルの種の保存が最重要というわけではないようだ。
社会
前出のように、社会というのは人が、集団として存続するためのシステムだが、それぞれの役割を分業し、個人の生活を快適にするだけでなく、集団としての目的を持っている場合もある。
民主主義国家であれば、民衆の豊かさを主な目的としてもらいたいところではあるが、とはいえ、多くの社会は、環境・文化・歴史的に様々な背景があり、目的は様々である。
幸福+テクノロジー
人それぞれ目的があったりなかったり、今いる社会が掲げているビジョンと個人の理想が一致する部分が一致したりなかったりするわけだが、社会の理想というのは大にして、完全一致はしないものである。重要なのは、個々がどのようなビジョンに共感するかだと思う。
個人的に、今の社会が掲げているテーマとして、共感しやすい領域は、「幸福」と「テクノロジー」あたりなのだが、今の社会が同じ価値観かというとそうではない。
多様性がもてはやされる昨今だが、いくつかの多様性はたしかに重要だが、多様性のなかのいくつかは有害である。
つまり多様性の中には良いものもあるが、悪いものもある。多様性だから悪いものも良しとする、とはならない。
テクノロジーを進化させ、人類を次のバージョンにアップデートする事。それが私の目下の生きる目的だと思っている。
個人と社会どっちが重要か
実際にはどちらが重要というのはないが、個人が皆、100%自由な世界において、社会は存在し得ないので、現実問題それはバランスだと思う。
社会というものが存続しつつ、個人もある程度の自由が実現できるのであれば、個人にもある程度の自由が与えられるだろう。
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