見出し画像

選択と集中

選択と集中についてふと考える。

私の場合、幼少期に自分の能力がそこまで、高くないと自覚をしたことが、これをひとつの生存戦略としてきたという事由がある。

もしあなたに、無限の能力と、無限の時間があるのなら、ぜひ選択や集中など行わず、すべての関心や課題に関与し、片手間でよいので、世界平和や人類の進化のために、その能力の一部を提供していただきたい。

選択と集中によって失われたもの

このように、選択というのは、それをする事によって失われるものが、少なからず存在する。
限られたリソースを、優先順の高いものに割り当てる。
それは、他に興味を持っていたものを、切り捨てるという選択を伴うことでもある。

私は、中学生時代に友達とオセアニア方面で旅行に行こうと計画した事があったのだが、結局、考え直していくのをやめてしまった事がある。
その後その友達とは疎遠になってしまい、今考えると別に行ってもよかったのかもしれないと思った。あれは、集中と選択的な思考により、失われたもののひとつだったのだろう。

広く浅く

集中と選択をできる限り正しく行うためには、まずは広く浅く知る事が大事だと言うのが、私の持論である。

そう言う意味で言うなら、幼少期に選択と集中を行いすぎると、機会損失を招く可能性が高まると考える。

もし先に、狭く深く掘り下げてしまうと、もう少しだけ視野を広げれば、もっと簡単で良い方が見えていたかもしれない。
業務などでも、いきなり実装から入ろうとするタイプの人がいる。とりあえずもう少し幅ひろく情報収集してから、取り掛かったほうが、スムーズに行くのではないかと思う事が時々ある。

つまり、「広く浅く」と「選択と集中」を3D空間に例えて捉えるなら、フラットな地面と縦穴の関係のように、どちらか一方が正解とはならず、それぞれ重要な要素と言えるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?