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CycleGANから考える人間の成分と変換

CycleGANという機械学習で画像のテイストを変換するアルゴリズム。
これでわかるのは、エッジはほぼ同じでも、テクスチャが変わると別物に見えるもの、逆に言えば、中身は違っても、模様をあわせると、それらしくなるものがいくつか存在するということである。

馬とシマウマは、大雑把にいえば、輪郭が一緒で、模様が違うので、馬にシマウマ模様をつければ、なんとなくシマウマになる。

もうひとつ
アニ文字というAppleのAR機能がある。これからわかるのは、目、口、傾きなどのトラッキング情報があれば、容姿は異なっても、自分ぽさを伝送できるという事。

ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ

オリンパスのCMのキャッチコピーだが、人間の要素を、2つに分解した表現として興味深い。

たしかにココロ(心)だけでは、その人の全てではないし、体だけでもその人の全てではない。

体のパーツで、多くの人が個々を認識するのに用いられているのが、顔である。
毎日会っているような人でも、顔以外のパーツだと、本人かどうか識別しにくい事は多々あるだろう。

テレビなどでみる芸能人が、インスタグラムなどで普段の容姿などを出していて、「え?誰これ」と思う時がある。人によっては、テレビ用に作られた顔を、キャラクター(仮面)として保持し続けなければいけないのだなと、時々思う。

記憶

記憶は、たぶん体に保存されていて、ココロに影響を及ぼす存在である。
なので、記憶が一部失われると、その人の一部が失われる事にもつながる。
そういう意味では、人は記憶の追加と、喪失によって少しずつ変化しており、身体性も成長や老化によって、変化しており、1年前の自分と、現在の自分は同一ではない。

差分

特徴を視覚的に把握するために、2者の差分を出すと、違いをもたらしている要素が把握しやすくなる。
馬-シマウマ=シマ
みたいな事である。

多様性

現在、ダイバーシティなどの多様性について許容、評価される動きが存在する。多様性が重要だとすると「同一性」「同様の個体」についてはどうなのだろうか。

統合

ここでふと思う。
じゃあほとんど同じものが多数なんだったら、マージ(併合)しちゃったらいんじゃないの?
同じものをコピーするだけだったら、そんな同時に多数存在する意味ってなにかあるの?

協力

ほぼ同一の個体でも、集団でいるメリットとして、協力がひとつあげられる。
動物の群れのように、群れる事で、誰かが危険を察知し、単独で身を守るより、少ない労力で、QOLを高めるという生存戦略もあり得る。

と考えると、均質化された集団にも意味はあるし、多様性をもった集団にも意味はあるし、その一方で「独立」「分散」という生存戦略もあろうかと思う。

主要成分

話を、少し本題に近づけて、人間の主要成分について考えてみる。
人間-猿=知識、体毛
人間の成分で特徴的なのはやはり知識だと思う。
もちろん知識は、最初からインストールされているわけではないので、どの時点で比較するのかという話はあるが、それでも知識は特徴的である。

体毛の方はほかにも少ない生き物はいくらでもいるので、割愛する。

他にも、上記の引き算で引かれてしまった猿の部分にも人間たる主要な要素は多く存在する。頭・手足・体の部分、にも探っていけば人間らしい特徴はあるだろう。

いざ変換

人間の主要成分を想像したところで、ではいよいよ変換!
何に変換でもよいのだが、今回はTwitterでみかけた、「産まれた子供がガッツ石松に似ている」という話が面白かったので、とりあえず、あなたをガッツ石松に変換してみる。

「ガッツイシマツゴチュウイクダサイ..ガッツイシマツゴチュウイクダサイ..」あ、できました。

はい、では、その一見するとガッツ石松なのだが、よくみると、目元や口元がガッツ石松なあなたに、話かけてみてください。
喋り方もやはり、ほぼガッツ石松なのだが、それでもどことなくあたなに似ています。

うむ、そうですか、不満そうですね。では今度は、このあなた似のガッツ石松から、ガッツ石松の要素を引いて、それに人間の要素を段階的に掛けて、もとのあなたに戻しましょう。

できました。

どうですか?元通りでしょう。
え、どこか違う?しかもガッツ石松が抜けきれてない?
うーむそうですね、主要成分は同じなんですけど、細かい成分は変換時に省略しちゃってますから、しょうがないですね。ガッツ石松が抜けきれてないのは、、えー、みなさんそう言うんですが、気のせいです。

まとめ

変換アプリなどを使うと、ある程度の特徴を踏まえて、自分を別物に変換できる。逆にそれを再度変換できたら、いくらか元に戻せたり、戻せなかったりする。(例:10歳老けさせ、その後10歳若返らせるみたいな操作。)
で、ある程度戻せるとするならば、それは自分のフォーク バージョン(派生バージョン)たりえる存在なのか。

外見、内面にかかわらず、「コピー」「派生」「自分とはなにか」考えてみると、意外と面白いのではないだろうか。

重要なのは、同質か、異質かという事ではなく、集合体になれば、個が同質でも集合体としては、別の性質をもつだろうし、生存戦略としてなら、どっちもありだなと、私は思ったのだった。

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