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経済はまわす必要があるのか

いつまでも政府が、お金配るから家にいてね、とか言うわけにもいかず。
もし次、コロナで非常事態宣言が出るとしたら、それなりに感染拡大した後になるだろう。

個人も企業も、マスコミも、そのあたりの空気読んで、自己防衛できるかどうかが、災害の多いこの国の民に、求められているのかもしれない。

そんな中、政府としては、経済をいかに回復させるかというとことで、Go toキャンペーンとか始めようとしているのかと思う。東京と、そこまで深刻な状況ではない地域とでは、やや事情が違うので、キャンペーン自体はダメじゃないが、国ももう少しタイミングとか、感染拡大地域についての補足があって良さそうなもんだと思う。

話を本題にすすめると、個人的にこの経済をまわすという言葉には、やや違和感を感じている。それは、無駄に働いて、無駄にお金を使うことが社会には絶対的に必要という印象を受けるからだと思う。

たしかに、額(ひたい)に汗して働き、古くなったものは捨てて、新しいものをどんどん買った方が、マネーの存在感は高まると思う。
ただそれは、人々の暮らしを豊にするための行動ではなく、日本銀行券のブランド価値を支えるために、働かされているという事でもある。

想像して欲しい。国が今ある空き家や空き地を没収して、無償で国民に提供したら(人気の場所は抽選)、多くの人は家賃の分が浮いて、他の好きな事につかえる。それで経済は停滞するかというとそうではない。
逆に、電気や水道代を10倍にしたらどうだろうか。経済は活発化するだろうか。あくまでも例えではあるが、ともかく通貨の流通量は、市民の幸福とは比例しないという事を、ご理解いただければ幸いです。

コロナ禍で今一度考える本当に必要な豊さとは何か

欲しいものを買うのは別に悪い事ではない。誰かが消費すれば、誰かが供給する。以前書いたように、社会はお金によって、超分業化を実現している。
ただし、そのお金が末端まで行き渡るかというと、なかなかそうもいかない。

重要なのは、必要なものをよく考えて、購入する事。さらに、協力関係を築けば、お金を通さずに、豊さを享受できる。

コロナによって既存の商品の多くに、いくらかの壁が生まれた。
必要なものは、その壁を乗り越えるための方法を模索するべきだが、改めて考えてみて、いらないなら、無理にそこへ戻る必要はないのかと思う。

ビヨンド コロナ における取捨選択。不要なものは捨てよう。


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