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グラデーション

世の中、二択になってるけど、実際はグラデーション(諧調)なってるものって結構ある。
例えば、性別。社会での、人の性別は、男女という雑な括りで分類されている。実際には、男性指数6、女性指数4な人がいるなら、それは男として区分されているのだろう。

たしかに、男女ペアを効率的に成立させ、生殖活動を安定的に行うための国家プロジェクトとしては、男女という雑な区分にも、一定の価値はあると思う。
しかし、現代社会というのは、そこにだけに重きをおく事が重要ではないところにまでは、来ているはずである。

モジホコリという菌類は性別が720種類あるという。生殖的な概念、精神的な概念、文化的な概念、それぞれをおりまぜれば、性別というのは、性的マイノリティーか、マジョリティ云々以前にもっとグラデーションとしてとらえるべきものなのかもしれない。

二択問題

テレビではよくある、二択質問。YES,NOはっきりしてるものならそもそも二択で聞く必要もないし、どっちかわからないものを二分させることにどんな意味があるんだと思うことは多々ある。

なぜテレビが、複雑な問題を単純化させるのが好きなのかというと、「人々がテレビに単純さを求めている場合が多い」というマーケティング的な視点に基づくものだと思う。
これはなにもテレビに限った事ではなく、ネットに関してもほぼ同じである。

より多くの人々を動かすのに、時に単純さは必要だが、単純さは正義ではない。

ミルクティー問題

一方で、AとBという意見があったらとりあえず混ぜて中間取っておきましょうみたいなのがある。
ピラフ、スパゲッティ、トンカツが食べたい。それならトルコライス(長崎のご当地グルメ)を食べればいいじゃない。
まあそれで解決する時もあれば、いや別々で食べたいんだよという時もある。


結局重要なのは、むやみに2択にあてはめない、ディティール詳細も把握する。安易に中間をとらない。
要は、面倒でも「安易に単純化せずよく考える事」なのかと思う。

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