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イノベーション

今回はイノベーションについて考えてみようと思う。
先日、映画Winnyを見た。話は、しばらく以前に遡るが、ファイル共有サイト「Winny」の作者が逮捕され、最終的には無罪となったものの、43歳で亡くなったという実話を元にした映画である。
日本の国家権力による、新しいテクノロジーへの対処や姿勢が正しかったのか、そして、イノベーションがなかなか生まれない原因が、そこだったり、その周辺にあるに違いないと考えさせられた、事件である。

日本はイノベーションが生まれにくい国である

まあ実際には日本に限らず、イノベーションなんてのは、そうそう簡単に生まれるものではないのだが、とりわけ日本のような同調圧力が強めの島国で、イノベーションが生まれにくいというのは、当然と言えば当然の話である。

例えば、政府に、マスクを外すかどうかは個人の判断に任せますとか言われても、いや周りのみんなの判断にまかせたいですよ、なんで外さないの?と聞かれたら、誰かのせいとかまわりの空気のせいにしておきたいですよ、という人々が多く、お互い、空気の譲り合いをしばらく眺める羽目になった。

イノベーションにおいて重要なのは、ファーストペンギンがまず重要だが、それに続くセカンドペンギンや、さらにそれに続く、ちょっとめんどくさがり屋ではあるものの、新しい環境に比較的スムーズに適応できる、一定数も重要である。

中国のテクノロジーが社会に浸透する速度などを見ると、高齢者なども含めて新しい技術に比較的スムーズに移行できているように見える。
もちろん、なかには取り残されている人もいるだろうが、それを理由にみんなが不自由を続けるより、ヨイショとみんなで変わった方が、社会全体がプラスになるということなのだろう。

日本にイノベーションは必要か

まあ必要だと思うから、書いているわけだが、多くの人がそれを十分に認識しているかというと、それはない。

だって新しい社会の変化に順応するためには、少なからず、能力や体力を必要だし、できるものなら変えたくない。今まで通りでよくない?と思うのが多数である。

アメリカでイノベーションの芽が成長しそれが広がり、しばし遅れて日本に入ってきてイノベーションされてしまうという事がよくある。
スマホなんかがわかりやすい例である。
少し前までは、ワンセグ携帯なんていう、テレビが見える携帯電話があったが、あれはあれで便利だった。しかし後からやってきたスマホによって制圧されてしまった。しかも、発売当時は、日本はワンセグ機能がないと普及しないよと言われていた。

ガラケーなんてのも技術要素としては、イノベーションなんだと思うが、それが別の大きなイノベーションに淘汰されてしまったのはなぜか。
それはスケールの違いだと思う。中国にせよ、アメリカにせよ、人口なり、市場なりのスケールの異なる土台を持つ所から発信された、さらに大きなパワーをもったイノベーションには、なす術がない。

まあ開き直ってしまうなら、どうせ最後は、外圧頼みなんだから、初めからジタバタしないで、最初からファーストペンギンは米中頼みで、新しいものができたらそれを素早く取りテストするための試験場的なポジションに徹したほうが、良いのかもしれない。

コオロギ食はイノベーションか

まあ昔はトマトも初めて誰かが食べるまでには、食べ物とは認識されておらず、南イタリアの少年が飢餓に耐えかねそれを食べるまで、「悪魔の実」として観賞用に育てられるのみだったと言う。

正直コオロギ食が世界の飢餓問題を解決するかは不明だが、我々の食糧確保のあり方が今後変化し、その中でこれまでとは異なるものを食材とする可能性は多いにあるだろう。

日本で言えば、毒を持つ魚フグなんかも、知識や実験の積み重ねにより、広く食べられるようになってきたわけで、それはそれで一つのイノベーションだと思う。

イノベーションは目的ではない

まあそれはそうである、これまでの多くのイノベーションが全部プラスに働いたと言うデータはないし、時にはそれは津波のように押し寄せ、災いのような被害をもたらす場合もある。

重要なのは、良いイノベーションを生み出そうと言う絶え間ない努力と、良いイノベーションに正しく乗ろうという姿勢だと思う。

全員がイノベーターを目指すとどうなるか。
イノベーターというのは、全体からすると外れた事をやっているという事が多々ある。

その部分だけを局所的にみると、バイトテロなんていう愚かな行為も、周りから外れた事をやっているという点では、類似性が存在する。

バイトテロは迷惑行為だが、イノベーションは世界をハッピーにする。というように、必ずしも両者は明確に区別できるものではない。例えば、SNSの登場は、世界中の出来事を、瞬時に拡散できるようにしたが、一方で、重箱の隅を突くような批判合戦が日々ワールドワイドに繰り広げられており、それが我々にあたえられた、重要なタスクになってしまった点は、大いに反省すべきだと思う。

きっかけだけに囚われすぎな僕ら

なにか大きな変化が起きた時に、我々はきっかけや、因果関係に注目しがちである。
もちろんそこには原因となるものがあり、一見すると、それがなければ回避できたかもしれない。逆に良い変化に関して、それが物語の始まりならば、そこを注目しがちである。

スティーブ・ジョブズが、ジーンズからiPhoneを取り出し聴衆に見せた瞬間から、たしかに世界は変化したのだと思う。じゃあ、あの時にタイムトラベルして、ジョブズ氏のポケットのそれをこっそりカマボコ板に変えておいたら、今頃みんなかまぼこ板を見ていたのかというと、そうではないだろう。

例えがイマイチだったかと思うが、とにかくイノベーションというのは、劇的な変化の源流を辿ると、そこにすべてがあるわけではなく、最初はみんなに否定されるようなアイデアであっても、地道な研究のプロセスだったり、タイミング、資金、行動力などがうまく合わさって、ようやく実現するものだと思う。

最後にイノベーションを起こすために重要な要素をCHAT-GTPに聞いてみる。

1. 創造力や独創性を育てるための教育
2. 想像力や想像力を養うための環境
3. 新機能を開発する勇気と潜在能力
4. 競争相手から競争優位を得るための努力
5. イノベーションを支援する政策
6. 既存技術と新しいアイデアを結びつける関係者

ということで、まあその通りだと思う。創造性や、競争で勝つための努力。教育、環境、政策も重要であり、まあたどり着くところは人という所ではある。

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