ツボやん

事業創造プロデューサー、ビジネスコンサルタント。 高1・中1男子の父親。 人と人とが直…

ツボやん

事業創造プロデューサー、ビジネスコンサルタント。 高1・中1男子の父親。 人と人とが直接つながり、次世代に引き継げる世界を作りたい。 【ツボやん書房、始めました!】 世田谷・松陰神社前「100人の本屋さん」で本屋を始めました! noteで気になった本等も発信してまいります。

マガジン

  • 100人の本屋さん・ツボやん書房

    世田谷区・松陰神社前にあるマイクロ書店「100人の本屋さん」をお借りして、「ツボやん書店」を開店しました! まだ始めたばかりで試行錯誤ではありますが、当面、「今月のテーマ」を作って、それに沿ったツボやんが読んだ本を並べていこうと思います。 一応、値札はつけていますが、書店で読んでいただくだけでも大歓迎です! 将来的には、テーマに沿った読書会や飲み会・懇親会みたいなものも作っていきたいと思います。 是非、同じ興味・関心を持つ人たちとつながりあいたいです! 【「100人の本屋さん」WEBサイト】 https://shoin-wakamatsu.sakura.ne.jp/100booksellers/

  • 私の履歴書・現在進行形

    ツボやんの履歴書です。 産まれたときから今まで、徐々に記していこうと思います。

最近の記事

ツボやん書房:6月の入れ替えを行いました!

世田谷区松陰神社前駅徒歩30秒「100人の本屋さん・ツボやん書房」店主のツボやんです。 まだ東京は梅雨入りはしておらず、5月早々に梅雨入りした西日本とあわせて、「今年はどうなってるんだろう?」といった感じの天気ですね。 さて、4月に開店した「ツボやん書房」も3か月目を迎え、まだ試行錯誤を繰り返しながらの店舗運営です。 昨日も、本の入れ替えを行いました。今日は入れ替えた本の紹介を行いたいと思います。 1)「山族公務員の流儀」牧慎太郎著 これは、以前からかかわっている「

    • 「マイクロ書店」って何なのだろう??

      4月に松陰神社前駅徒歩30秒・「100人の本屋さん」に開店したマイクロ書店、「ツボやん書房」。 試行錯誤を続けておりますが、おかげ様で少しずつお客様にもお求めいただけ、5月に入り、品ぞろえや価格設定を変えています。 普通の書店との違い~「書店主のバイアスのカタマリ」であること~5月に入り、「自己啓発本」系を増やしてみました。 しかし、単なる「ハウツー本」はほとんどありません。 なぜなら、僕自身がそのような本は読まないし買うことがないから。 しかし、他の店主の皆さんの

      • 「100人の本屋さん・ツボやん書房」、はじめました!

        このたび、世田谷区・松陰神社前にできた「100人の本屋さん」をお借りして、「100人の本屋さん・ツボやん書房」を開店しました! 昨日、自分のお店のメンテナンスを行ってきました。 この書店のコンセプトをどうするか? まずは、今、そしてこれまで、私が取り組んできた課題や関心事、ライフワークをベースに、毎月「今月のテーマ」を設定して、書店づくりをして、皆さんに発信していこうと思います。 で、2021年5月のテーマは、、、 1)東京 2)京都 3)地方創生 4)ジョー

        • 私の履歴書、現在進行形(概要編:「しなやかに生きる」ことを考えた時期)

          2003年10月のこと。 新卒で入った会社を辞め、次のステップを考える中で、面接試験で「バカモン!お前は失格じゃ!」と言われた大学院からまさかの合格通知をいただき、これも何かのご縁だということで、そこに入学届を出すことにした。 一方で、ちょうど結婚話も進んでいて、食い扶持をすべてなくすわけにもいかないので、稼働率を下げて、仕事と学びを両立する生活を送ることにした。 自分の中では、地方活性化のようなプロジェクトにかかわる中で、学びとキャリア形成を両立していきたいという思い

        ツボやん書房:6月の入れ替えを行いました!

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        • 100人の本屋さん・ツボやん書房
          3本
        • 私の履歴書・現在進行形
          10本

        記事

          私の履歴書、現在進行形(概要編:バカモン!お前は失格じゃ!)

          2003年8月。 僕は、新卒で入った会社を退社することにした。 6月で前の案件が終わり、上司等には「これからの自分のキャリアについて考えさせてください」といっての2か月間だった。 上司には、また元気を取り戻したら働いてほしい、といったことを言われた。 新卒で入った会社では、大変なことばかりだったが、本当にお世話になった。 仕事は物理的にも精神的にも本当に激務で、常に自分の心を削りながらの仕事だったように思う。 もう限界だった。 とにかく、削った自分の心を取り戻し

          私の履歴書、現在進行形(概要編:バカモン!お前は失格じゃ!)

          私の履歴書、現在進行形(概要編:父島で気づいた、大切なこと)

          2003年。 当時28歳、会社に入社してまる5年過ぎていた。 入社以来、フロリダでの3か月以上の研修、その後クライアント先での長期常駐案件を中心に昼夜休みなく稼働し続けてきて、身も心も疲れきっていた。 そろそろ一度休憩して、自分を見つめなおして、次の自分自身のキャリアを考えたいと思いだしていた。 2003年6月。広島のプロジェクトを終えた。 広島の部屋を引き払い、東京に戻ってくるなり、僕はすぐさま、小笠原諸島、父島に向かった。 父島は、東京・竹芝桟橋から当時25時

          私の履歴書、現在進行形(概要編:父島で気づいた、大切なこと)

          私の履歴書、現在進行形(概要編:自分のアイデンティティを探し求めていた頃)

          2002年ごろ、広島でのプロジェクトの期間のこと。 引き続き、いつ終わるかわからないプロジェクトに常駐しており、モバイルPCとPHSでいつでも会社のオフィスとつながっているとはいえ、東京のリアルな雰囲気はわかりようがなかった。 しかし、その頃会社は、徐々と形を変えていた。 僕は外資系会計事務所のコンサルティング部門の会社で勤務していた。 ちょうどこのころ、グローバルな会計事務所業界の大きな再編の動きがあった。 詳しい業界構造などの説明はここでは割愛するが、経済のグロ

          私の履歴書、現在進行形(概要編:自分のアイデンティティを探し求めていた頃)

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人3~4年目のころ)

          2001年6月。 僕は前のプロジェクトをリリースになり、比較的余裕ができた時期だった。 しかし、それから数か月、余裕が出来た時期のことはほとんど記憶に残っていない。 ある程度社内研修などに出ていたり、社内の人たちと会話する機会もあったのだろうが、なぜかほとんど記憶に残っていない。 稼働率が自分自身の実績にも業績給にもつながってくる仕組みだったこともあると思う。しばらくはのんびりしていたのかもしれないが、それが長くなると、不安な気分になっていたのかもしれない。 そして

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人3~4年目のころ)

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人2~3年目のころ)

          1999年4月、京都での長期出張を終えて、東京に戻った。 京都に行くときに、杉並区永福に借りていた部屋を引き払っていたので、改めて東京で部屋を探すことになった。 しばらくは大田区蒲田の安宿を拠点にしていたものの、ほどなく世田谷区船橋に部屋を見つけ、新しい生活が始まった。 当時勤務していた会社は、会社に自席があるわけでなく、持っていたPCとPHSがあればどこで仕事もできた。 だから、何か予定や用事があれば会社にいけばよかった。 一応、月終わりに業務時間・稼働時間の報告を

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人2~3年目のころ)

          2020年代を迎えるにあたって。

          皆さま、明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 昨年は私にとっては、公私にわたって非常に厳しい年でした。 じっと耐えた一年だったかもしれませんし、今も耐えているのかもしれません。 そんな中でも、私を励ましていただいた皆さんには、本当に感謝するのみです。この場をお借りして、御礼申し上げます。 2020年、そして2020年代を迎えるにあたって、「私は何をしたいのか」について、改めて整理してみたいと思います。 少し大きな話をすると、私の今の思

          2020年代を迎えるにあたって。

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人になったころ・その2)

          1998年7月、日本に帰国した。 大変だったけど、ここからようやく、本格的な会社員生活が始まった。 本配属先が決まり、この配属先の研修を受けた上で、10月から客先に出ていくという流れだった。 この時期、前年からしばらく日本をいなくなることが分かっていたので、杉並区永福にある4畳半、風呂無しの部屋を借りていた。 神田川にほど近い場所で、まさに「神田川」の世界を満喫した時期だった。 僕の会社は、当時恵比寿にあった。 僕らが入った時代から、社員全員にモバイルPCとPHSを配

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人になったころ・その2)

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人になったころ)

          1998年4月、無事就職した。 とはいえ、前年の秋ごろから実質東京と関西とを行ったり来たりの生活になっていた。 なんとなく早く東京に出なきゃ、早く学生気分から抜け出して稼いでいかなきゃ、という気分になっていた。 4月1日、入社式があった。 約100人の新卒同期と聞いた。前年と比べて倍の採用数だと聞いた。 しかし、ほとんどが東京の大学の人で、関西の大学を出た人は、1割もいなかったように思う。 海外の大学を出た人もいた。 しかも、4月入社から5月、6月、、、と、月ごとにわけて新

          私の履歴書、現在進行形(概要編:社会人になったころ)

          私の履歴書、現在進行形(概要編その2:大学時代のころ)

          大学時代。とにかく、迷いに迷った。 最初、京都市内の大学に通った。 まず、サークルに入らなきゃということで、テニスサークルに入り、練習だ合宿だという日々を過ごしたが、社会人になった後のことも考えなきゃと思い、専門学校にも通った。 でも、なんとなくもやもやとしたものは晴れず、別の大学の試験を受けて、そこに通うことになった。 ちょうどその時、「阪神・淡路大震災」があった。結局参加しなかった成人式の2日後のことだった。 その大学は、40名くらいの学生、特に外国からの留学生も含め

          私の履歴書、現在進行形(概要編その2:大学時代のころ)

          私の履歴書、現在進行形。(概要編)

          君たちに伝えたいこと。その骨格になるのは、私の生きてきた道筋そのものになる。 ここで改めて、私の来し方を振り返ってみたい。 0)生誕前史・父は、静岡県田方郡下狩野村、その後修善寺町・伊豆市となった場所で生まれ育つ。7人兄弟の6番目の四男。実家は工務店。その昔は、もともと造り酒屋を営んでいたらしい。 ・母は、京都市左京区で生まれ育つ。4人兄弟の4番目の長女。父(僕の祖父)は消防局勤務の技術職の公務員で、祖父(僕の曾祖父)は大工。 ・父は高校卒業後、働きながら学びたくて京

          私の履歴書、現在進行形。(概要編)

          息子たちに伝えたいこと。

          ランダムに並べてみた。 現在、2019年12月。 あと半月もすれば、2019年が終わり、2020年を迎える。 ついこの前、2000年を迎えたと思っていたら、もう20年もたってしまったのだ。 そして、私もいつしか二人の父親になり、息子たちは現時点で中学2年生と小学5年生になった。 あと10年もすれば、二人とも成人している。そして、私は無事生きていれば50歳代半ばに差し掛かっている。 そのような時間軸の中で、私が今、残さないといけないと思っていることを並べてみた。

          息子たちに伝えたいこと。

          noteで伝えたいこと。それは、息子への伝言。

          さて、私はnoteをはじめてみた。 noteとは何か。単なるブログではない。 調べてみた。 「ブログでもSNSでもない「note」は未来を生み出すコンテンツ・プラットフォーム」とある。 「ライトウェイト・コンテンツが羽ばたく場所」ともある。 じゃあ、私は何ができるのか。 そうだ、書くしかない。表現するしかない。 でも、文筆家でも、芸術の素養もない私に何ができるか。 私の「素」を表現するしかない。 つまり、私が何のために生きているのか、何を考えているのか。社会

          noteで伝えたいこと。それは、息子への伝言。