心に雑草が生えてないか
先日、庭の草むしりをした。
雑草といっても種類はさまざま。トゲがあったり(トゲありが一番嫌い)、たんぽぽもあったり、気が付けば四つ葉のクローバーを探していたり、しばらく刈ってないから根を張って抜きづらかったり、雑草ひとつとってもいろいろな表情があるのに気づかされる。もちろんそんな草の事情は関係なく刈っていく。ちなみに我が家に雑草刈り機はないです。
私が「草むしり」で好きな光景
それは雑草が刈られた後のスッキリした庭ではなく、雑草をゴミ袋に詰めてしばらくしたらゴミ袋が滴で濡れていることです。草という植物が呼吸している証拠みたいな、生命感を目の当たりにする瞬間が好き。これ分かるひといますかね?笑
草刈りをしている気分もスッキリして何とも言えない達成感がある。またそのあとのビールが美味いのなんのって。草を刈って、風呂に入って、枝豆にビールが待っているなんて最高です、緑に始まり緑に終わる。
心に生えた雑草
家にいる時間が必然と長くなったからこそ、家の一部がスッキリするとココロも晴れていくのが分かる。心にも気が付いたら雑草が生えているのかもしれない。そんなことに気づされます。
ひと月以上も自粛期間を過ごしていれば、ココロに自粛警察という名の雑草が居座って、いちいちイライラしてしまう。
例えば気が付けばマスクをしていないひとを探してしまったり、マスクはおろか変わらず歩きタバコをするおっさんに舌打ちをしていたり、注意はしないものの心がざわっとする瞬間があるものです。
でも心の雑草が刈られていれば、いちいちイラっとはせずに、こう考えてみたりできる。
そのひとなりにマスクをしない事情があるという想像力
マスクのしすぎで耳がかぶれたとか、布マスクもここ最近の雨で乾いていないとかそれなりに皆事情があるということ、それを想像してみる方が案外楽しかったりする。
例えばマスクはおろか、歩きタバコが治らないおっさん、おじさま向けにタバコのフレーバーが楽しめるマスクを販売するとか、マスクをしたくなるアイデアなんか考えてみるとイライラする時間もひらめきのじかんになったり。パチンコしたくなくなるマスクなんてあるともっといい。
白か黒かよくわからないところで行き惑うのが人間
先日、村上春樹もラジオで言っていましたがどっちか白黒はっきりつける=「マスクが正義」なんじゃなくて、グレーのひともいる。自粛はひとそれぞれなのですから、想像力を働かす余裕は持ち合わせておきたいものです
最近の世の中って、なんでもいいからすぐに白黒をつけちゃうという傾向が強いですよね。とくにインターネットの世界なんかでは、強い口調であっちかこっちかきっぱり言い切った方が勝ち、みたいなことがおこなわれています。生意気なことを言うようですが、僕はそういうのはあまり好きじゃないんです。白か黒かよくわからないところで行き惑うのが人間だし、その姿を思いやりを込めて描いたり、あるいは癒したりするのが、音楽や小説の本来の役目ですよね。
緊急事態宣言は解除されても、すぐさま自粛生活から解放されるわけではありません。うまく自分の気持ちに折り合いをつけながら、ときには伸びる雑草を眺めてみたり、せっせと草刈りをして気持ちにに余裕を持たせておきたいものです。
日曜の昼下がり、草刈りの後に待っているのは今日はバーベキュー!ビールと一緒に自粛で溜まったストレスを流し込んでやりたいなと思います。
雑草はストレスではなく、笑える草にしたいものですねww
草刈りをしながらふと頭を巡った少し長めの独り言でした。読んで頂きありがとうございました。今年は新緑を満喫するのは難しそうですが、少しでも新緑気分を味わえてもらえたら幸いです。
また思いついたことを書き綴っていこうと思います。おおよそ週1ペースで更新していきますのでフォロー頂けるとうれしいです。
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