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京都市内寺社巡り(その4)

北野天満宮

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日本にたくさんある「天満宮」「北野神社」「菅原神社」などの総本社。「太宰府天満宮」と並び二大天神様ですね。

どちらかというと「太宰府天満宮」の方が有名かもしれませんが、どちらがというよりは、両方とも総本社といっていいでしょう。太宰府天満宮は菅原道真公の終焉値に作られ(919年)、北野天満宮は西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます(947年)。

どちらが総本社なのか、といった話も聞きますが、この二社は別々に創建され、時期的にも同時期なので、やっぱり「二大天神様」ということでいいと思います。ちなみに、「日本三大天神」は全国にたくさんあり、多くは「大宰府」「北野」とどこか、ですね。

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さすがはメジャー級の神社。多くの方が参拝に見えていて、賑わっておりました。とはいえ混雑するわけでもなく、境内のノンビリお散歩する気分でお詣りできました。歴史を感じる藁葺き屋根の社殿は素敵ですし、楼門もメチャクチャ立派です。楼門には翌年の丑の絵馬が飾られていました。

平野神社

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【御祭神四座】
 今木皇大神(いまきすめおおかみ) 源気新生、活力生成の神
 久度大神 (くどのおおかみ) 竈の神、生活安泰の神
 古開大神 (ふるあきのおおかみ) 邪気を振り開く平安の神
 比賣大神 (ひめのおおかみ) 生産力の神
【沿革】奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城宮の宮中(桓武天皇の父光仁天皇の御所)に祀られていました。ここ平野の地には、延暦13年(794)平安遷都と同時に遷座されました。

平成30年の台風の被害で神楽殿が倒壊し、現在改修工事中でした。また、ジャニーズ事務所のKing&Princeの平野紫耀さんと同じ名前だということで、ファンも訪れているそうです。(それ関係の絵馬がたくさんありました)

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拝殿の向こうに本殿が4つ並んでいます。静かですがパワーを感じる神社でした。

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御神木のクスノキは、樹齢400年を超える大木。そしてその下に座す「すえひろがね」は餅鉄(べいてつ)とも呼ばれる、強い磁力を帯びた特殊な石です。授与所には磁石入りのお守りがあり、それをこの岩につけることで、パワーをもらえるというものもありました。

わら天神(敷地神社)

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古くは北山の神として、大古山背国葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、古くより土地の人々の信仰を集めてました。
天長八年(831年)この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国より移住し、その地で崇敬していた菅生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく、北山の神の西隣に祀って、祭神を菅生石部神の御母木花開耶姫命と定めました。応永四年(1397年)足利三代将軍義満が西園寺北山殿を山荘として造営するに方り、参拝に不便になり、両者を合祀し、現在地に移転600年に至ります。(公式HPより)

平野神社から金閣寺に向かう途中に寄らせていただきました。正直、こんな立派な神社だとは思っておりませんでした(^^ゞ中々に素敵な神社でした。

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御祭神はコノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫)なので、安産祈願などで訪れる方が多いそうです。稲藁が安産御守の本体であり、そのわらに節があれば男児・節がなければ女児誕生との古くよりのめずらしい信仰があり、そのため「わら天神」と呼ばれているそうです。

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境内社の六勝神社。案内板によれば、伊勢、石清水、賀茂、松尾、稲荷、春日の六柱神を平安京遷都の際に平野神社の地主神として勧請されたのが始まりだとか。こちらの御朱印もありました。

御朱印

北野・平野・わら天神

(つづく)

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