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【小説】わたしを超えた向こうの夢

「小説を書いてみようかと思って」
「えー、お前が? ムリだろ」
「……そんな言い方って」
「だって、今まで専業主婦だったじゃないか。急に小説なんて」
「そうだけど。やってみたいの」
「ムリすんなって」


わたしは鮎川真沙子、50歳。
夫と二人暮らしです。
子どもはすでに独立、自分の時間もできました。


そこで、小説を書いてみたい、と、夫に言うと
「ムリ」のひと言で済まされてしまったのです。


ムリとはいわれたけど、書いてみたいなあ。書きたいなあ。
そういえば昔、小説、書いてたっけ。

あった。
引っ越ししても結婚しても書かなくなっても、捨てられなかったノート。

開くと、わたしの頭の中の世界が広がっています。
キャラクター設定。
ストーリーの章立.


これ、小説という形になったらなあ。


高校生の頃、
小説を書く人になりたい、と、母に話したことがあります。

母は「小説家になんてそう簡単になれるものじゃない」と言われました。
「月曜から金曜までフツーにお勤めして、土日を利用して書いて
うまくいけば小説家になれるかもしれない、
くらいもの」と。

そう言われて、自信がなかったわたしは母の言葉を受け入れてしまいました。
プロの小説家になりたいという想いを、封じこめてしまったのです。

33年間、わたしは書いていません。
夫にも「ムリ」といわれてしまいました。
ムリかな。
本当にムリなのかな。
わたしが作家になるなんて。



あ。
本屋さん、のぞいていこう。
お料理の本、買おうかな。
あれ?
イベントやってるみたい。

〈中野谷つばめ新刊『苺クッキーの日々の中で』発売記念サイン会〉


「サイン会にお越しの方、こちらで受付をお願いします。あと少しで締め切ります」
「あの、まだいいですか」
「どうぞ、こちらへ。では、ここでサイン会の受付を終了します」

あの人が、小説家の中野谷つばめ先生。
主婦が主人公の小説をいくつか出版している。
確か、デビューして3年くらいなんだけど、小説はいつもベストセラー。

「サイン会に来てくださって、ありがとうございます」
「あのー、つばめ先生は、どうして小説を書くんですか?」
「永遠の課題ね。
 あえていうなら、書きたいっていう衝動があるから。
 小説という表現が好きだから。
 誰かの心を揺らしたい、って思うから」
「そうなんですか。つらいことはないんですか?」
「あります。45歳から53歳くらいまで、がっつり更年期障害で。
 体がだるくて、やる気も出なくて、どうしようもなかった。
 そんな中でも、書きたい想いはいつもあったし、
 小説家として世の中にでたい、ってあきらめられなかった。
 更年期障害が終わって6年、今はマイペースで書いて生きてます」
「家族に言われてたことありますか?」
「高校3年生の時かな。
 母に、小説家になりたいって言ったら、ムリよねって言われたの。
 夫と30年以上いっしょにくらいしているのに、プロで書いていき亭、って言えなかった」
「わたしも! 同じです。
 高校生の時に母に、最近では夫に、ムリだろうって言われました」
「ただ書きたかったのよね。真沙子さんも。
 自分の世界を自分で想像して作りあげてみたい、と」
「そうですそうです! つばめ先生は、どうやってプロの小説家になれたんですか?」


「わたしね。
 小さい頃から、感情をあんまり外に出せない子だったかも。
 無愛想とか口が重い、とか言われてた。
 感情なんて外に出さなくても、ふつうにしてれば、それでいいと思ってた。
 自分を表現するってことが、わかってなかったのね。

 中学生になって、バレンタインの大失恋で小説を書き始めた。
 現実ではふられちゃったけど、自分の世界ではハッピーにしようと思って。

 心の奥に隠していても、出てきてしまう感情があると思うの。
 そこを表現するのが小説たと。
 そういう「感情」や「想い」を表現したいなあ、って。

 言葉でただ「悲しい」「うれしい」「くやしい」と書くのではなくて、
 どんな状況でどんなモノにどんなささいなひと言に「感情」や「想い」を込められるか、なのよね。」


「なんとなく、わかります」



「実は、10年前に娘を病気で亡くしてるの。
 亡くなったとき、つらかったと思う。
 悲しいし、病気を治してあげられなかったのはくやしかったと思う。
 でもね、感情をなあんにも覚えてなくて。
 もともと感情をストレートに出すタイプじゃなかったから、余計に自分の内側に内側にこもるようになっちゃたのかな。
 感情を自分でキャッチするネジを、ふたつみっつ外さないと、自分が保てなかったんだと思う。
 お葬式でも、実感なくて泣けなかった。
 家族が泣いていても、誰のお葬式なんだろうって思っちゃって、泣けなかった。
 その後5~6年は、家族のこと、娘のことは語るまいと思って暮らしてた。

 あるとき、「感情」がわからなければ自分のことかわからないし先には進めない、って話を聞いて。
 で、つらかったけど娘が入院した時のことやお葬式のこととか、全部記録していたノートを読みかえしたの。
 当時、がんばってたんだなあって。
 覚えてないから想像するしかないんだけど、すごいがんばってて、わたしってえらいなあって。

 気がついたんだけど。
 わたしが悲しくてもつらくても、誰かにわかってほしいわけではなくて、同乗して欲しいわけでもなくて。
 ただ、そのときのわたしはかなしいしつらくても、毎日の小さな変化もいい方向だって思うことにしてただけ。
 今のわたしは、娘を生んで育てて一生を見た、っていう事実は変わらないって知ってる。



 たまに、初対面の人に「子供は」って聞かれて、病気で亡くしたって答えると「ごめん」って言われちゃうことがある。
 変に同情されるのは嫌だから、もう子供の子とは言わないって決めてた。
 その後、近所の人にふと「娘を亡くしているから」って言ったら「そうだよね」って、普通に。
 そうか、知ってる人は知ってるんだよね、って。
 大げさなリアクションしなくても、そういう反応もあり、ってわかって、ちょっと気持ちは楽になったよ。

 いまわたしは悲しい。
 いまわたしはつらい。
 いまわたしは笑って面白い。
 自分の気持ちを客観視して、そうなんだーって受け止めることができる。


 それってつまり、創設の登場人物の気持ちが、小説の主人公の気持ちが、わかる。
 わかってあげられる。
 作者自身が、主人公に寄り添っていっしょに成長できる。

 と、思って書いた小説を応募したら、最終選考に残って、編集さんがついて、書き直して書きなおして、作家としてデビューしたの。
 ね、真沙子さんも書いてみれば?」



「え?」
「小説。
 時間はあるし、真沙子さんが小説を書いて家族に迷惑かけることは、ないし。」
「そうでしょうか」
「書きたいなら書いてみればいいのよ。
 想いがあるなら書けばいい、っていう単純でシンプルなこと」
「そうですよね。
 書いてみようかな」
「あ、ライバルを作っちゃったわ」
「ライバルなんて、そんな。
 中野谷つばめ先生のライバル作家になれるように、書きます。
 ありがとうございます」


2年後。
作家として、初めて本を出版しました。
今度、中野谷つばめ先生と合同の小説教室を開こうという企画がもちあがっています。



サポートしていただいた金額は、次の活動の準備や資料購入に使います。